《平成版》学問のすすめ



1.おとなの勉強不足


キヤノン」はCanon、つまり「観音」からとったネーミングで、『ツァラトゥストラはかく語りき』(ニーチェ)の「ツァラトゥストラ」は「ゾロアスター」のドイツ語読み。(※1)
「へぇ〜、へぇ〜」。
こんなトリビアへの驚きは序の口で、はっとさせられることがまだまだ続く。

学生たちにブッダのことや帯のことや三味線のことを訊いてみると、みんな何も知らないのです。伊勢神宮連歌もお手上げでした。当時のみんなが好きなのは「お笑い」と「プリクラ」と「トレンディドラマ」でした。 [※2]


こんなフレーズを聞くと得意になって「最近の学生はけしからん。もっと勉強をしろ」と啖呵を切るおじさん、おばさんは沢山いると思いますが、次のフレーズを聞くとどうでしょうか。

いま、日本は孤立していないまでも、世界の中ではいささか片寄った位置にいます。むろんいろいろな理由はあります。とくに日中戦争と太平洋戦争をしたこと、その戦争の結果、アメリカを中心とする連合国に敗れたことが大きかったのですが、それだけではなく、いつのまにか「世界と日本の相互関係の歴史」を見なくなったことも、大きな問題です。
 それとともに、なぜか日本人は仏教のことも、着物のことも、三味線のことも知らなくなってしまったのです。伊勢神宮や床の間や、連歌国学や日本の数学者のこともあまりよくわかってはいません。
 それだけではなく、日米安保条約が何を足枷にどのくらい続くのか、中国がどんな現代史のなかにいるのか、世界中のマグロと日本はどういうふうにつながっているのか、そういうこともよくわからない。いったいこういうなかで、私たちは何を感じたり、考えたりすればいいのか。とても課題が多いように思えます。 [※3]


この発言にギクッとするのは、学校で学んでいる子どもだけでなく、社会に出て働いている大人もそうでしょう。大学生の学力が落ちたとしばしば報道されます。数学ができない。漢字が書けない。では、これと同じ試験を国会議員の先生方がやれば、果たしてできるのでしょうか。おそらく学力が落ちたと言われている大学生並みか、それ以下でしょう。

教育法をかえる、ゆとり教育を廃止する等、子どものことばかり騒いでいるけれども、一番どうにかしなければいけないのは大人でしょう。だって「戦争」やったのは大人、「公害」やったのも大人、「バブル」やったのも大人なのですから。「儲かる、儲からない」のビジネスに命をかけるのは結構なことですが、そういった狭い視野だけで行動されると、社会全体の進む方向を見誤ってしまう危険があります。現に、そういった度重なる過ちを犯してしまった以上、働いているから勉強しなくていいなんていう戯言はもう通用しません。人から聞いた話ですけどキヤノンでは、同じミスを3回やったらクビになるそうです。世の中の大人はみんなクビです。仕事とゴルフ、そんな悠長な時代はもう終わりました。これからは2回ゴルフ行ったら次の1回は本を読んで勉強しましょう。ゆとり教育は廃止されました。


2.ものの見方

松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』春秋社
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0107414576


先の引用は、この本からです。これがとにかく売れるのです。昨年末、僕が人文書担当に異動してから、このジャンルで一番よく売れています。個人的に今年はスケジュールを固めているので、イレギュラーな読書は極力抑えるつもりですが、これは本を売る者としてさすがに無視できず読みました。

この本は、松岡氏が帝塚山学院大学に赴任していた時、大学1年生に向けて行った講義をまとめたもので、内容は至って平易です。タイトルに17歳と謳われているように高校生でも読めますし、中学生でも読めるでしょう。でも、もっとうれしいことに、この本を買って行く大半は40〜50歳ぐらいのおじさん、おばさんたちなのです。誰に擦り込まれたのか、天のお告げか、なんだか知りませんが、勉強しようという空気が大人社会に出てきたのは良いことです。

著者である松岡正剛氏と言えば、「編集工学」という独自の学問を立ち上げ研究されている方で、その読書量、知識量は他を圧倒するものがあります。「歩く百科事典」と言ってよいでしょう。そういった人が、素人、一般人に向けてどのようにその莫大な知識を披露するのか、その点に着目して読みました。

知識量に長けているタイプの人は、そこそこいます。ただそういった人が陥りやすい過ちの傾向として、ひたすら知識を羅列してしまうことが指摘できます。


「自分は知っている > 一般人は知らない」


この図式の力関係、温度差でもって自らを成り立たせ、牽引してしまうということです。権力志向の学者に多いのですが、これは一般人にとって百害あって一利無しです。それに対して松岡氏はどうかと言えば、実に巧妙です。氏は「知識量」を披露するのではなく「ものの見方」を披露するのです。

この講義は、人間と文化の基本的な流れを、時代を追いながら扱っていくものなので、今日、われわれが体験している世界の情勢とか戦争とかいった問題との関係を深く見ていくということはしませんが、本当はそのような問題の根っこがどこにあったのかということを考えることは人間文化の大事な見方です。 [※4]


物事を捉える上で大切なのは、この「根っこ」を抑えることです。

・西洋&イスラム圏→「キリスト教がどのようにして生まれたのか」
・中国→「儒教、仏教、道教とはどのような思想なのか」
・日本→「日本の始まりを説く『日本神話』とはどのような話か」

このように「根っこ」を抑えて、その上で「構造」を読み取って、そしていかに「編集」していくか。つまり、この「根っこ・構造・編集」の3点セットが重要であり、松岡氏はそれをこの本で説いています。



3.文化とは“たらこスパゲッティ”


さて、この本の最大の見せ場は、松岡氏の十八番「編集」についてです。

当時、世界の彫刻家たちは「ひと」や「もの」をあらわしていたんです。セザンヌピカソもそうですね。ロダンなどの彫刻家も、そうでした。しかしイサム・ノグチは「ひと」や「もの」のあいだに注目した。あいだというのは「関係」です。人間の芸術にとって一番大事なことは「関係」だということに気がついたのです。そこで、イサム・ノグチは東洋と西洋のあいだ、天と地のあいだ、精神と物質のあいだ、そういう関係を表現しようとしました。すばらしい芸術です。
 私はそのイサム・ノグチに大きな影響を受けているのですが、これからお話していくことは、そのような「関係の発見」を、人間文化のなかでどうしていけばいいかというようなことについてです。[※5]


「あいだ」に注目していたのは、セザンヌピカソロダンも同様なので、若干の異論はありますが「編集」の説明として非常に分かりやすい。つまり「編集」とは「新しい関係性を発見していく」(※6)ということなのです。

ただ、これを17歳の高校生が聞けば開眼するかもしれませんが、僕のような30歳のおっさんが読むと、素直には受け入れられません。「様式主義、カタログ主義、操作主義」などと言われる一連の悪しき行為が、ここ10〜20年の間に世間で横行した様子を実際に体感し、また僕自身も犯してしまった苦い経験があるからです。要するに「あからさまにパクって、小手先でちょちょい」なんていう、アレです。

おそらく、この本を誤読する人がいるとすれば、ここです。「編集」「編集」と連呼されるので、「小手先でちょちょい」を肯定されたように読んでしまって、安心してしまうということです。これはダメです。松岡氏は書中、十分な説明はしていませんが「創発」についても述べていますし(※7)、この本の後半で「バロック」を引き合いに「編集」について説明するのですが、この「バロック」の解釈が非常に優れており、「編集」と「小手先でちょちょい」とが全く異なる次元の問題であることをちゃんと説明しています。

バロック文化の特徴として大事なことがあります。それは、バロックの建築でも彫刻でも音楽でも、必ず二つ以上の焦点があることです。その二つの焦点が互いに動きあって、独特のねじり感覚というか、ドラマ性を生み出している。たとえば、バロック音楽を頂点に導いたバッハは「フーガ」という様式をつくりましたね。これは二つのモチーフが互いに追いかけっこをするという様式です。だからフーガのことを追想曲という。こういうことはルネサンスにはなかった特徴で、ルネサンスでは焦点はつねに一つでした。  このことをもう少し深く考えてみると、ルネサンスの世界観では宇宙はたった一つなんです。神秘主義思想の影響もあって、マクロコスモスとミクロコスモスというものがあるということは考えられていましたが、それらは神を中心にして完全に調和しているもの、秩序をもったものと考えられていたんです。
 ところがバロックでは、そのような唯一型の宇宙観が崩れはじめ、マクロコスモスとミクロコスモスとが二つながら対比してくるんです。かつ、二つの世界は必ずしも完全に対照しあっていない。それぞれが動的で、それぞれが焦点をもちはじめます。
 一つの宇宙(世界)というのは具体的には正円の世界です。コンパスを使えばわかるように、円には中心が一つしかない。そうですね。一方、バロックでは円ではなく楕円になる。楕円というのは焦点が二つあるわけです。なぜバロックが二つの焦点をもつようになったのでしょうか。なぜマクロコスモスとミクロコスモスとが分かれていったのか。
 バロック時代というのは科学革命がおこっていた時代です。極大のマクロコスモスと極小のミクロコスモスのそれぞれについて、どんな法則や秩序が働いているのかということが、科学によって明かされていった。たとえば、十六世紀半ばにコペルニクスが地動説を発表しています。すでに話しておいたように、ヘレニズムやキリスト教的な宇宙観では、宇宙は地球を中心にまわっていると信じられています。プトレマイオスの天動説ですね。コペルニクスはそうではなくて、地球も他の星たちと同じように軌道を描いて動いているんだということを発表した。地動説です。 [※8]


僕のバロック解釈は違っていました。「マニエリスム(手法主義)」の悪い流れを引きずって、さらに崩してダメになった堕落の時代と見てました。つまり「ルネサンス」(原理)から「マニエリスム」(手法)へと展開していったのはまだ許せるけれども、その後、手法を確立できずに「なんでもあり」になってしまった。秩序を築けず、原理(本質)を見失って、逸脱して、装飾過剰になってしまった。そのなりの果ての姿がバロックであるという解釈でした。これも間違いではないと思います。実際、バロックには駄作、失敗作がもの凄く多い。しかし、問題なのは「バロックの原理」、「複数焦点」、「楕円の世界観・世界モデル」を見落としていた点です。このミスを確認できたのが、僕個人として、この本を読んだ最大の収穫です。この修正によってバッハ、シェイクスピア、あるいは否定的に見ていたベルニーニを勉強していくきっかけを掴めた訳ですから。

少々話がそれましたが、改めて確認しておくと松岡氏のいう編集は「カタログ主義」ではありません。世間一般に「多様性」とよく言われますが、これは怪しい概念で「カタログ主義」や「何でもあり」を含んでしまいます。「編集」はこれとは違うのです。しつこいですが、今一度確認します。

マニエリスム」という言葉は「マニエラ」という言葉から出ていて、これは「手法」とか「方法」という意味です。マニュアルとかマニュピレーションといった言葉も同じ仲間です。
 マクロコスモスとミクロコスモスという二つのものを、一つの画面のなかに、一つの音楽に、一つの演劇のシーンにあらわしていくために、「方法」というものが必要になっていたわけです。たった一つの世界を描くだけならまだしも、二つの本来相容れないものを一つにしようとすれば、それは方法によって解決していくしかない。
私のやっている「編集」もまさにこれと同じです。 [※9]

世界は「合理の中でも見えてくる」という必要もあったのですが、その一方で、世界は「心の中でも見えてくる」という必要もあったのです。バロックというものは、なんとかその二つを統合しようとしたものだったんです。
 だとしたら、どうでしょうか。われわれはもういっぺん、バロック的な編集力を身につける必要があるでしょう。 [※10]

私はこの短い講義のなかで、何度かたらこスパゲッティの話をしましたが、朝食で食べるたらこと海苔が、スパゲッティというイタリアのパスタ文化と絶妙に組合わさったこのメニューが、とても好きなんです(笑)。ま、おいしいから好きなのですが、文明論や文化論としても、たいへん有効なメニューだと思うのです。[※11]


つまり「編集」とは「たらこスパゲッティ」のことなのです。


4.読み終えた後


イレギュラーな読書だったけど、それはそれで収穫がありました。「バロック」のこと、「ギリシア文化が中世期に一旦ヨーロッパでは途絶え、その間イスラム圏で受け継がれ、それがルネサンス期に、もう一度ヨーロッパに輸入された」ということ、仏教のことetc。今は「世界史」「日本史」「倫理」の高校教科書(参考書)を抑えにかかっているけど、それが済んだら、今度は仏教の勉強へ進もうと思います。

末木文美士『思想としての仏教入門』トランスビュー
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0001005205


このように、勉強(読書)というのは、本を果てしなく読み繋いでいくことなのです。「大人の勉強不足」は現代社会の深刻な問題なので念を押しますが、『17歳のための世界と日本の見方』を読んで、それを知人に知ったかぶりして語ったら終わりではありません。これはあくまでもきっかけです。読んだ方は、書中にさまざまな学者や著作が示されていた事にお気づきでしょう。グレゴリー・ベイトソンエドワード・ホ−ル、孔子老子網野善彦レヴィ=ストロース親鸞デカルトetc。誰でも、どの著作でも構いません。新たに、また本を読んでいけば、それで良いのです。読書は続くよ、どこまでも。


(2007年1月22日)


※ photo by montrez moi les photos
  http://b69.montrezmoilesphotos.com/




※1 松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』春秋社pp.82-83を参照。
※2 同上pp.359-360.
※3 同上p.359.
※4 同上p.80.
※5 同上pp.8-9.
※6 同上p.10.
※7 同上p.79.
※8 同上pp.302-305.
※9 同上p.309.
※10 同上p.351.
※11 同上p.355.


17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義