2008年の4本柱








10月末に初めての長編を脱稿した後、2008年のスケジュールを組み始めた。当初は、長編を2本やりたいと思って調整していたのだけど、ここ1ヶ月間、試運転をしてみて無理がある、パツパツで必要なあそびを全く見込めていないと感じたので、ノルマを1本にする方向で最終の調整に入っている。

1.長編執筆(70枚):仮タイトル『旅 / 言語』[1本 / 年]
2.短編執筆(5〜10枚):ブログで公開 [1本 / 2W]


2008年はこの2本のラインが主軸になるだろう。そして、さらにもう1本、《英語》学習というラインも加える予定である。《英語》についてはいつかやろうと思いつつ、ずるずると今まで来てしまった。しかし先日、柄谷氏の「ダレル論」を読んで(※1)、《全体小説》という次元で作者の思考を追跡するためには原文を読まざるを得ないと痛感したことが、今更ながら英語学習を始める決め手となった。当面の目標は、2012年にF.Scott Fitzgerald “ The Great Gatsby ”を原文で読めるようになること。独語、仏語とまでは言わないが英語まではなんとかクリアしたい。コツコツとやってみよう。また、ここ1ヶ月間、英語と並行して《数学》と《物理》も試運転してみたが、これもなんとか行けそうなのでやる方向でスケジュールを調整している。それぞれの目標は下記の通り。

1.《英語》 2012年に“ The Great Gatsby ”を原文で読む。

The Great Gatsby (Essential Penguin)

The Great Gatsby (Essential Penguin)


2.《数学》 2012年に「大学入試問題」をボケ防止の一環として解く。

入試数学伝説の良問100―良い問題で良い解法を学ぶ (ブルーバックス)

入試数学伝説の良問100―良い問題で良い解法を学ぶ (ブルーバックス)


3.《物理》 2012年にアインシュタイン相対性理論』を読む。

相対性理論 (岩波文庫)

相対性理論 (岩波文庫)



A:「おい、こいつらのどこがミスターチルドレンなんだ。
   中畑も、篠塚も、西本も、だれもいねぇじゃないか!」


B:「・・・・」


C:「それを言うなら、一茂だろ」


こんな会話をコツコツと集めたら小説が書けるのだろうか?

A:「晩婚、晩婚、って何歳から晩婚なの?」


B:「あっ、わたしもそれ知りたい!」


こういうフレーズを、「あっ、これ岡田利規さんのネタだ!」。・・・・。パクってはいけない。盗作はよせ!
気を取り直して、もう一つ。

あの人、カツ丼を「とんかつどんぶり」って言う人だからね。「とんかつどんぶりください」だってさ。それって上品って言うのかね。


ああ、こういうフレーズをいくつ集めたら小説になるというのだろうか。僕も200個ぐらいはストックしてるけど、小説ってやつは書けない。

今日のなめらかチーズケーキ、なんだかパサパサしてるね。


そう、パサパサしてる。小説ってやつはいったいどうすれば、なめらかに書けるというのだろか。




前田司郎『誰かが手を、握っているような気がしてならない』

誰かが手を、握っているような気がしてならない

誰かが手を、握っているような気がしてならない



前田司郎【まえだ・しろう】作家、劇作家。77年生。年下! 私(75年生)を基準にするのはどうかと思うけど、「すげえ!」。「小説ってこうやって書くねんで」って教えてくれた。五反田の人だから大阪弁ではないし、そんな生やさしい教え方ではなかったけれど、丁寧に実演して教えてくれた。いろいろと教わったのだが、すべてを披露すると長くなるから1点にしぼる。「小説におけるワンシーンの描き方」について。


この小説は主人公がある家族で、夫(タカシ)と妻(ミナコ)と長女(リオ)と次女(ナオ)と神なのだけど、その中の長女・リオが中学校にいるシーンの描写を抜粋して考察してみよう。

わたしは毎朝、駅の自販機で缶のお茶を買っていく。それで窓際の一番前から二番目のわたしの席に座って、少し出窓になっている窓際の席を取った人の特権であるスペースにお茶を置いて、それを啜りながら「アサベン」と略される朝来てからホームルームが始まるまでにやっておかないといけない勉強を片付ける。酷いと思いませんか?朝来てからホームルームの間の時間まで勉強するように決められてるんですよ。しかも、勉強といっても英単語を暗記するとか、漢字を暗記するとか、こんな闇雲に覚えた物事が受験以外の何かに役立つ事があるのでしょうか?わたしは囚われの身の自分を思いながら、お茶を啜ったり、同じ英単語を十回つづったりするのだった。(※2)

筆箱を取り出すと、アサベン用のノートにtrousersを10回書くことにした。ズボンという意味らしいけどtrouserだけだとズボンの片足部分にしかならないらしい、アメリカ人は「ズボンの片足部分」なんていうのをわざわざ単語にしないで欲しい。いったいどういう時に使うんだろうか。そしてこれからのわたしの人生でズボンの片足部分という英単語を何か有効に使う事があるのだろうか。なんてことを考えてたらカヨコが来た。(※3)

堀は小太りの眼鏡で髪は七三なんだか六四なんだか、八二なんだか数学教師の癖に割り切れない髪型で、頭に毛が多すぎる。その有り余る毛をスキもせずはやし放題で何か糊みたいな整髪料で固めているから、バットで殴られたくらいの衝撃なら平気で耐えるだろうとキトウさんが言っていた。眼鏡のいつも同じ位置に指紋が付いている。模様?もう、模様なの?堀は黒板に何か数式を書きながらぶつぶつ言っている。ほっんとつまんない。イライラする。テレビだったら消してる。わたしは数学がつまんないと思ってたんだけど、堀がつまんないんじゃないか?残念な事に数学の先生だけは3年間変わらず堀だった。(※4)

現国とかは意味がわかんない。国語とか言ってわざわざ習わなくてもしゃべってるのに。しかも、現国ていう響きがなんか帝国とかみたいで右っぽい。最近、右翼左翼という言葉を知った。キトウさんの親はバリバリの左翼だったそうでなんかそういう共産主義? 運動? 良くわからないそういうなんか集会みたいので出会って結婚したそうだ。キトウさん自身も左なの?と訊いてみたら「わたしはニュートラル」だと言った、それでニュートラルって言葉が真ん中みたいな意味で使われるんだなってことを学んだ。わたしもニュートラルだ。完全にニュートラルだ、ぼんやり真ん中辺りをふらふらしている、どちらかに転んだりしない、カヨコみたいに恋にかまけたり出来ない。(※5)

化学で8点を取った事がある。8ってなんだよ。さすがに親に怒られた。ナオだけには見られたくなかったが、あいつめどういうわけか知っていて、「私も地理で38点だったよ」と、変な慰め方をされてわたしのプライドはぼろ雑巾のようになった。化学には恨みがある。こんなもんちょっと暗記してやれば何点だってとれるのよ。だから、勉強してやらない。(※6)

夢と現のちょうど真ん中くらいにわたしはいて、先生のお経のようなトークを聞いている。化学の石田先生は言葉と言葉の間にほぼ必ず「ええ」と入れるそれが「いええ」に聞こえて、それを頭の中で分解していると「イエー」に聞こえてきて、それは一昔前のコンサートとかで一昔前の若者がのってるときに発する「イエー」や「イェー」に聞こえてきて、「この法則はイエー!」「現在の最新の研究ではイエー」どうでも良い。ほんと、どうでも良い。(※7)

このシーンは原稿用紙にしてわずか12枚程度。その間に読ませるフレーズがこれだけ出てくるのである。ここは他に比べて多少密度が濃いかもしれないが、だいたいこのペースで最後まで行く。一般人なら、このペースで10枚書くのもきついだろう。それを248枚書ききってしまうのだから、前田氏は想像を絶するスタミナの持ち主である。フレーズストックが200個とか、そういう次元ではない。小説家とは、例えるならば、ちょうどマラソン選手のような存在だと思ったらよいだろう。一般人からすれば全力疾走しているようなスピードで42.195kmを走りきる、あの方々を想像すればよかろう。決してマネできるものではない。


小説家に限ったことではなく、世の中でプロとして活動している人は、今の私がイメージできるスピードよりもずっと速いペースで仕事をやっている。その要因は質よりも量に価値を認めるという現行の経済システムにあり、量はこなしているけれども質が伴っていない人、盗作まがいの人が大半を占めているように思う。しかし、そういった低次元の問題とは別に、ここには、プロの本質的な能力にかかわる問題もある。というのは、「このペースでやったら質が落ちるだろう」としか私には思えないのだが、質を落とさずにオリジナルな作品を創り続けるという希有な人が、一方ではやはりいるのである。


例えば角田光代さんがそうだ。彼女の作品は質が落ちないし、私が絶対についていけないようなペースで何年も書き続けている。あのペースで書いたら、私はすり減って、1年ぐらいでペラペラの廃人になって消えてしまうことだろう。また、設計事務所に勤めていたときのチーフがそうだった。彼が2,3時間で書き上げる矩計図(断面詳細図)を私が書くと、それをトレースするだけで丸1日。ゼロから書くならば、3,4日、いや1週間かかるか、途中で投げ出すという感じであった。あるいはこんな経験もある。学生時代1度だけ翻訳会に参加したことがある。私の担当は25頁。その1頁も訳せずにバックレた。そんな私をよそに、書店には、300、400頁の翻訳文献が平然と並んでいる。翻訳家の仕事は、私の理解をはるかに超えている。


これはもう、テクニックとか、センスとか、そういう問題ではない。小手先なぞ論外である。ここにあるのは、そんなことではどうにもならない「揺るぎない絶対的な力量」である。これを身につけない限りプロとしてはやっていけない。そして、これを克服するためには、もう書くしかないだろう。何年かかるか分からないけれども書き続けるしかない。




私には、小説を書く経験が不足しているとともに、小説を読む経験もまた不足しているように思う。私の読書は「世界を探究する」という興味によって組織されており、その大半を哲学書が占めている。小説を読むようになったのはごく最近のことで、今でも小説のプライオリティは決して高くない。読書スケジュールが混んでくれば、一番初めに小説をカットする。「世界を探究する」ならば、ぐだぐだ書かれている小説よりも、実直に書かれている哲学書の方が「上」 という意識がまだまだ払拭しきれないでいる。


ただ、その一方で小説に対する見方が着実に変わりつつあるのも事実だ。小説は、哲学書と同じく「世界を探究する」ものだということが理解できつつあり、また小説ならではの「力」があるようだとも感じ始めている。小説を読んでいると、普段は口数の少ない私がスムーズに会話をするようになる。そういった変化も少しずつではあるが確認され始めている。


これは小説に限らず映画も演劇も同様である。岡田利規さんの演劇を観たときも、何か突き動かすような力が体内を走ったし、先日、翻訳家の金原瑞人さんがブログで紹介していた映画を観たときもそうであった。

『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』
 http://www.hungary1956-movie.com/


すごく良かった。ストーリーがよくできているとか、そういうことではなくて、この作品には《生命》があった。

同年(1956年)10月ハンガリーでは、社会主義体制とソ連からの離脱を求める大衆行動が全国的に拡大した。ソ連はこの動きを軍事介入によって武力で鎮圧し、首相ナジ=イムレは処刑された。(※8)


教科書にしてわずか3行の出来事。受験科目に世界史を選択した人がかろうじて記憶に留めているか否かという出来事。もちろん私はまったく認知していなかった。それをこの映画を通じて知った訳だが、その衝撃は凄まじかった。深く胸に刻まれた。おそらく、この作品に触れなければ、私は生涯、1956年にハンガリーで起こった出来事を知らないままで過ごしたことだろう。しかし、この作品を観た経験によって、この出来事は、私の行動、私の思考に、大きく働きかけてくるだろう。今後の私のあり方を決定的に変えるという意味で、この作品は力を持ち得ていたし、そこには《生命》があった。


小説を読んだり、映画・演劇を観ていると、体内にもう一人の私が生まれて動き出す。そして、その私が私に働きかけてくる。世界を生きている私が二人いて、私が生きている世界が二つあって、それが互いに作用して響き合う。どこからともなく湧いてくる力。躍動感。この《生命》こそが、小説・映画・演劇ならではの力と言えよう。


今の私に欠けているのは、まさにこの《生命》である。




【2008年のスケジュール】

1.長編執筆(70枚):仮タイトル『旅 / 言語』[1本 / 年]
2.短編執筆(5〜10枚):ブログで公開 [1本 / 2W]
3.《英語》《数学》《物理》の学習
4.小説を読み、映画を観る [1〜2本 / 2W]

[追伸]
それにしても、岡田利規さんや前田司郎さんといった面白い作品を創る人が出てくるとホント困る。私の出る幕がないという商売上の理由もあるが、なによりもこちらのスケジュールをガタガタにされるのがホント困る! 岡田さんの演劇を観て、勉強したいと思ったアインシュタインはなんとか2012年のスケジュールにねじ込んだけれど、前田さんの小説を読んで勉強したいと思ったライプニッツヘーゲルはスケジュールに乗ってない。できれば08年に目を通したいのだけどどうしようか。ホント頭が痛い。岡田さんの小説も読みたいし、それから今年の文藝賞を獲った磯崎憲一郎さんの小説も良いらしいから、これも読みたい。
ああ、このあたりの人とは歳が近いし、今後何十年もつき合っていくのかと思うと、ホント先が思いやられる。とほほ。。。





※ photo by montrez moi les photos
  http://b69.montrezmoilesphotos.com/





※1 拙稿「柄谷行人『初期批評集成』」参照のこと。
   http://d.hatena.ne.jp/m-sakane/20071108
※2〜7 「群像2007年10月号」講談社 pp.52-56. から抜粋して引用。
  (単行本発売前だったので、「群像」に掲載された文章を参照しました。)
※8 『詳説世界史』(2002年文科省検定済版)山川出版社 p.329.



わたしたちに許された特別な時間の終わり

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肝心の子供

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モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)

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論理学―哲学の集大成・要綱〈第1部〉 (哲学の集大成・要綱 (第1部))

論理学―哲学の集大成・要綱〈第1部〉 (哲学の集大成・要綱 (第1部))