東日本大震災復興へのアプローチ(9)




  




  『空間のために』自炊から始めよう!




篠原雅武『空間のために』(以文社を読了。震災前に書かれたとは言え、震災以後も、いや震災以後こそ重要な問題を提起している。



悪しき都市空間としてまず問題視されるのはスラム街(貧民街)であろう。しかし、経済的に豊かになり、スラム街が排除されれば、都市空間は豊かになるのだろうか? この問題は、郊外化やインターネットの発達など様々な問題が絡んでおり、一筋縄にはいかないが、答えはNOと明確に言える。



私自身の体験を述べよう。数年前ワシントンD.C.に観光に行った時、ジョージタウンに「GAP」や「Banana Republic」がショップを構えているのに驚いた。「誰もわざわざジョージタウンまできてGAPでショッピングはしないだろう」と思ったのだが、これはマーケティング行動経済学に裏付けされた出店であり、ちゃんと利益が出ているのである。 非常に残念な話だし、「こんなことならわざわざジョージタウンなんか来るもんか!」と思った。世界へ飛び出すモチベーションを維持するためにも、否が応でもグローバル化を阻止せねばならないと固く心に誓った次第である。



また近年、切に感じるのは渋谷という街が魅力を失ったことだ。私自身が年をとり感度が鈍ったせいもあるが、どこにでもあるような店ばかりになって、アンテナショップ、カルチャーや情報の発信地というかつての渋谷という街の役割がほとんど失われている。これは私自身(書店員)の問題として、リアル書店やリアルCDショップの影響力の低下という問題にも通じる。



あるいは、藻谷浩介『デフレの正体』(角川oneテーマ21で紹介している地方都市の駅前のさびれた様子について。これはシャッター商店街について調べた時にも行き着いた問題だ。足立基浩『シャッター通り再生計画』(ミネルヴァ書房に詳しく書いてあるので、ぜひ読んで頂きたい。



  


  



この問題は、郊外化や大型ショッピングセンターの出店の影響も大きい。しかし、それ以上にバブルの反動というか、地権者に商売をやめても何もせずただ土地を所有しておくことが、一番得だと思わせてしまう空気がネックになっている。本来は行政が土地のポテンシャルをもっと活かす方向へ導いて行かねばならないのに、土地が何もしないでただ所有されているだけという状態になっている。これは商店街や駅前全体からすれば、活気を維持する上でマイナス要因になるし、そのような動きが連なって「負のスパイラル」となり、ますます活気を失っていくことになる。



このように都市が、都市空間が、魅力を失っている理由は様々である。この点については、グローバル化批判一辺倒の篠原氏の論には不満もある。均質化への批判、他者を排除しようという流れへの批判はごもっともだが、それだけでは弱い。



篠原氏は藻谷氏が問題視するような論点を取り上げていない。グローバル化自由貿易促進の流れを批判するにしても、経済問題を全く無視するのは逃げであるし、このような問題に対して政策によって、制度的に介入できる余地もある。篠原氏のスタンスだと言っていることは正しくても、人文系の論者の間では議論になったとしても、それ以外の人にはなかなか届かないだろう。



そういった点を断った上で、篠原雅武『空間のために』が興味深いのは、まず「都市」を論じるのではなく「都市空間」を論じたことである。「都市」とすれば記号的に処理されてしまう恐れがあるが、「都市空間」とすれば、もっと人間や身体、生活に密接に関わる質感の問題として、都市が認識される。都市を論じる際に重要なのはもちろん後者である。



また、いま世界全体が向かおうとしている大きな流れにおいて、都市空間はかつてのスラム問題を克服するどころか、新たなスラム問題、都市空間全体が貧しくなる、質が低下する、スラム化するという問題をむしろ促進させていると明確に指摘している点は、やはり重要である。






さて。篠原雅武『空間のために』(以文社は震災以後を考える上でも重要である。端的に「東北をいかにして復興するか?」「 被災地をいかにして復興するか?」という問題にも直結する。厳密に言えば、「復興」なのか「復旧」なのか「自然に帰れ」なのかも十分に検討する必要があるが、ひとまず「復興」という観点で私は議論を進める。



私の持論は、東北を復興する場合「道州制」を前提に「東北州」の自律をめざして新たなシステムを構築することである。しかし、その際、「道州制」に関する本を数冊パラパラと読んだのだが、どうもピンとこない。どれも既存の行政システムを前提としているので、効率的とは言えずうまくいく気がしない。



  



それならば、一層のこと、東北州の行政システムのデザインについては民間に任せた方がいいのではないか。例えばトヨタ生産システムという自他共に認める優れたシステムを構築したトヨタに任せれば、非常に効率的な行政システムを創り上げることだろう。またトヨタにとっても、これが成功すれば、特許をとって、新たなビジネスを展開することができるであろう。(大野耐一トヨタ生産方式ダイヤモンド社を参照のこと)。



  



しかし、「行政システム」ではなく「まちづくり」、「まち空間づくり」という点ではトヨタシステムの手法がどこまで有効であるかは疑問である。



例えば、コンパクトシティの実践として、東北では青森市がいち早く取り組んでおり、それなりの実績も出している。ただ問題なのは、街の機能性を高めることにはある程度成功しているものの、観光客を呼べる街にはなっていないということだ(※ この点についても、足立基浩『シャッター通り再生計画』ミネルヴァ書房を参照した)。



ここで重要なのは、まちづくりにおいて、そこに住む人たちの機能性や生産性を向上させるまちづくりと、外部から人を呼び込む、観光地として魅力ある街をつくることとは別問題であるということだ。そう考えれば、行政や都市のシステムはトヨタがデザインして、建物については建築家がデザインすればいいという、従来からよく見られるような分業体制になる訳だが、果たしてそれもどうだろうか? 



この問題を解決する上で、まだ明確には分からないが、篠原氏が「都市」ではなく「都市空間」にこだわった点がやはり重要だと思う。人間の身体や生活にもっと密接したところから街をつくるべきだろう。そこで思いつくのがやはりジェイン・ジェイコブズアメリカ 大都市の死と生』(鹿島出版会だが、これはすでに多くの人が指摘していることなので、私が改めて言うまでもないだろう。



  



そこでもう一歩踏み込んで、これはもう五十嵐大介しかないだろうと思い『リトル・フォレスト』(講談社を読み始めた。



  



小森(リトル・フォレスト)のこと


小森は東北地方のとある村の中の小さな集落です


商店などはなく ちょっとした買い物なら


役場のある村の中心まで出ると


農協の小さなスーパーや商店が数軒


行きは おおむね 下りなので 自転車で30分くらい


帰りは どのくらいかかるかなあ・・・


冬は 雪のため徒歩になります


のんびり1時間半でしょうか


でも ほとんどの人たちは


買い物は隣町の大きな郊外スーパー


なんかに行くようです


わたしが そこに行くとなると


ほぼ一日がかりになります

こ、これだ!!!



と確信したが、体がついていかない。しばらくまともな自炊をやっていないので、感覚がついていかない。これじゃダメだ。《復興》を提唱する前に、まずは自炊から始めなきゃ!(つづく)













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