樋口泰行『変人力』に学ぶ










構造改革》と《営業力強化策》


序.

私が事務所を持つときに、渡辺先生が「お前たちは(事務所を持つなら)自分の家でやれ」と言われた。それは、経費をかけるなと言うことです。その頃、うちの事務所も、“そごう”をやったりしてまして、どこか便利な所を借りたかったけれど、事務所に堅実な者がおって、「先生それはやめなさい」・・・それで今の事務所にしたわけです。


一番最初はね、私の家の台所を改造して、そこで図面を引いていた。阿倍野の今の事務所の途中に泉岡宗助さんから借家していた所ですが、そこで、台所の所に増築して、塀の所まで庇をつけて、ある者は二階のベランダで西陽のあたる所でやってました。今でも、その当時の生き残りがいますがね、石原君とか近藤君とか、いま自分でやってますが・・・。そのように、先生に言われた通り金をかけないで、自分の家でやっていた。


そのうちに泉岡さんが見かねて、「おれのところを貸すから、お前そこで事務所をやれ」と言ってくれました。それで、ビルディングを借りることはやめました。考えてみると、あんな小さな事務所でも、家賃が相当かかるわけで、現在は、借りなくてよかったと思ってます。つまり、経費をかけなければ、次のチャンスを待つ力があるわけですから、無理をしなくてすむ。


皆さんの中には、今、事務所を持っている人もあるし、これから持つ人もあるでしょうが、決して、経費をかけたらいけません。そうすれば、次のチャンスをあせらずに待つことができる。それで誠実で、一生懸命勉強したら、必ずチャンスはある。私は金を掛けるな、金を掛けるなばかり言いますが、自分でやるにはそれしか方法がないんじゃないかと思います。
(建築家 村野藤吾)※1

1.橋本ライフ《前期》と《後期》


先日アパートの更新手続きを行ってきた。橋本(相模原)生活も早いもので2年が過ぎ、3年目に突入した。アパートを更新する前には、ちょっとした思惑もあった。「もっと広いところに住みたい」「都心の近場へ引っ越したい」あるいは「もっと家賃の安いところはないか」等々。けれども、そういった要望もさほど強いものではなく、収入も2年前とほとんど変わっていないので、おおかた納得して現状維持で更改した。


ただ、この更改に決して満足している訳ではない。いま住んでいるワンルームアパートで結婚生活を送ることは想像できないし、執筆活動を本格化する場合も、せめて書斎と寝室とは分けたいので(これは強い要望)、ここはあくまでも「仮住まい」だと考えている。できれば次の更新手続きが必要になる2年後には新たな住まいに引っ越したい。


気持ちを新たにするという意味でちょうどいいタイミングなので、これまでの橋本ライフの2年間を《前期》、これからの2年間を《後期》と位置付け、それぞれの成果と目標を整理しておこう。



2.橋本ライフ《前期》の成果


橋本に引っ越してきた理由ははっきりしている。家賃を下げるためである。以前住んでいた世田谷のアパートの家賃が75,000円 / 月。決して快適だった訳ではなく土地の相場である。当時従事していた設計という仕事の性質上、事務所に寝泊まりしたり、終電を越える作業がしばしばあったので、仕方なく事務所の近場に住んでいたというだけである。


一方、現在の仕事は書店での「パートタイム労働」なので終電を越えることはない。また契約の性格上、世間一般で想像されている通り収入面は非常に厳しい。月給は手取りで約15万円程度であり、家賃はその1/3の5万円が上限となる。以上を考慮して橋本(家賃4.5万円)は妥当な判断だったと思う。



2-1. 《ビジネス》の手始め


私はプロ作家になることを志している。作家は起業家とは違うので、ファイナンス、株式市場、M&A、法務、財務、会計といった専門知識は必要ない。ただし《作家=個人商店》とは言えるので、やはり「ビジネス感覚」は必要であり、まずコスト管理ができなければならないだろう。


書店の店頭に立って本の売れ行きを観察していると、よく売れていると感じる本は「タレント本」、「文芸書の新刊」、「ビジネスや趣味のハウツー本」ぐらいである。私が書こうとしている評論(人文系)では爆発的なヒット本はまず出ない。またコンスタントに部数が出るのは、内田樹松岡正剛吉本隆明加藤周一といったところだろうか。片手で数えられるほどしかいない。つまり売上が見込めないと言ってしまうか、あるいは、売れる場合であっても、それが想定できない、非常に難しいビジネスなのである。よっぽどうまくやらなければ、とても食べていけない。このような状況において、いかなるコスト管理が求められるのか。


経験不足の私では説明しかねるので、先達の言葉を借りよう。


変人力―人と組織を動かす次世代型リーダーの条件

変人力―人と組織を動かす次世代型リーダーの条件


潰れると思われていた総合スーパー「ダイエー」の命を奇跡的に繋ぎ止めた樋口泰行氏の著作から拝借する。

小売業とくにGMS(General Merchandise Store = 総合スーパー)は、売上高に占める固定費の割合が高い。別の言い方をすると、企業が営業活動をするのに必要となる販売管理費の中で、固定費の占める割合がきわめて高いのだ。


基本的な話になるが、販売管理費は大きく変動費と固定費に分かれる。変動費とは、仕入原価、外注費、支払運賃など、売上の水準に応じて増減するコストのこと。一方、固定費は売上の水準に関係なく発生するコストのことで、人件費や不動産コストがその代表だ。販売管理費に占める固定費の割合が高いということは、コスト削減による利益の改善幅が限られてしまうことを意味する。


各社とも固定費の変動費化に取り組んではいるものの、地方における人材の流動性の低さや、大型店舗のリース契約の相場などを考えると、変動費型の事業に転換するのは不可能である。


この固定費率の高さが、売上減少に与える影響は計り知れない。
話をわかりやすくするために、売上1兆円、粗利益2000億円(粗利率20%)、営業利益100億円(営業利益率1%)のケースで考えてみよう。この場合、売上原価を除いたコスト(変動費と固定費の合計)は1900億円になる。


仮に、少子高齢化などの影響で売上が5%減ったとすると、営業利益はどれくらい減るだろうか。


まず、売上は500億円減るので、9500億円となる。次の粗利益は、在庫管理をうまく進めて粗利率20%を維持しても1900億円となり、当初より100億円減少する。ところが、粗利益が減っても、それに応じてコストが減るわけではない。コストの大部分を占める固定費(人件費や不動産コストなど)は、ほぼそのまま負担しなければならないからだ。コストの減少分は、1900億円のうちのせいぜい50億円程度にすぎない。その結果、得られる営業利益は、粗利1900億円からコスト1850億円を差し引いた金額、すなわち50億円となる。当初100億円あった営業利益が、5%の売上減少で一気に半分になってしまう計算だ。(※2)


これは総合スーパーの話だが、ここで指摘されているように「固定費を押さえる」ことは商売の鉄則であるようだ。売上が見込めない、予測が立てられない作家業の場合、これは鉄則中の鉄則と言えよう。家賃45,000円。スタートラインを間違えなかった私自身の冷静な判断をまず評価したい。



2-2. 《生活力》と《執筆力》の向上


家賃の設定を間違えなかったこともあり《前期》の2年間でそれなりの成果を出せた。



2-2-1. 赤字体質からの脱却


いまの生活を始めた06年3月からつけている家計簿において、08年1月現在1,241円の貯金。つまりこの2年間赤字を出さなかった。厳密に言えば、年2,3回実家に帰るときの新幹線代は両親に負担してもらっているし、恥ずかしいけれど30歳を越えた今でも「お年玉」をもらっている。ただ、その他大きな支援を受けることなく、友人の結婚式代等を含めてなんとかやり繰りできている。


世間一般からすれば当たり前のことかもしれないが、私個人にとって、これは非常に大きな一歩である。学生時代は浪費癖が激しく、またその後勤めた「建築家のアトリエ」というのは、社会的にみて特殊な雇用形態をとっており、賃金の水準が大学に残って博士課程に進学するよりは経済的に負担が軽くなるという程度だったので、自立は難しく両親に支援して貰わざるを得なかった。だから「自らの稼ぎで自らの生活を営む」ということは、私にとって大きな意味を持つのである。



2-2-2. 《生活力》の確立


【コスト管理】

家賃、水道光熱費、食費、カフェ費、雑貨費、書籍・映画費等のコストをバランスよく分配し、予算内で生活できるようになった。


【カロリー(健康)管理】

05年11月に受けた「人間ドック」で体重79.1kg(身長177cm)、やや肥満と指摘された。おそらく最大83kgまでいったと記憶している。そこから今の生活に入り、仕事環境がプラスに作用したこと、またカロリー管理等を行うことで08年1月の平均体重が64.4kg。高校時代の水準にまで回復した。最近では自炊も始め、栄養面の向上もはかっている。


【スケジュール管理】

書店労働、執筆(読書)、食事、睡眠、家事、プール&サウナ、カフェ等、生活を営む上で必要なことをバランスよく組み込み、生活を回していけるようになった。


2-2-3. 《執筆力》の整備


【基礎教養の整備】

06年〜07年1月にかけて基本重要文献の読解と、高校レベルの歴史(世界史・日本史・倫理)のチェックを行った。ただ、これは切りがないのでほどほどに打ち切ったが、今でも時間を見つけて少しずつ補うように心掛けている。


【原稿量の克服】

新書の場合は原稿用紙300枚。単行本なら400枚程度の原稿量が要求される。それだけの量を書けるようにするために、段階的に長い文章を書くように計画し実行してきた。

・[短編]10枚 / 週(06年1月〜06年3月)計8本
・[中編]30枚 / 月(07年4月〜 )計11本
・[長編]70枚 / 年(07年10月)計1本


【英語・数学】

まだ軌道に乗っていないが、英語と数学の基礎力の整備を少しずつ進めている。

2-3. 負の遺産を解消する《構造改革


こうやって改めて書き上げてみることで、橋本ライフの《前期》2年間がどういう時期であったかが見えてきた。この2年間を先取りして示したちょうど良い日記が残っているので紹介しておく。


タイトル:「最小限」(05年11月4日 )

物はどんどん増えていく。
学生時代は蔵書数が800冊に至った。しかし、そのうち読んでいたのはせいぜい20〜30冊程度、稼働率2.5%、ホテルを例にとれば採算ラインは80%だから救いようのない倒産状態であった。ただでさえ狭いアパートの、天井に迫る高さの本棚にぎっしり並べられた本は、何か間違った知識欲、所有欲、達成欲をかき立ててくれたが、冷静に考えれば圧迫感を感じさせるし、場所を取って邪魔であった。本を置くために場所を取っていると考えると、やはり稼働していなければそれは負担でしかない。


本を読むためには絶対的な時間が必要である。また難易度が上がれば時間もかかるし、お手上げなんてこともある。その手の本を数冊ストックしておくのは良いとしても大量に保有することは致命傷である。冷静に考えれば明らかなことだが、それが分からなかった。学生時代は勉強会等で情報が多量に舞い込んで来て、テーマも多岐に渡った。また全般的に難易度も高かった。情報自体は的確だったので、それをもとに入手した本はどれも重要であり、本自体の価値から判断すると手放せなかった。問題なのは私自身のさばける量(力量)との釣り合いであった。私の力量と見合った難度と量、これがうまく保たれている必要があったが、それができていなかったのである。


ちょうど設計事務所に勤め始めた頃、学生時分のように自由な時間がとれなくなり、本棚にある本を読めないことが決定的となったので、自分の興味が高いテーマ順に並べ直して順位の低いテーマの本、また明らかに難しすぎる本を古本屋にリリースした。一度でなく十数回に渡って段階的にリリースしていった。しかし、そうやってリリースしながらも、懲りずにまた新たに本を購入していた。そんな本のなかには、明らかに読めないような難解な本で、その後リリースすることになってしまう本もあった。そんなことを繰り返しながら、手元に20冊程度のみを所有するまでに絞られた。


勤めていた時は、逆にリリースすることに病的だったかもしれない。過度に忙しく、時間にも心にも余裕が全くなかった。仕事が忙しい上に、仕事上覚えねばならない専門知識が多々あり、人文、学術系中心だった今までの本は、仕事に関する限り何の利益も上げない邪魔者であった。そういう本を読むことは、勉強ではなく、仕事からの逃避であり罪であった。ある意味では重要な本だったので古本屋に売らず実家に送ってストックすることもあったが、ある時、その手の本は絶滅した。それぐらい追い込まれていた。本棚には実務上必要な専門書が数冊置いてあるだけになった。


しかし、実務的な専門書ばかり読むというのもつらく、うまく行かなかったので、新たな妥協点を求めて読書に対する考え方を一新した。日曜日だけは実務とは関係のない本を読んで良いことにした。ただ、一日しか時間がとれないのだから、人文系の専門書を読むのは無理だ。それにただでさえ能力的に背伸びし過ぎているというのも問題であった。そのため、読書の対象をこれなら読めそうだという新書にレベルを落としたのだ。新書は人文系の重要文献を読むようにポイントを稼ぐことにはならないが、読む力はめっぽう伸びた。読んだら当然、色々と考えるし、またそれが次から次へとサイクルしていくので有機的なリズムが形成された。これは本当に大きな力になった。当時はまとまった量の原稿を書くことはなかったので、読んだらちょっとした感想をブログに書くか、あるいはマーカーを引いた箇所だけを読み返してすぐに捨てた。もともと仕事からの逃避としての読書だから、実務に関係ない、そういった本が本棚にあるのが目に入るだけで罪の意識に駆られたからだ。やはり病的だった。


今はそういう状態も越えた。今後は文章を本格的に書く体制に入る。当面、学生時代のような背伸びした難書を買い込んだりはしないが、読んで戦力になると思った本は本棚にストックして行こうと思う。まとまった文章を書く場合にはやはり必要になるだろうし、それによって文体は幾分おとなしくなってしまうだろうが、それはそれで良いとしようではないか。


いまの生活に入る前に書かれた日記であり、私が橋本ライフの《前期》2年間で心掛けて実践してきたことが端的に示されている。先に引用した樋口氏の次の言葉と突き合わせてみよう。

第一の構造改革をスタートするには、GMS(General Merchandise Store = 総合スーパー)という業務形態そのものの魅力が下がってきているという現実を、皆が直視する必要がある。地域の需要レベルに対して供給が多すぎる状態、すなわちオーバーストアの状態にあることをまず認識し、それに合わせて体を縮めなければならない。それが、不採算店の閉鎖をはじめとする構造改革だ。(※3)


これら2つを比較して分かるように、私が大学を出てから今日に至るまで約7年間行ってきたのは、いわゆる《構造改革》である。そして、この《前期》2年間がその総仕上げだった訳である。もちろん、100点満点を目指せば、まだまだ改善する余地はある。ただ現時点で80点は取れているという確信がある。そろそろ次のステップへ行くことを決断すべきであろう。


継続的な度重なる《構造改革》によって「利益を出せる体質づくり」は果たせた。これは評価すべきであろう。しかし、にも拘わらず、執筆活動を通じて未だ「利益を出していない」という厳しい現実も真摯に受けとめる必要がある。次なる手を考えて、実行すべき時である。



3.橋本ライフ《後期》の目標


樋口氏は「ダイエー再建」のプロセスを大きく2つのテーマに分けて説明している。

(1)負の遺産を解消する《構造改革
(2)正のスパイラルをつくる《営業力強化策》


(1)は「店舗閉鎖」「人員削減」「不採算カテゴリーの撤退」「ノンコア事業の撤退」といったことであり、(2)は《売れる売り場づくり》であり、「需要喚起策(広告宣伝、キャンペーン、価格政策)」「店舗人員増強、店舗オペレーションの強化」「店舗IT増強」「鮮度の向上」「人材育成」「品揃えの拡充」「店舗改造(改装)と環境・メンテナンス投資」「現場モチベーションの向上」といったことである。


これを私自身にあてはめると(1)《構造改革》=《前期》であり、こちらは一定の成果を上げることができた。そして(2)《営業力強化策》=《後期》となり、こちらはこれから本格的に取り組んでいく。


ただ《営業》に関しては、はっきり言って全く自信がない。確かに「接客」の経験はある。設計事務所時代は、特定のお客様と1〜2年もの長い期間にわたりお付き合いをして仕事を進めてきた。また書店員として働いている今は、不特定多数のお客様を相手に店頭で本を販売している。しかし、自ら仕事をとってきたり、商品を売り込んだりといったいわゆる「営業《商売》」の経験が全くない。だから、その経験不足を補うために、私とは目指している方向も、性格も全く異なる人の本も読み、必死に勉強している最中である。


成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)

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一勝九敗 (新潮文庫)

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これから挑む、橋本ライフの《後期》2年間は、《営業》を中心の課題として取り組むが、経験不足と内気な性格が災いして、おそらくうまく行かないだろう。ただ、今更逃げる訳にもいかないのでなんとかやってみよう。まずは現時点で直面している問題点を整理しておく。



3-1. 《投資》とは何か

ブレント・キャメロンは店舗設計の代表で、彼は保守的な人物だ。ブレントはミニマック・ダイニングの推進者だった。それは新しいマクドナルド店舗を小さくしたもので、通常規模のマクドナルドの店舗を維持するほど集客数が見込めないと思われる、小規模の地域用に開発された。このアイデアは、ルイジ・サルバネスキが考えた「退屈率」から来たものだ。いわく、退屈な町ほど、マクドナルドが成功する確率が高いというものだった。
「大きな都市では多くの店やレストランがあり、マクドナルドは1000あるうちの1つのチョイスでしかない」とルイジは言った。
「だが、もしもその店が、日曜の午後や、自由な時間に何をすればわからないような人々が住んでいるような地域にあれば、訪問客は飛躍的に増える。そして『退屈率』が極めて高い地域というのは数千とある。経済社会から取り残され、高速道路で通り過ぎるだけの、ショッピングセンターさえない町。だが、そういう場所に住んでいる人々もまた、我々にとって大切な顧客であり、アメリカの精神というのはそういった片田舎にあるものだ」


こうしてブレントはミニマックのコンセプトを推進した。
それに先駆けてブレントは小さなパンフレットを制作し、フレッド・ターナーがそれを購入した。私は怒りに燃えていた。私のオフィスの八階を打撃練習場に改造し、私の杖を三人の男たちに食らわせてやりたかった。私はリウマチと関節炎を患っていたが、痛みは怒りを鎮めるのに何の役にも立たなかった。


私がミニマックのアイデアに我慢ならなかったのは、スケールが小さすぎるからだ。ブレントのプランは、大きな店に値する土地を買い、小さなユニットを置いていき、うまくいけば拡張するというものだった。私の考えに反し、そのプランは成功したので大きな声で反対しにくくなってしまった。ミニマック1号店は7万ドルを最初の1カ月で売り上げた。だが、座席が38しかない店や、あるいは席自体がない店を22店立ち上げたところで、彼らは私の反論を聞くのにうんざりしてしまったようだ。そしてミニマックプロジェクトは終了した。


後悔はしていない。なぜならミニマックはその後、標準規模のマクドナルドに姿を変え、大いに賑わっているからだ。私は思考のスケールが小さいと、その人自身も小さいままで終わってしまうと思っている。


ミニマックプログラムが終了し、改築と座席を増やすキャンペーンが繰り広げられた。私はまだ口うるさくしていなくてはならなかった。私が80席必要だと思ったところには50席しかなく、私が140席だと思ったところには80席しか置いてなかったからだ。


これについては賛成・反対の両面から意見を述べることができる。140席導入すれば、昼時に全席埋まるのは1時間半だけだろう。それ以外の時間は、半分以上が空席となる。ダウンタウンエリアにあるレストランでは、これが普通だ。座席の大半を18時間から20時間埋めるというのは、たいていはありえないことだ。だがもちろん、マクドナルドのことを考えれば、私は高い目標のほうを好む。フレッド・ターナーも同じだ。私は彼の「ビジネスは施設を目いっぱい使って拡大していく」という考え方が好きだ。別の言い方をするなら、余分な鉄板や、揚げ場をもう1つ、またはレジをもう1つ設ければ、それらを機能させようと、おのずと興奮することになるはずだ。
マクドナルド創業者 レイ・クロック)※4


マクドナルドの創業者であるレイ・クロック氏の言葉である。私は、冒頭で引用した建築家の村野藤吾先生の言葉は痛いほど分かるし、実際に行ってきた。一方、このクロック氏の言葉は全く理解できない。この場合、私ならばキャメロン氏に100点に近い点数をつけるだろうが、クロック氏が採点すれば0点である。これは私がめざしていることが村野先生とは同じであるけれども、クロック氏とは異なるためである。しかし、それだけではないように思う。私がクロック氏の発言を理解できないということは、私の欠陥をも示している。つまり、私が未だに「原稿料による収入を得られていない」という欠陥を指摘しており、言い換えれば、私が「《投資》とは何か」を全く理解できていないという問題点を指摘しているのである。


この問題については現時点で私には回答する術がない。アドバイスを頂けるのであれば是非お願いしたいし、私自身は色々と勉強して、実験的に試みながら理解していきたいと思う。



3-2. 《勝負師》と《気配りの人》


次は「経営者(商売)のスタイル」についてである。今勉強しているマクドナルドのクロック氏やユニクロの柳井氏は、私と明らかに気質が異なる。彼らを一言で表現するならば《勝負師》である。しかし、私には彼らのような《勝負師》としての才能は残念ながらない。私が彼らを学ぶことによって、自らが持ち得ていない能力を吸収して幅を広げることはできるだろうが、彼らのように《勝負師》に徹することはできないだろう。


なれば私は、私の長所を活かせる、彼らとは異なる「経営者(商売)のスタイル」を探り当て、物にしていかねばならない。まだまだ勉強不足は否めないが、手応えのある書籍が2点ほどあった。


失礼ながら、その売り方ではモノは売れません

失礼ながら、その売り方ではモノは売れません


サービスの底力!―「顧客満足度日本一」ホンダクリオ新神奈川が実践していること

サービスの底力!―「顧客満足度日本一」ホンダクリオ新神奈川が実践していること


ダイエーの取締役副会長の林文子氏と、ホンダクリオ新神奈川社長の相澤賢二氏の著作である。彼女らを一言で表現するならば《気配りの人》である。彼女らは私が思い描く「経営者(商売)のスタイル」に非常に近い。私自身を分析すれば《勝負師》の適性には欠けるが、《気配りの人》の適性は高いように思うからである。


私は、店頭で接客をしていても「気配り」は比較的できるほうである。おそらく母親の影響だと思うが、「気配り」は面倒だと思わないし、無意識にできていると思う。もちろんお客様からクレームを受けることもある。ただし、それはうっかりしたミスであったり、気を配り過ぎてつい余計なことを言ってしまったりすることが主な原因である。気配りが足りないと指摘されることはほとんどない。


これから橋本ライフの《後期》課程に突入するが、林文子氏らを目標にして、まねぶことが私にとっての「《営業》の第一歩」である。まずは失敗を恐れず、手探りで色々やってみよう。





※ photo by montrez moi les photos
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※1 村野藤吾『建築をつくる者の心』ブレーンセンター pp.81-82.(文脈上必要ないと判断した箇所を一部省略して引用した)
※2 樋口泰行『変人力』ダイヤモンド社 pp.123-125.
※3 同上 p.45.
※4 レイ・クロック/ロバート・アンダーソン『成功はゴミ箱の中に』プレジデント社 PP.272-274.