《福永信フェア担当者日記》その2




(7月15日 水)この日記、なんか話作り過ぎちゃうか?



  イソケンが芥川賞をゲット!!!






磯崎憲一郎終の住処



世紀の発見

世紀の発見


眼と太陽

眼と太陽


肝心の子供

肝心の子供

(7月14日 火)ビタミン不足を解消せよ!


朝イチ、タイガースのカルテ(デイリースポーツともいう)をチェック。主治医の松ちゃん(松村邦洋)の報告によるとチーム状態は春先よりも上がっているとのこと。新井選手の手記、福原投手のコメントをチェックするも、選手の気持ちはまだキレていない。先発ローテも二軍から登用の動きあり。勝敗を計算しづらいが夏場を乗りきるためには必須の動き。岡田前監督が12日の巨人戦のミスを端的に指摘している。病巣はココか。岡田前監督はほとんどノーサインだったそうだけど、「=何もやっていない」とは訳がちがう。状況の読みが天才的なのだ。あれはマネしたらダメ。


あの時点の2点差を考えたら、寺内もよほど走者が飛び出てへん限り、普通は一塁へ投げるやろ。無死二塁はフォースプレーとちゃう。二塁走者を殺すにしてもタッチプレーやから、そんなにリスク冒して思い切ってセカンドへは投げれんのに。だから狩野は寺内が一塁に投げるのを見てからスタートすれば、よかっただけのことやん。判断ミスやな


打者が金本というのもあるけど、走者一、二塁になっても巨人の外野は普通に後ろで守っとったやん。「シングルで同点なってもええ」っていう守りをしてくれてんのに。ということは関本でもホームかえれるのに、なんで藤本を代走に出すんよ。その時点で内野手の控えはおらんようになってもうてんねんで!

岡田前監督のときは、監督が一人で状況を読んでやっていたのだろうけど、今の体制なら首脳陣が各自読みを働かせて状況を確認した上で、監督が指示を出すというシステムにしていかねばならないだろう。真弓監督は「読む」というより「センス(選択)」の人だろうから。












終日、読書&睡眠。それにつけてもよく眠るヤツだ。





福永信フェア棚》から1冊物色す。




古井由吉


「白暗淵」(講談社

「愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑」(翻訳・岩波文庫

「ロベルト・ムージル」(岩波書店













愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫)

愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫)



円城塔フェア棚》から1冊物色す。



ジャック・ルーボー

「麗しのオルタンス」創元推理文庫


■馬鹿ミステリとみせかけて、音階と入れ替えの渦巻き超絶技巧ミステリ。



麗しのオルタンス (創元推理文庫)

麗しのオルタンス (創元推理文庫)

(7月13日 月)まだねむいらしい。


100%ORANGE


「よしおくんがぎゅうにゅうをこぼしてしまったおはなし」(岩崎書店

「グリンピースのいえ」(教育画劇

「おひっこし」(学研)

「思いつき大百科辞典」(同)

「スパゲッティーになりたい」(同)

「ぶぅさんのブー」(福音館書店

「Mable」(トリコロールブックス)


福永くん憧れの100%ORANGE一家ご来店。砂尾スナオくんの人たち。絵本そのまんまな感じ。



SUNAO SUNAO

SUNAO SUNAO

  ジュンク堂書店新宿店では7F芸術書コーナーと8F児童書コーナーに置いてます。



そうそう福永信くんは五郎くんそのまんまな感じ。


五郎はおちつかず、家の中をウロウロした。夏きこうしゅうから帰たくした姉に「うるさい」と言われ、けられた。

(よく年)


五郎は落ち着かず、家の中をウロウロした。夏期こう習から帰たくした兄に「うるさい」と言われ、けられた。

  ※ 福永信「五郎の五年間」『アクロバット前夜90°』(リトルモア)所収より

五郎くんは毎年けられる。信くんが毎年けられていたかどうかはわからない。



アクロバット前夜90°

アクロバット前夜90°





さて、100%ORANEGEさんの『Mable』は僅少本なのですが、まだ1冊在庫があります。ただ表紙に傷がちょっとあるのがホント残念なのですが、なんと100%ORANEGEさんがかわいらしいイラストを書いてくださいました!!! ありがとうございます!!!(イラストの写真また後日アップします)


  ※ ネットならまだ買えるかも!!
   TRICOROOL BOOKS



それにつけても絵本はよい。知的レベルが高い。

 知的レベルランキング



福音館青土社

 《福音館》


母の友2008年11月号





ふくながしんさんの七五調小説


そろそろこんこん
もくもくぷかぷか、
ぷんぷんがらがらぺこぺこ


が所収されています!!!

たくさんのふしぎ2008年4月号


 青土社


現代思想2009年7月号


ようやく動物を論じるに至ったか。「現代思想」も「たくさんのふしぎ」のレベルに近づいてきたかな。

(7月12日 )早番・残業なし!

  読書中なんですけど、なにか?


(7月11日 土)Headline News


マンガっち おフランス で モッテモテ !!!






「おまえはなんてかわいいんだベイビーキスしたいぜ 」by フランス人・男性



■ 一家に一体マンガっち 欲しい!



島島ダイアリー 6月30日〜7月7日





 《ゲスト選書(その3)円城塔》はじまりました!!!







「家が燃えた時に買い直す本を選んでみました」by 円城塔



■ 一家に一冊「岩波 数学入門辞典」 いらんいらん



※ 選書リストも店頭で配布しています!!!





岩波 数学入門辞典

岩波 数学入門辞典

(7月10日 金)スタバで爆睡


  作業中

(7月9日 木)早番


円城塔の正体はタワー型コンピュータだという噂が巷にひろまっているらしいのですが、円城さんは人間です。たぶん。

一昨日は、福永さんと円城さんと、このふたりはもう何度も見たからどうでもいいのだけど、なんと芥川賞候補作家の藤野可織さんが来店されたらしい! 悲しいかな、その時ぼくはいなかった。



藤野さん、すっごくかわいかったです。小説書いているとは思えないほど小さな手をしてました!

と同僚が報告してくれた。嗚呼、、、



福永信フェア》の棚にも女性作家が何人もいて、多和田葉子さんや柴崎友香さんは僕もよく読んでいてナルホド! コーラ姫もこのまえ読んでナルホド!! で、金井美恵子さんや笙野頼子さんはほとんど読んでないけど、ナルホド!!! って感じなのだけど、まだ読んでなくて、そんで気になっているのが、宮崎誉子さん、谷崎由依さん、そして藤野可織さんなのだ。


宮崎誉子
「世界の終わり」(リトルモア









谷崎由依
舞い落ちる村」(文藝春秋






藤野可織
「いやしい鳥」(文藝春秋







ああ読みたいかな。 あとイケメンのイソケンの新潮6月号に載ってる芥川賞候補作品も7月18日のトークまでに読みてぇかな。







世界の終わり

世界の終わり

※ 店頭在庫ありますが僅少本です。ご希望の方はお早めにお買い求めください。



舞い落ちる村

舞い落ちる村



いやしい鳥

いやしい鳥

   ※サイン本あります。


磯崎憲一郎終の住処


(7月8日 火)7月5日の日記《完結篇》


佐々木敦さんご来店。レジで「ちゃんと店員やってんじゃん!」ってツッコまれる。「お買上げありがとうございます!」とボケてみる。いやボケ、てない。

 今日も昨日もいろんなことあったけど、書くとながくなるから明日にする。






 はい、肝心の写真。



 《写真展》

タイトル:LAND SITE MOMENT ELEMENT



《DIVISION - 3》(6月26日〜7月14日)

 相馬泰越田滋



相馬さんや越田さんの作品を観る際の身の置き方として、ちょうどよい文章があったので少々長くなりますが引用しておきます。大谷能生さんの著作からです。


今回の『相馬泰&越田滋展』はこういう状態になれるのではないかと思います。例えば昨年展示された坂本政十賜さんのたった7枚の阿佐ケ谷のシリーズがまさにこんな感じでした。


僕自身も越田さんとは先日いろいろとお話したので変な迷いはなく、あとはもう観て感じとるだけという状態まで来ています。他方、相馬さんとはほとんど話せなかったので、正直、相馬作品についてはまだまだ???という感じなのです。次の休みにもう一度観に行こうと思います。これから紹介する文章のような状態で。



「泥沼」と「狂気」のイメージ


ヴェトナム戦争が「泥まみれの戦争」だ、というパブリック・イメージがどのように形成され、定着していったのかについて、生井さんは資料を引きながら述べてゆきます。ヴェトナムは「泥沼」のようだった、というイメージは典型的なものですが、生井さんは、ここで「だが」と続けます。



「泥まみれの戦争」   だが実を言うとこの表現は、一方で、ヴェトナム戦争というこの不明瞭で不名誉な戦争の本質を見誤らせてしまうような罠を秘かに隠し持っている。何故ならヴェトナムおよびインドシナ半島とはけっしてア・プリオリに泥沼という語で象徴されるべき汚濁の地だったのではなく、旧植民地宗主としてのフランスとその肩代わりとしての実質上の新植民地宗主の立場に身を置いたアメリカとが彼ら自身の手でそこを泥沼へと化していったという明らかな事実があるからである。

重要な指摘ですね。ヴェトナム戦争を泥沼のイメージで捉えること自体がアメリカからの見方であるということです。しかし、こうした見方を押さえておいた上で言うならば、やはり、ヴェトナム戦争アメリカにおいては、「泥まみれの戦争」、「泥濘の中の狂気」、というイメージに収斂されてゆき、「ヴェトナム戦争の文化イメージ」は、以後、このような「泥沼」といったイメージの周囲に配置されてゆくことになるだろう    と生井さんはヴェトナム帰還兵出身の小説家ティム・オブライエンの『カチアートを追跡して』を引きながら解説しています。


彼らは自分が戦争で得た経験を、母国に戻って語ろうとするのですが、「泥沼」や「不名誉」っていうイメージの周辺にしか、自分の経験を配置することができない。『カチアート』のほかにここで生井さんは、フィリップ・キャプトゥの『戦争の噂』という従軍記を引きながら、交戦中および、終戦直後のヴェトナム戦争の「イメージ」化が、実際の戦場経験者にとって如何に困難なことであり、その経験はアメリカ的な価値観から観るならば「狂気」という言葉に結びついてしまうものであったということについて語っています。



死と隣り合わせの極限まで追いつめられながら実際にはなにも起こらず、それでも一瞬たりと見えざる敵に対して気を緩めることのできない、宙吊りにされたような緊張の連続。そうした極限状態をキャプトゥは「密封された緊張感(ボトルドアップ・テンション)と呼んでいる。この状態が、ヴェトナム戦争に関する最大のパブリック・イメージである〈狂気〉と直結していることは言うまでもない。それは、激発し外へ向かって自らの病根を曝け出してしまう狂気(マッドネス)ではなく、ひたすら内に沈み込み我と我が心を抑えつけ、歪ませ、しかもなお執拗な刺激で絶えず病根をそそけ立たせてしまうような狂気(マニア)なのだ。

こういった「狂気」を、どのようにして「みんなが経験するかもしれない、特に異常ではないある状態」として「イメージ化」してゆくか?という作業が、一九七〇年代後半から八〇年代にかけてのアメリカにおいて、ほとんど社会問題にまでなってゆく。こうした作業について、この本は実に丁寧に語ってゆきます。


第二次世界大戦までは、戦争っていうのは「密封された緊張感」に支配されたものではなくて、ほとんどアメリカン・フットボールみたいなイメージで把握できる、いわばヒロイックなものだったんですね。あの時パスを出したのが良かったとか悪かった、とか。スポーツだったらルールが共有されていて、勝ち負けもわかりやすくて、失敗とか成功がはっきりしてて、失敗したら「あーっ、くそう、あん時のミスが!・・・あそこで成功してたら俺は勝ったのに!」っていう、ほとんど心地よいというか、頑張ったんだけどダメだった、みたいなある種の思い出になるわけなんですけど。そういったルールすら合わない、どんなゲームだったかもわからないっていう理不尽な状態で、しかしもう本当に生きるか死ぬかの大変な目にあって帰ってきた時、その経験は語る以前に、まずそれを自分のなかで認識できないってことにもなってしまうわけです。これは大変つらいことですね。これまでのモデルがまったく使うことのできない経験は    逆に言えば、ある種のロール・モデルさえあれば、「戦争」っていう経験も容易に社会的な位置付けを与えることができて、一般人でも気軽に参加できるような、きわめてまともな経験として「イメージ」することができるようになる。戦争を日常の延長に把握できるようなモデルさえあれば、そこでの経験は「狂気」には結びつかないわけです。こういった「戦争」の把握の仕方は、特に日本ではなかなか現在難しいものになっているようですが、それはさておき、こうした「狂気」を、どのように社会的な存在として引き受け、イメージと言説を与え、向き合って納得できる「モデル」を形成してゆくか? こうした作業が「ヴェトナム戦争の文化とイメージ」である、というわけです。



芸術で戦争を表現すること


話がちょっと反れますが、「ヴェトナム戦争」の「イメージ」として、こういった「瓶詰めの緊張」を構造的に畳み込んだ作品としての「音楽」というもの、つまり、ゲリラ戦に対応する世界観を供えた「音楽作品」っていうものがあれば、それは、自爆テロその他が日常化している世界において行動するための、格好の思想ツールになるんじゃないか、とぼくは思っています。これはジャズ講座で菊地成孔さんともよく言っている話なんだけど、音楽において演奏者と聴衆を「ヴェトナム戦争状態」にして、それをキープするっていうのは結構難しいぞ、みたいな話ですね。音楽以外にも、スポーツ。アメフトタイプでも野球タイプでもない、それこそスポーツはメタファーとして戦争と直結しているわけですが、それこそアメリカが中東でやってる戦争にピッタリくるようなスポーツのルールってのはどういうもんなのか? うん、そういった意味で、現在的な経験を反映した音楽のあり方、響き方ってのはどういうものになるのか?ってのはやっぱり作品を実際に作ってる人間として常に考えることです。




※ 大谷能生『散文世界の散漫な散策』メディア総合研究所 pp.118-121.


※ 文中の引用は、生井英考『ジャングル・クルーズにうってつけの日    ヴェトナム戦争の文化とイメージ』三省堂(あるいは筑摩書房


はい。福居伸宏さんクラスの人ならばピンときたかもしれませんが、実は吉村朗さんの作品について考えていたときにこの文章を読んで、このアプローチは有効かもしれないと思って付箋を貼ったのです。


最後に吉村朗さんの作品を紹介しておきます。




 吉村朗『SPIN モールユニットN°9』から




(ブレインズ叢書2) 散文世界の散漫な散策 二〇世紀の批評を読む

(ブレインズ叢書2) 散文世界の散漫な散策 二〇世紀の批評を読む



吉村朗 SPIN モールユニットNo9

吉村朗 SPIN モールユニットNo9

(7月7日 火)続続・7月5日

今日もいろいろあったけど、書くとながくなるから明日にする。






はい、肝心の写真。



 《写真展》

タイトル:LAND SITE MOMENT ELEMENT



《DIVISION - 3》(6月26日〜7月14日)

 相馬泰越田滋

つづいて越田滋さんの作品。




※ すみません。これも写真のデーターを持ってないのでパンフレットをスキャンしました。画質ボロボロです(越田滋さんの写真はこちらを参照してください)。



今回、越田さんが出展しているのは《首都高速道路の橋脚》のシリーズと《ガード下のトンネル》のシリーズ。



ま、当然かもしれませんがギャラリートークでも次のような質問がありました。


 これはベッヒャーの二番煎じなのか?






あるいは、写真の文脈ではなく建築の文脈を知っている人ならば、


 これは塚本由晴+貝島桃代の二番煎じなのか?





  メードイントーキョー


メイド・イン・トーキョー

メイド・イン・トーキョー


 首都高速ガイドブック

 塚本由晴+香川貴範+小林太加志+長岡大樹+吉村英孝




※ 「首都高速ガイドブック」の資料が今手元にないので、とりあえずこちらをご参照ください。

と思わず問いたくなります。



最近では「団地萌え」や「工場萌え」といった文脈に位置付けられるのでしょうか。東京タワーや東京都庁といった建物と違って首都高速道路をじっくり見る人はまずいない。でもよく見てみると、例えば橋脚は、重量感がありつつもフォルムは均衡が取れていて、なかなか魅せる。またバリエーションもたくさんあって面白い。


つまり、

越田作品は、ある種のタイポロジーとしての記録。もっと簡単に言ってしまえば、カタログではないか。


と結論付けたくなってしまいます。



しかし、あとでさわりだけ説明しますが、越田さんはベッヒャー(タイポロジー)とは全然違う問題意識で首都高速道路の橋脚に対峙しています。



にもかかわらず、「ベッヒャーみたい」って言われるのは何故でしょうか?



「ベッヒャーみたい」って言われるのは、僕の作品がベッヒャーの力にまだまだ負けているからかもしれない。

と越田さん自身もおっしゃってました。



ま、それも一理あるかもしれませんが、すぐに「ベッヒャーみたい」と言ってしまう鑑賞者にも問題があります。多くの人が情報や先入観に毒されて、作品そのものを観られなくなっているのです。そう、写真を鑑賞する際には、観る側の力量も当然問われるので、やはりそれなりの緊張感を持って作品に挑まねばなりません。




説明しましょう。まず越田さんが自らの《原点》と位置づけているこちらの写真作品をご覧下さい。





なんかいいでしょう。「なぜいいのか?」、その理由をもう少し的確に説明することもできますがひとまず留保します。ここで何を分かって欲しいかと言うと、越田さんが首都高の橋脚に興味を示したのは、この《原点》と位置付けている作品において探究していることを首都高の橋脚(の空間)でもできるのではないかと可能性を感じたからだということです。



それでは最後に「補助線」を引いたイラストをアップしておきます。




 (原点イラスト)




 (展示作品のイラスト)



ほらね、ベッヒャーじゃないでしょ。



相馬泰さん、越田滋さん共に興味深い作品なのでぜひギャラリーへ足を運んでみてください。





※ その他、越田さんは現代美術とのかかわりが強く、写真の文脈ではなく、現代美術の文脈も作品に反映されています。例えば、今回展示しているのが、大判に引き伸ばされた写真作品(90センチ×90センチぐらい)なのですが、これについても評価が分かれます。仕上げのピントが甘く、これは写真としてはダメではないか、でも美術作品と考えれば許されるのではないか、また越田さんの作風からしても許容できるのではないか、というふうに意見が分かれます。さらに、それならばなぜこの大きさにしなければならないのか? と議論は尽きません。


これも《作品の展示&鑑賞》の醍醐味です。皆様もぜひ味わってみてください。



(7月6日 月)続・7月5日

今朝は時間がなかったのではなく、単純に寝坊した。






さてさて。肝心の子供。



肝心の子供

肝心の子供






はい、肝心の写真。



 《写真展》

タイトル:LAND SITE MOMENT ELEMENT



《DIVISION - 3》(6月26日〜7月14日)

 相馬泰越田滋

まず、相馬泰さんの作品。





※ すみません。写真のデーターを持ってないのでパンフレットをスキャンしました。画質ボロボロです(相馬泰さんの写真はこちらを参照してください)。



今回展示している作品は、東東京の下町。なんでもない風景ばかり。



 えっ! これは本当に観るに値する写真なの?

と思わず疑いたくなります。


しかし、相馬さんはキャリアもあるし、技術力もある。写真の知識もあるし、理論構築もしっかりしている。写真家としての能力が高いことはみな認めている。その相馬さんがなぜこんなって言ったら失礼だけど、こんな写真ばかり撮って、しかもそれを堂々と展示するのか!?



謎は深まるばかり。。。



ギャラリートークで相馬さんが1つヒントを与えてくれたので紹介しておきましょう。


写真を撮る時は当然、何かしらの意志が働いています。だから撮るんです。そして次に何を展示するかを選ぶとき、撮る時とは別のセレクトする意志が働きます。今回展示しているのは、《撮る時の意志》と《セレクトする時の意志》とのズレが大きかった写真です。

なるほど。



さて。これはほんのアイデアに過ぎませんが、相馬作品を鑑賞する際に《遅れてきた詩人の不安》の文脈をぶつけてみたらどうでしょうか。相馬さんはとにかく写真をよく知っている。しかも技術も兼ね備えている。ある意味どんな写真でも撮ろうと思えば撮れる。でも知り尽くしているからこそ、ますます写真が撮りづらくなってきているはず。



 私が撮るような写真は、先人がすでに撮っているはず。

この問題をいかにして写真家は克服するのか? それを相馬泰という写真家から読み解くというのはいかがでしょうか。相馬さんはこの問題をなんだかうまくすり抜けているように思います。しかも相馬さんはザックバランに色々と語ってくれますしね。



写真論ではありませんが、文学論の名著を一冊紹介しておきます。ハロルド・ブルーム『影響の不安』(新曜社)です。難解ですけど、翻訳がすごく親切な良書です。ちょっと高いですけど是非。この本の共訳者の一人がなんと小谷野敦さん! あの人、モテないだけあってさすがにいい仕事しますな(笑)。



影響の不安―詩の理論のために

影響の不安―詩の理論のために


童貞放浪記 (幻冬舎文庫)

童貞放浪記 (幻冬舎文庫)


もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)

もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)






続いて、越田滋さんの作品。


う〜ん、長くなるのでまた明日!


(7月5日 日経新聞買った。毎日→週1→月1→休止→プチ復活


 福永さんとひそひそ話。


(お知らせ)毎日新聞社のPR誌『本の時間』(8月号)は7月15日頃配布開始予定です。






 さて。書きますか!


 《写真展》


タイトル:LAND SITE MOMENT ELEMENT




《DIVISION - 3》(6月26日〜7月14日)


相馬泰越田滋

昨日のギャラリートークでまずビックリしたのは、建築家の日埜直彦さんにお会いしたこと。日埜さんと言えば『A . BBS』。もう10年以上前からやっている、なんだブログという日本語か英語か知らないけど、そういう言葉がまだなかった頃から続いている建築を議論するひろば(たまにケンカやってたりする 笑)。建築をやってない人でも五十嵐太郎さんを知っている人はけっこういるけど、日埜さんも建築をやってる人にとっては五十嵐さんと同じぐらい有名な方だ。


そんな日埜さんは郊外論を書こうと思っていて、相馬泰さんの写真に出会って興味を持たれたとのこと。「建築的アプローチ」ではなく、「写真を通してみえる郊外」の可能性を探っているとのこと。


僕の場合は、建築をドロップアウトしてふらふらしていて、知人の画家・山内崇嗣さんが出展していた昨年のVOCA展に行った時、出展していた写真作品を観て、他の絵画作品と比べても全く見劣りしていなかったので写真に興味を持った。それで現役の写真家にどんな人がいるのだろうと探していて、福居伸宏さんを知って、湊雅博さんたち、この展覧会に出展している写真家の皆さんと出会った。


実は僕も今回、《DIVISION - 1》で坂本政十賜さんが発表した『UNDER THE SUN』のシリーズを通して、新たな東京が発見できないだろうかと熟考中。なんとか文章にまとめて、どこかに発表したいと考えている。


色々な人と繋がったりループしたり。面白くなってきたぞ!!!



さてさて。肝心の写真。


(長くなるので、ひとまず打ちきり。明朝時間があれば続き書きます。なければ、日を改めて書きます。)

(7月4日 土)ソフトボール大会は予定通り開催されていました。


『石川くん』を読んでいたら、おばさんが話しかけてきた。啄木の短歌をたくさん暗唱して聞かせてくれた。最後に「啄木は大好きだけど、娘の婿にはごめんだわ」と冷静に言われて別れた。どこかで聞いたことある台詞だ。



石川くん (集英社文庫)

石川くん (集英社文庫)







《写真展》のギャラリートークに参加。収穫多し。また改めて。今日は告知だけ。それから、今《福永信フェア》の棚で展示をしてくださっている造形作家・冨井大裕さんの新たな展覧会も始まった。ジュンクの展示も含めると同時に3つの展覧会をやっていることになる。すっごい。僕は7日に観に行く予定だけど、今日は告知だけ。


 《写真展》


タイトル:LAND SITE MOMENT ELEMENT




《DIVISION - 3》(6月26日〜7月14日)


相馬泰越田滋

 《美術展》


 Inside Outline 冨井大裕+奥村雄樹




冨井大裕と奥村雄樹、二人は最近、人間の「からだ」
に興味を抱いています。それを互いに知った彼らは、
彫刻作品という形にして見せ合うことにしました。
古来より、美術における重要な問題である人体。
その古くて新しいテーマに、活躍中の作家が
どのように挑んでいくのか。ご期待ください。



会期:2009年7月4日(土)-2009年7月12日(日)


入場無料


開場時間:13:00-20:00
※但し4日(土)は15:00-20:00、
8日(水)と9日(木)は17:00-20:00


会場:KABEGIWA(武蔵野美術大学内2号館305教室)
JR国分寺駅北口バス停より「武蔵野美術大学」行き バス20分
西武国分寺線「鷹の台」駅下車 徒歩20分
http://www.musabi.ac.jp/info/map.shtml


協賛:コエドブルワリー
協力:MISAKO & ROSEN

    • -


関連企画:
公開レクチャー「美術における人体をめぐって」
冨井大裕×奥村雄樹×石崎尚
2009年7月7日(火)17:00-19:00
於:武蔵野美術大学内2号館203教室
(入場無料・予約不要)

(7月3日 金)ブラゼル選手はECO通勤


  ブルボン小林さんのコメントがすばらしい。

 「シンプル ノット ローファー」衿沢世衣子太田出版



 小説とかも含めて、09年上半期の最高傑作(そんなにたくさん読んでないが)。


 めくれば誰かが「仲が良い」ってだけで、本(をめくること)の意味がある。



シンプルノットローファー

シンプルノットローファー


ぐっとくる題名 (中公新書ラクレ)

ぐっとくる題名 (中公新書ラクレ)

(7月2日 後編)日記に前後編があるとは!


ほとんど仕事に時間をとられていることに変わりはないけれど、今日は早番で早く上がれたのでフェア棚でしばし立読み。《内田かずひろ枡野浩一フェア》偵察。色鮮やかなり。さて、どれから読もうか? 内田本は『春』に決定。枡野本は阪神ファンが出てくる新刊の小説にしようかと思ったけれど、思わず笑ってしまった『石川くん』に決定。ちなみに、この本の単行本の編集担当者だと書かれている竹上寛さんはたぶん知り合いだ。朝倉世界一のマンガも買いたいが今日は我慢。


そのまま《福永信フェア》へ。そろそろ《詩》に手を出したいところだけど、《ブルボン小林書店》で足が止まる。しばし立読み。衿沢世衣子『シンプル ノット ローファー』を購入。


帰りの電車で『シンプル ノット ローファー』をぼーとしながら読む。なんかすごく幸せな気分になる。マックでナゲット食べおさめ。×2個。余計な出費=贅沢=200円。車が欲しいとか薄型テレビが欲しいなんてちっとも思わない。贅沢なんてそんなもんだ。






 
  うわさの枡野書店が出現!!


 
  かさの看板


 
  内田かずひろさんの漫画


 
  内田かずひろさんのイラスト


 
  棚の一部。全部はご来店してのお楽しみ!!!




ロダンのココロ 春 (朝日文庫 (う21-1))

ロダンのココロ 春 (朝日文庫 (う21-1))


石川くん (集英社文庫)

石川くん (集英社文庫)


シンプルノットローファー

シンプルノットローファー

(7月2日 前編)芥川賞候補作品発表。おおっ!


別件で来店していた第二次惑星開発委員会の宇野常寛さんが棚を見にきてくださる。《思想地図&PLANETS》棚〜《福永信フェア》棚〜《内田かずひろ枡野浩一フェア》棚をご覧頂く。


宇野さん、写真で見るより1.5倍ぐらいデカイ!ドラゴンボールで言えばヤジロベーといったところか。ま、話してみると思っていた通りすごくスマートな方でした。東浩紀さんがその才能を高く評価しているのがよく分かりました。


宇野さんがどのような経緯でこのようなトータルバランスの取れた思考を身に付けたのかは分かりませんが、ともかく物事を捉える際のパースがすごく効いてます。例えばこんな具合です。



イベントを催すのは重要なこと。でもそのコンテンツを放ったらかしていたら効果はほとんど期待できない。だから書籍なり雑誌なりにして第三者が手に取れるようにする。またネットでも容易に検索できるようにせねばならない。「知る人ぞ知る」というのはもう機能しない。そしてカタチにしたらちゃんとセールスして売る!

単なるセールスマンが言っているのではなく、自ら思想を発信している思想家が言っているというのがミソです。一概には言えませんが、執筆だけでなく、自ら雑誌の編集&営業も行っているからこそ、こんなことがさらっと言えるのでしょう。


そうなのです。本を出版するぐらいの能力がある人ならば、自らの活動にもっと書店員とか巻き込んでしまえばいいのです。ただ、そのためには「書店員が棚を作りやすい本とはどういった本か」「どうやったら自分の本が他の本と連動して活力を産み出せるか」といったトータルな思考を書き手にも身につけて頂きたい。当然、こちら(書店員)も考えますけれども。



宇野さん、福永信内田かずひろ枡野浩一さん達の選書にいたく感激された模様。


えっ!こんな本も選書してんだ。そうですよね。選書している側が楽しんでないとダメですよね。僕もやりますよ!


近々、紀伊國屋書店新宿本店で《宇野常寛選書フェア》が催されるとのこと。宇野さん、吹っ切れたようではありますが、明後日の方向へ走り出してしまったような感じもしなくない。僕は知らない。合掌。





ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力


 PLANETS vol.6


 [特集]お笑い批評宣言


 ジュンク堂書店新宿店でも、もちろん売ってます!!!


NHKブックス別巻 思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ

NHKブックス別巻 思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ

(7月1日)きょうから7月


ライバル店出店! 《福永信フェア》ピンチ!!


目と鼻の先にあるエレベーター前の棚でマンガ家の内田かずひろさんと歌人枡野浩一さんのフェア『絵と言葉のあいだで』がスタートしました! 今日いちにち、大きな枡野さんとほそ〜い内田さんがせっせとせっせと棚をこしらえておりました。そして完成しました。こりゃ見事な出来栄えですわぁ。ひゃあ〜。明日写真撮ってきますわぁ。8月にトークもありますよ。詳細は改めて。(ちなみに枡野さんのブログはこちら。)


夜 福永氏と東京天竺一行がご来店。はい。『東京天竺』を販売してます。詳細はこちら


福永氏ポップを追加。《柴崎友香谷崎由依 みみより情報!》が書かれています。それで、福永氏イチ押しの柴崎さんの短編連作小説「ビリジアン」が毎日新聞社のPR誌『本の時間』の4月号から掲載されているのですが、特別にバックナンバーを配布できることになりました(無料)! 毎日新聞社様、ありがとうございます。『本の時間』4月号〜8月号。2,3日後に配布開始予定です。お楽しみに!!!


プライベートの読書は安定飛行へ。シートベルトをはずしてもOK。小説と哲学書の2本を並行して読み続ける。フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』と高橋哲哉デリダ』。がっちり理解しようというよりも頭に刷り込むように。




ロダンのココロ 夏 (朝日文庫)

ロダンのココロ 夏 (朝日文庫)


僕は運動おんち (集英社文庫)

僕は運動おんち (集英社文庫)




ワンダーワード―柴崎友香漫画家対談・エッセイ集

ワンダーワード―柴崎友香漫画家対談・エッセイ集


舞い落ちる村

舞い落ちる村




ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)


デリダ (「現代思想の冒険者たち」Select)

デリダ (「現代思想の冒険者たち」Select)