古川日出男×福嶋亮大×武田俊トークセッション




  


   KAI-YOU presents


出演: 古川日出男×福嶋亮大×武田俊



タイトル: STORY⇔HISTORY

■ 日時:2011年7月2日(土)18:45〜20:30


■ 会場:ジュンク堂書店新宿店(8F喫茶コーナー)

  





  《感想文:トークの質感》 




  



まずは、このようなすばらしい企画を実現させたKAI-YOUからうれしいメールが届いたのでお知らせします。


編集チーム・KAI-YOUは2008年より「すべてのメディアをコミュニケーション+コンテンツの場」に編集することを目的に世界と遊ぶ文芸誌「界遊」の制作を始め、雑誌や書籍の編集・ライティング、イベントの企画・運営などを行って参りました。当初は現役学生の集まりだったこのチームも、気がつけば設立から3年が経過いたしました。


これまで皆様のお力添えの下、様々なお仕事をさせて頂いて参りましたが、より幅広く精力的に活動したいとメンバー一同常々考えておりました。その結果、2011年7月より法人組織として体制を固め、ビジネスとして展開していくことを決意いたしました。


これからは「合同会社カイユウ(KAI-YOU,LLC.)」として、活動をして参ります。


これまでは書籍や雑誌の編集やライティングが業務の中心としておりましたが、生まれ変わりました「合同会社カイユウ」ではデザイナー・Webエンジニアが加わったこともあり、紙媒体だけではなくWebや広告などのデザイン業務や、Webサービスの開発・運営なども行っていく予定です。もちろん自社出版物の刊行も続けて参ります。新たなメディアとコンテンツの可能性を提案するべく尽力して参りますので、ぜひ今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。


合同会社カイユウ(KAI-YOU,LLC.)
代表/「界遊」編集長
武田俊


昨年末、コンテクチュアズ合同会社を立ち上げ、自らの手で『思想地図β』を刊行したことは記憶に新しい。しかし彼らは例外として、昨年、「電子書籍時代の同人誌」というイベントでもミニコミ誌の今後のあり方を話し合ったのだけど、ミニコミで採算面をクリアしてビジネス展開するのは厳しいだろうと受けとめていた。


そこにきて、KAI-YOUの独立はうれしいニュースだ。もちろん出版だけでは難しいので、ウェブデザインなども絡めた事業展開になりそうだが、なんとかがんばって欲しい。






さてさて。


今日のトークで興味深かったのは、批評家の福嶋亮大さんと小説家の古川日出男さんの創作に対する思いの違い。震災がやはり話題に上ったのだけど、震災を受けて何ができるか?


福嶋さんは自らが書くものを政治家にも読んでもらいたい。政治家にこそ読んでもらいたいと述べた。


一方、古川さんは、僕は小説を書くことしかできないが、政治家に読んで欲しいとは思わないと述べた(何の役にも立たないから。小説を読んだからといって政策を立てられる訳ではないから)。




   福嶋亮大の変化




  



批評家と小説家の立ち位置の違いを考慮すれば、理解できる発言だが、以前福嶋さんは『神話が考える』の刊行記念シンポジウムで荻上チキさんからこのような批判を受けていた。『ユリイカ2010年9月号』にその時の記録が収録されているのでチェックしてみよう。

  



荻上 僕自身も、評論家としてニューメディアやコンテンツについて言及する機会は多くあります。但し、デマを中和したり、デマの力学を分析したり、教育や政治との接合について考えたり、あるいは古典的な社会問題についての分析に参加したりと、その対象や問題意識は「わかりやすく政治的」なものが多い。濱野さんとは以前話したことですが、僕が二コ動を分析したりするときには、二コ動上で非常にオールドな政治運動が反復されること、つまりコミュニケーションや政治の自走性にどうしても目が行く。アーキテクチャの自己生成への観察だけでは、そこは見えてこないだろうけれど、それはそれぞれの仕事で補いあうこともできると思う。


では福嶋さんの議論は、どこに「外部」との接続可能性を設けるのでしょうか。文芸評論の言葉で、何かの社会的機能を果たそうというのであれば、かなりアクロバティックな論理展開か、実際にコミュニティを生成していくようなムーブメントを伴う必要があるように思いますが、そうした素振りはありません。ムーブメントの必要性には触れておられるようですが、その芽生えの機能はなさそうです。苦言を申せば、福嶋さん自身の枠組の中に取りこみやすい風景だけを、ただ論じたものでしかないという印象が拭えずにいます。


福嶋さんの批評言語というのは、どのような機能を持つことを欲望しているのでしょう。僕は、先程のご紹介にもありましたとおり、芹沢一也シノドスという会社をやっています。特に今は、この10年間で顕在化してきた、実証的蓄積や理論的研鑽を積み重ねてきた社会科学的な言説を元に、時事的な応答をしていくことをミッションにしています。これもまた、わかりやすすぎるほどの啓蒙的態度ではあるわけですが、だからこそ「何を目的とするか」の明確化が常に気になるんです。現状がどういう社会なのか、そこでコンテンツがどのような役割を果たしているのか、それをどう分析することで、どんな役割をこの本自体が果たすのか。


誤解をされないように申し上げておくと、これは評論対実証といった対立ではありません。たまたま幾人かのプレイヤーが反目しあっているというのもあって(笑)、シノドスのような営みと『思想地図』のような評論の営みが、宿命的に「対立」しているかのように語られがちなんですが、そんなことはないと思っています。


実証によって葬り去られる評論もあれば、輝く評論もあるでしょう。目的不明の自家消費と批判されるものもあれば、そうでない示唆をもたらしてくれるものもあります。福嶋さんの本の政治性がわからないといった時、単に政治を取り扱わない、データやエビデンスがないと批判しているのではなく、その射程を問題にしていると思っていただければと思います。


(『ユリイカ2010年9月号』pp60-61.)

簡単に言えば、福嶋さんの『神話が考える』における評論は、いま問題となっている社会問題も解決しないし、政治も変えないといった手厳しい批判である。荻上さんは自らが編集する『シノドス』において、社会学者や経済学者、教育学者などと議論を重ねている。だから、厳しい批判だが、ちゃんと筋が通っている。



  



ただ、これを聞いた時、私は「文芸批評にこのような要求をするのは酷だろう」と思い、過剰要求あるいは的外れな要求だとも感じた。



しかし今回、福嶋さん本人の口から、まるで上記の荻上さんのような発言が飛び出したことには驚いた。震災が、という訳ではないだろうが、それにしても大きな変化だ。ただし内実は、荻上さんとはやはり違う。福嶋さんは中国文学が専門なので、日本と中国、あるいは日本とアジアの歴史を説くことに重点を置いている。政治家が欧米ばかり追いかけて、アジアを全然見ようとしないので、そのあたりを論じて、日本の進むべき道について、示唆を与えようと考えているようだ。期待したい。






   古川日出男の声




  



古川日出男さんに来てもらって語ってもらうのは本当にすばらしいことだ。小説家は文章で語る人だけど、古川さんはその文章に声を与えることができる数少ない小説家だ。現代作家では他に多和田葉子さんぐらいしか思い当たらない。



   



その古川さんが『新潮7月号』に「馬たちよ、それでも光は無垢で」という文章を寄せている。小説家が語る「福島」、質感というか魂がちゃんと宿ってる。政治家が語る「福島」とは全然違う。



僕は小説であってもマーカーを引きながら読む癖があるのだけど、この文章については、重要な箇所というのではなく、ただただ質感だけを頼りにマーカーを引いていた。



  


  


『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』



『トゥモロー・ネバー・ノウズ』



宮古港と閉伊川



答えは出ている。書けるはずはない。
こうしてこの文章のために筆を執る直前、気づいたことがある。私はこれほどの期間、意図せずに「執筆するという行為」を休んだことはなかった。ここ数年、書かない日はなかった。そもそも私には休日という発想がない。ここ数年、平均するならば私は年に三冊は作品を発表しているのではないか。



文学が無効だとは思わなかった。



巨きな余震があるたびに、私は推敲する。



私はこの小説の内部で『聖書』に触れていたし、イエス・キリスト系図には冒頭部から執拗に、徹底的に触れた。そもそも題名がとうに触れていたのだ。キリスト教、及び最小単位のイエス・キリスト系図に。メガノベル『聖家族』のその題名の由来は、キリスト教美術の主題である the Holy Family にある。



“ 書物 ” とは何か。『古事記』だろう。



『聖家族』は東北六県の小説である。



駆けぬけろ



放射能の雨に打たれて
躍りつづける
終わりのない雨のビートに
鳴り止まない胸のビートに
もう一度
スピードを上げて



私が福島県の出身であることを友人たちは知っている。



十歳下やら十五歳下やら、もっと年下やら。私はここ数年、音楽やダンスや美術などの分野で多様なコラボレーションを試みている。アウトプットの形態が異なる表現者と共同作業を行なうことで文学の強度(らしきもの、名状しがたいポテンシャル)を上げることを考えている。



今度いづ郡山さ帰ってくンだい? 早ぐ帰っできで。そしだら、まだ遊ぶべ!



再び巨きな余震があって、私はこの半日間に書いた分の原稿を棄てる。



そのフレーズとは「想像力を善きことに使う」だった。



ライブ・スポットと称してよい。私は朗読をする。詩人たちを主軸とする顔ぶれだったから、私は詩としても通用するテキストを選ぶ、自著の中から。被災地にも届けられるかもしれない言葉と声にしなければならなかった。が、過去に書いた小説の何が、どんな言葉が通用するというのか。作品としてはやはり『聖家族』しかなかったし(ただし判断するのに二日かかった)、一瞬はそこから東北弁のモノローグの類いを選り抜いて、再構成したそれを読もうかとも考えた。しかし人間に関する挿話が、読めない。だとしたら。私は結局、馬の挿話にする。私は岩手県の匿名の地の、昭和二十一年に馬捨場から身を起こした一頭の無名の馬の、その牝の死馬の語りを選ぶ。昭和二十一年は一九四六年だ。一九四六年は、敗戦の翌年だ。東北の馬たちとこの日本  日本国。私は時間と空間を越えた痛みを読む、あるいは読もうとする、通用する声はあるはずだと信じて。私は馬語すら、この生身に宿そうと望んだ。



「相馬市から来ました」と。



その相馬には馬がいる。



「オレ、相馬に行こうと思うんだよ」



「見ようと思う」



「見てください」



私は文芸誌「新潮」に『冬』『疾風怒濤』という二つの中編を発表済みで、それらに連続しているパーツを



題名は『ドッグマザー』。



どうして京都なのか。そこには歴史的な日本国があるからだ。



京都でも若干の揺れは感じた。
関西でも長い地震はあるのだな、と感じた。もちろん「阪神・淡路大震災」のことは頭を過った。東北のことは過らなかった、もちろん。



午後五時台に、私は地下鉄烏丸線のホームで、新聞の号外らしきものを手にしている京都人たちを何人も何人も、見る。躍っているヘッドラインを見る。黒字に白抜きだ。東北。太平洋沖。マグニチュード8.8。各地で大津波



私は実家と連絡をとる。



宿泊しているホテルの部屋で私は、テレビの報道から離れられない。注視の時間はここからはじまる。その時間はじきに「神隠しの時間」に連なる。つながる。



私は、あのホテルのあの部屋で、たしかに作家の中上健次のことを想い起こしはしたのだ。



「国内空前の」



私は、私こそが彼岸にいる。非現実の側に。



私に罪がないと言えるか。のうのうと生きている理由を述べろ。





同心円が生まれる。



原子力発電所に対してのこの命名は何なのか。わざわざFではじまる県名を冠したことに事由はあるのか。



新しい日本国はFukushimaを領土と宣明してしまう。



私は円に触れる。
ニュースを報じている画面の。
私は円環を感じる。声がする。行け。ある時洗面所の鏡を見ると私の顔の、右側の眉毛が半分ほど失われていて、無意識に毟りとってしまっていたのだと悟る。



しかし二十七か八で終熄した。私は二十七か八で、ある意を固めたのだった。それが何かは言えない。しかしながらパラフレーズはできる。自己憐憫は結局のところ他者と世界を憎むことだ。まずは憎しみを棄てよ。もう口にするな。



『聖家族』はどうだったのか。
私はどうして東北六県の小説を書いたのか。
その六県が封鎖、封印されるような小説を?
私には孤児の感覚がある。どうしたって孤児ではないのに。



ただし出たのは、愛憎の強度からではない。この土地  福島県、郡山盆地、その西部  に私は要らないのだなと思っただけだ。



それから、雑誌「美術手帖」がある。それは三月十七日発売の最新号で、見本誌は “ 神隠しの時間 ” に逆らうかのように私にきちんと届いた。



企画そのものの発端には同時代の作家の福永信さんがいるのだが、私と画家とでプロジェクトを拡張させて、私たちは三月十九日からギャラリーでの展覧会を行うことにしていた。



それでも見ろ。そこを見ろ。



“ 福島イーストコースト ”



それが相馬市だった。



中村街道の中村。馬蹄と馬のデザインを有した街灯がある。ウマと私は思った。相馬には馬が。



冬と感じてからわずか三時間ほどで初夏と感じている。私は時間が揺れていると思った。



そのコンビニを発って数分だった。北進する私たちの視界の右手、東側の沿道にまるっきり奇襲のように津波の惨状が現われた。



私たちは新地町役場の交差点で右折して、もちろん全員がだと思うが、その判断を停止させる。



津波は何を破壊するのか。



太平洋は穏やかだった。



何を問えばいい?



瓦礫から砂が舞いつづける。次第に瓦礫とは “ 瓦礫 ” ではない事物の百もの千もの部分の集まりなのだと認識する。



JR常磐線だ。が、その在来線はなかった。線路の終焉があった。消滅が、破壊が。
踏切の表示のかたわらのガードレールの、水平と垂直を(すなわち向き、方位を)慮外した曲がり方、傾き方、折られ方、ほとんど憎しみ合い方。真っ赤な金属の箱が横転していて、自動販売機だ。Coca-Colaとある。読めるのに、読めても意味はない。同じような大きさの白い箱があって、冷蔵庫だ。常磐線のそばのそこは住宅地で、変電所にも近いが、その変電所も何軒もの住宅もやられている。地面に割れたレコードがあって、



私はどこを、どう撫でれば真の意味で慰撫になるのかの見当もつかないままにその馬も撫でた。レースで一着になった競走馬を騎手が褒めてやる時の仕種を見知っていたから、それを真似しようとして、ほとんど無様に失敗した。ほんの少々も安心を与えられなかった。



その猫たちは馬と暮らしているのだと、飾られた写真から判明した。



私は哲学者の梅原猛がその著書『日本の深層』の中で触れていた、宮沢賢治についての記述を想い起こす。



東北の文学者の賢治について、こう述べられていたからだ。



〈彼は多くの童話と詩を書いたが、けっして小説は書かなかった。それは賢治の世界観と深く関係しているように思われる。小説は、やはり人間中心の物語である。賢治は人間だけが世界において特別な権利をもっているとは考えない。鳥や木や草、獣や山や川にいたるまで、すべてが人間と同じように永遠の生命をもっていると賢治はみなしている。永遠なる生命を付与されながら争わざるをえない人間の宿命と、その宿命からの超越、それが賢治が詩で歌い、童話で語る世界である。そのような世界観を、私はかつて仏教の世界観と見ていたが、あるいはそれは、仏教移入以前の日本にすでに存在した世界観かもしれない〉



ところで私は、と思うのだった。私は動物の小説を書いている。犬たち、猫たち、烏たち、さまざまな鳥獣を主役にして。また人間たちにも動物の名前を与えた。イヌでウシ。



いや。



いや、違うのか。問題は私がいま小説を書いていないということなのか。書けない。



平穏が流れていて、私はSさんに漏らす。そのまま、「平穏に感じられますね」と。するとSさんが応じた。「ええ、平然としていますね。街が」と。



南相馬市のコンビニだ。



それから余剰としての物資がある。時間あるいは日付に対しての余剰。ホワイトデー用の菓子類が、あたかも手つかず状態でコーナーにある。三月十一日以前に、それは支度された。三月十四日に、それは不要とされた。その日付に対しての余剰。ここには日付はない。依然としてここには。



沈黙が感じられる。思い。



古事記』を想い起こした。私は、『日本書記』のことは考えない。どうしてかと言えば歴史書として整いすぎ、そうした合理的に整理されたものは私には歴史に思えないからだ。



それが彼だった。



しかし、誰が理解しない? この泣き言はなんだ? 私は自分自身が兄なのだと悟ったではないか。そうだ、見えない家族の、長男なのだと。その家族の巨きさを信じろ。信頼を信じろ。



書け。それが彼だった。



「じきに気が狂れるよ、あんた」



私たちは人殺しの歴史しか持たない。



“ 武将たち ”



府中



段階a。



段階b。



段階c。



段階d。



森の、その天地の空気がケラケラケラ、ケラケラケラケラと笑いつづける。



常食みたいに。それでな、俺は鳴らしたよ。窓を全開にしてダビング・テープを、一本残らず。俺はな、『ツイスト・アンド・シャウト』と『エリナー・リグビー』と『アイ・アム・ザ・ウォルラス』を気に入った。それから俺は。



いや、よそう。



「霊山だよ」



ユダヤキリスト教の文脈では俺たち人類が神と契約を交わし、家畜もまとめて授かったことになっているが、あらゆる



実際、そのために俺たちは五番、あるいは六番、さらに何十種もの家畜の生殖をコントロールしている。



さて、馬だ。
馬は後者だった。



“ 馬 ”



馬と武士だ。



古事記』の



いいか、それは正史じゃないぞ。



相馬氏は「日本」でも屈指の古豪だ。
しかも相馬氏は、鎌倉時代から明治四年、西暦に換算した一八七一年まで福島県浜通りの同じ地域を領していた。ずっと。幕府の命令による「国替」というのも経験しなかった。これは日本史的に稀有な例だ。そうして、一八七一年の廃藩置県を迎えた。



ほとんど七百年、相馬氏は相馬にいた。



こっちだと一三三三年だ。
鎌倉幕府の滅亡の年だ。



軍馬だ。



この大移動がある。



五月十一日は過ぎているのだった。
あの三月十一日からふた月が経過していて、けれども昨日、私は大々的な報道は見なかった。



「もう帰るんですか」



すると311は、ちょうど半年後に、地球の裏側でメモリアルな双子を持つ。911。しかもアメリカの二〇〇一年の九月十一日は、その一番の象徴を、ニューヨーク市に持つ。いまは「ない」世界貿易センターのツインタワー。



グラウンド・ゼロ



渡米はやすやす叶って、ニューヨーク現地時間の四月三十日、私は前々からのスケジュール通りにそこにいた。狂った予定はあの決定的な一つだけ、私がFukushimaの小説家となった/なっていることだけだ。



豊饒さ



詩人のジョシュア・ベックマンさんと言葉を交わして、まさに「詩を生むしかない」感受性にうれしくなった。公の対談相手はスティーヴ・エリクソンさんで、そのエリクソンはじつにエリクソンだった、誤差がなかった。書いている本を裏切らない人物としての著者。着ているシャツは、一度めに会った時はボブ・ディランのイラスト柄、二度めにはマイルズ・デイヴィスだった。



楽家たちだ。



現地時間の五月一日の夜だったのだ。オサマ・ビン・ラディンが仕留められたのだ。アメリカ(の軍)に。詳しい情報は、最初は、ない。



USA! USA!



歓呼はなかった。
これからあるのかもしれない。
国旗はあった。星条旗があった。文字があった。ゴッド・ブレス・アメリカとあった。ニューヨーク市は被災地なのだ、とわかった。



生まれてきたっていいんだろう。囁いているような声が聞こえる。私にできることは他者を憎まず、世界をも憎まないことだけで、それはつまり、態度としてはひたすら愛することだった。



うなるだまるどなる祈る汗す



「ストロベリー・フィールズ」という場所に出る。



関係者以外
 進入禁止



「いわき・ら・ら・ミュウ」



「カモメですね」と言う。



たぶん探鳥(バードウォッチング)



が、異様に群れている。私は潮の匂いがあまりに強度を増した



ウミネコですね」



「ここへ来い」



「ほら、ビートルズの『トゥモロー・ネバー・ノウズ』が流れているだろう」



「俺が誰か、わかるか? 俺は狗塚牛一郎だ。そして、ほら、あんたに言う。物語が必要だろう?」



「お預けになっていた物語の、続きが」



「そうだ。弟を失ってからの俺がいる」



お前は牝馬か?



ソウヨ、と馬は答えるわけではないが、事実牝馬だ。
お前は戦場から戻ったのか? 宿敵の伊達氏との小競り合いから?



ソウヨ、と馬は答えることが不可能なのだが、実際にそうだ。その馬は戦場で命を隕としはせずに、相馬氏の確たる領内に帰還した。



白い人間だ。



あちらこちらにぺしゃんこの自動車がある。



しかも柵にカチリと噛み合わせた。施錠と同じだった。



それから白馬は、



そして雑草たちを光が育てている。降る、陽光が。


  



  













阪根Jr.タイガース


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