文学のための覚書き



1.前衛 / 保守

前にあったものを何でもかまわず徹底的に拒否すればするほど、ますます過去に依存することになる。
ポール・ド・マン「文学の歴史と文学のモダニティ」)

祖先から後世へ伝えるという伝統のただ一つの形式が、すぐ前の世代に属する人たちの残した成果をめくらめっぽうにさもなければおそるおそる守ってそのしきたりに追従することだとすれば「伝統」はきっと力を失ってしまう。
(T.S.エリオット「伝統と個人の才能」)


2.現在 / 伝統

「現在が表現されたのを見てわたしたちがあじわう喜びは、現在が身にまとうことのできる美からくるだけではなく、現在が現在であるという本質的な特性からもくるのである。」
ポール・ド・マン

伝統はまず第一に、二十五歳をすぎても詩人たることをつづけたい人なら誰でもまあ欠くべからざるものといってよい歴史的意識を含んでいる、この歴史的意識は過去が過去としてあるばかりでなく、それが現在もあるというだけでなく、ホーマー以来のヨーロッパ文学全体とその中にある自分の国の文学全体が同時に存在し、同時的な秩序をつくっているということを強く感じさせるのである。
(T.S.エリオット)


3.生 / 圧力

「生」は、生物学ばかりか時間の観点からも、現状に先立つものいっさいを忘れる能力であると考えられている。
ポール・ド・マン

詩の問題で大切なのは情緒つまり詩を構成する要素が「偉大」だとか強烈だとかいうことではなくて、緊張した芸術的方法、言葉をかえれば化合の現象をひき起こす強い圧力であるからだ。
(T.S.エリオット)


4.衝動と持続 / 新しい

瞬間的なものと完結した全体、ひたすら移り変わる動きと形式というこの理想的な組合わせ(モダニティへの衝動と芸術作品にある持続の要求を両立させるような組み合わせ)
ポール・ド・マン

新しい作品が型にはまっているように見えて実は個性的かも知れないとか、個性的に見えていて型にはまったものかも知れないとかわれわれは言う。だが、新しいがそのどちらか一方だけで他方ではないということはまずないようだ。
(T.S.エリオット)


5.非我をもとめる自我 / 非個性的な

「飽きることなく非我をもとめる自我」が、ともかく、文学と呼ばれる特定の存在様式の始めの瞬間に相当するのである。すぐわかることだが、文学は、自己否定の一瞬としてでなく瞬間もろもろの連続とか持続と表現してもかまわない複数の瞬間として存在する物である。
ポール・ド・マン

この非個性的な詩論(中略)。成熟した詩人の精神が未熟な詩人の精神と異なるのはまさに「個性」の価値にあるのでもなく、成熟した詩人の方が当然興味がふかいとか「言うべきことが多い」とかによるのでもなくて、成熟した精神はこまかに完成した媒介になるために特殊ないろいろ変わった感情が自由に新しい複合体をつくるということにあるとのべた。
(T.S.エリオット)


6.珍しい総合 / 特殊な媒体

即時性の経験すべては、それらの暗黙の限界と相まって、過去の重みや未来の心配などの別の時間の次元の事柄からきり離された現在の開放感と自由を、もっと長大な時間意識がやはりなければ得られるはずがないそういう完全な全体感となんとか結びつけようとする。こういうわけで、詩的精神の象徴のような人物であるとされるコンスタンタン・ギイスは、行動する人(すなわち、過去と未来からきり離された現在の人)ともっと大きな全体の中では当然つながっているもろもろの瞬間を観察し記録する人間との珍しい総合なのである。
ポール・ド・マン

詩人がもっているのは表現すべき「個性」ではなく、特殊な媒体 ーこれは媒体というだけで個性ではないー で、その媒体によって印象と経験とが特別な思いがけないしかたで結合するからである。(中略)詩は、実際に活動している人にはとうてい経験と思われないような多数の経験が集中したものであり、集中の結果生まれたものである。しかもその集中は意識したり計画したりして行われるのではない。こういう経験は「回想」されるのではなく、でき事にはおとなしく受け身になるというだけの意味で「平静な」雰囲気の中で結局結合するのだ。
(T.S.エリオット)