《師走日記2009》その2
(12月30日)ゼロ年代さいごの書き込みです。みなさん、よいお年代を!!
■ アップしました。
■ 感想文少しだけ加えました。
■ ハイリンド「森モリ」公演感想文
■ 戌井昭人さんの本が2冊出た! どちらもすっごくよい!!
(12月29日)
《 秋の演劇十番勝負!!!!!》
ついに完走しました(涙。。。
■ 庭劇団ペニノ『太陽と下着の見える町』感想文アップしました。
あまり建設的な感想文を書けませんでした。僕のウィークポイントなのですね。《精神分析》は個人的に好きじゃないので、フロイトやラカンを意識的に読んでいないんです。この分野を開拓するか、わざと放っておくか、ちょっと考えます。
■ あした(30日)は何かあったような? えーと?
そうだ!
ポ祭だ! ポ祭だ!!
ワッショイ! ワッショイ!!
詳細はこちら!!!
※ アラザルも参戦との情報をキャッチしましたけど、いったい何を???
(12月28日) カリスマ編集人O氏からの口コミ情報!!
《第54回岸田國士戯曲賞最終候補作品発表!! 》
神里雄大『ヘアカットさん』
柴幸男『わが星』
野木萌葱『五人の執事』
福原充則『その夜明け、嘘。』
前川知大『見えざるモノの生き残り』
松井周『あの人の世界』
なんと《秋〜冬の演劇フェア》に協力してくださった劇作家が4名もノミネートしてるじゃあーりませんか!! ま、業界での格付けは、
1.ノーベル戯曲賞
2.阪根タイガース
3.岸田戯曲賞
というのが通説なので取り立てて言うほどのことでもないんですけどね。
しょうもない話はさておき、どうでしょう? どれも傑作なので誰がとってもおかしくないですが、ひょっとすると柴幸男くんがいくかもしれませんね。あの子、プレッシャーに弱そうなのでヘタに賞とか獲らないほうがのびのびできていいかもしれませんが、『わが星』は演劇界に一石を投じた問題作ですからね。平田オリザさんの現代口語演劇クラスのブレイクスルーをやってのけたと、私も評価します。
私の目撃証言はこちら。
P.S.
《秋の演劇十番勝負》ですが、最後へばってしまって全ての感想をアップできてません。明日29日中にアップします。いましばらくお待ちください。
(12月27日)アップしました!
Review House最新号(vol.3)ついに出ました!!
(12月26日)アップしました!
(12月25日)
■ さとうりさ展@フォイルギャラリーと金氏徹平展@ギャラリーαMをはしご、というか階段と言ったほうが正確か。なんせ同じビルの2FとB1Fなのだから。
両者とも観ておもわずニヤニヤしてしまう。イマジネーションネジネジマジマジって感じで、もう笑うしかない。笑い飛ばすしかない。この幸せプライスレス(ちなみに入場無料でした)。
さとうりささんは、僕がアーバーナートに出品した時に大賞を獲った人。僕にとっては松坂世代にとっての松坂のような存在。現代アートは野球みたいにインフラが整備されていないから何億も稼ぐアーティストにはなっていなかったけどちゃんと作家活動は続けているみたいでした。よかったー
アーバナートに出展していたのは大きな人形をおんぶして街中に繰り出すといったパフォーマンス&リアクションアートだったけど、芸大の人だから絵もうまいんだろうなーって思っていたら案の定でした。絵もデッサンも造形物(彫刻)もうまい。言わばピカソのようなもんで、作ろうと思えばなんでも作れるのだけど、唯一問題なのは自らを創作に向かわせる《モチベーション》。さとうりささんの場合は、どうやら自ら生み出したこはちというキャラクターといっていいのか、ともかくこはちが自律的に動き出して作品が生まれ続けるという状態になっている。《作品=生き物》まさに!!
■ 西山雄二『デリダ入門』@朝カル新宿教室を聴く。前期の「ヘーゲル論」に続き、今期は「レヴィナス論」を読了。3H(ヘーゲル、フッサール、ハイデガー)とレヴィナス、デリダの位置関係が明確に掴めた。次期は「レヴィ=ストロース論」に挑む。哲学は思考の基礎。土台作りを着々と進める。
- 作者: ジャック・デリダ,若桑毅
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 1977/12
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- 作者: ジャック・デリダ,梶谷温子
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S.E最新号(vol.3)出ました!!
(12月24日) 《SPECIAL NEWS》
祭だ! 祭だ!!
ワッショイ! ワッショイ!!
ポ祭だ! ポ祭だ!!
ワッショイ! ワッショイ!!
詳細はこちら!!!
(12月23日) 《SPECIAL NEWS》
文芸批評本3連発刊行!!!
《クリーンナップ》
3番 ファースト 佐々木敦
4番 サード 古谷利裕
5番 セカンド 前田 塁
《写真》
《動画》
祭だ! 祭だ!!
ワッショイ! ワッショイ!!
(12月22日) 《SPECIAL NEWS》
『アラザル vol.3』
12 月21日から店頭販売開始 !!!!!
ジュンク堂書店新宿店でも販売しています。
アラザル3・掲載論文
拙著「現代小説解読講義:柴崎友香『その街の今は』」
※ アラザル同志の西田博至さんが文フリで配布したFP用に著者インタビューをしてくださいました。このインタビュー記事は私自身もすごく気に入っているので転載させて頂きます。
阪根さんはもともと建築をやっておられた。小説もあまり読まなかったそうですが、柴崎さんの小説は、最初に読んだときから、バチッときました?
はい。たしか『フルタイムライフ』を初めて読んだんですよ。古谷利裕さんのブログで知って。いわゆる物語らしい物語がなく、淡々とした日常が淡々と書かれていると言われていました。読んでみて確かにそうなんですけどね、ちゃんと世界が立ち上がってくるというか、きちんと伝わってきました。
柴崎さんの小説に於ける世界の立ち上がりかた、と云うのは、それまで親しんでこられた建築書や哲学書では、まるで感じられなかったもの?
書物としてはあまり経験なかったのですが、自分が作ろうと思っていた建築のイメージにすごく近かったんです。僕が学生のときは、まだ自分で手が動かないし、もともと美大の人みたいにデッサンとか訓練してませんから、自分でデザインを立ち上げるのはすごく時間がかかるし、その時間に耐えられない。だから作品集を見て、これがカッコイイと飛びつく訳です。
初めは月並みですが安藤忠雄でした。でも東京の学生にはあまり人気がなかったんです。はやっていたのは妹島和世、伊東豊雄です。海外だとレム・コールハースやヘルツォーク&ド・ムーロン。だいたいこのあたりをネタ元にみんな一丁前につくる訳です(笑)。
で、ぼくも一度課題で妹島さんっぽいのを作ったんです。全面ガラスで細い柱があってという感じで。空間構成は結構面白くできたと思います。でもね、生理的に合わないんですよ(笑)。これには住めない、住みたくないって(笑)。 それからコールハースっぽいのもやって、これはアーバナートでスポンサー賞獲ったんですよー。結構コテコテ作りこんだし、それでOKなんで生理的にはよかったです。 ただこの頃は学生の勢いでちょっとアートっぽくなりすぎてインスタレーションになって、建築から離れちゃったんです。で、しばらくは作らずに、学校出る頃になって、自分がどういう建築を作りたいのかをもう一度考えたんです。それで興味を持ったのがルイス・カーンで。
もともと僕は手が動かなくて頭で作ってたから、だったら本当に哲学で作ってる人いないかなって思って引っかかったんです。伊東さんや妹島さんはやはりデザインが面白いけど、思考というか、哲学レベルの思考がめちゃくちゃ面白いのがカーンで。それで頭から入ったのだけど、カーンのつくる住宅はすごくいいんです。この家住みたい!って思った(笑)。で、渡辺明さんの事務所へ勤める頃には、奇抜なデザインとか、新しさだけを求める気持ちはほとんど冷めていて、ほんと基本に戻って、ちゃんと図面引いて、ディテール書いて、それで住みたいって思える建築を作りたいっていう、かなり保守的なところにおさまっていたんです。
それでこの話はまとめに入るけど、デザイン的に奇抜だとか、新しいとか、アルゴリズムがどうだとか、その方面はもうタッチする気持ちはなく、僕は「ああ、ここに住んで気持ちいい」っていう感覚を追求しようと思った。建築では失敗したけど、その気持ちは今でも持続していて、すごく分かりやすい話になっちゃったけど、それで読み始めたのが、柴崎友香さんだったり、保坂和志さんだったりで、現在もこのラインが軸です。それで、柴崎さんの小説もなんでもないように書かれているけど、ちょっと深読みしたり分析して考えると、けっこうすごいことやってるんですよ。これは僕が建築していたときの実感にすごく近くて、出来あがった建物って、デザインが奇抜でもない限りホント存在感ないっていうか、せいぜい「なかなか綺麗な建物やなー」って思われるぐらい。でもすごい図面書き込んでいるし、実際に住んでもいいって思える建築って、才能と技術がある人じゃないとやっぱりできないんです。今回の柴崎さんの論考は、そういうところを書きたかったし、今後ほかの作家を論じる際も同様だと思います。ま、あまり「どうだ!すごいだろ!」って言い過ぎるのも逆効果なので、そのあたりはうまいことやりますけどね(笑)。
- 作者: 柴崎友香
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/04/25
- メディア: 文庫
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(12月21日)
■ 《ミニコミ2.0》速水健朗×宇野常寛(司会 武田俊)トーク。
「宇野は手ごわい」。この一言に尽きます。
会場でツイッターをやっている人が数人いて、(なんと津田大介さんもいた!)リアルタイムで「宇野、佐々木敦をディスる」とか報道されていたのでしょうか?
確かにそういう話も出たのですが、宇野さんの竹を割ったような物言いは、全然不快ではなく、また速水さんがうまくフォローしていたので文脈を読み違えることもありませんでした。
宇野さんはサブカルチャー志向が強く、佐々木敦さんはハイカルチャー志向が強いという違いは確かに感じられますが、その違い以上に際立っているのは、宇野さんのサブカルチャーに対する絶対的な自信です。
たとえ昨今のサブカルチャーを取り巻く環境が決して良いとは言えない状態であっても、メディアの嗅覚が衰えていても、オレが変えてやる、よのなかを変えてやるぐらいの強いモチベーションを今日のトークから感じましたし、実際すでにやってもいます。宇野さんの立ち位置を確認しておきましょう。『思想地図4』から。
国内において近年とみにハイカルチャーとサブカルチャーの文化空間における存在感や海外からの関心が、圧倒的に後者に寄っているのはなぜか。国内においては相対的に地域、階級、民族といった社会内の対立関係が弱く、それが表現を構成する外部性として機能しにくい。その結果、国内社会においては相対的に市場とその流動性のダイナミズムこそが極度に肥大したかたちで外部性として機能している。現代の国内社会におけるサブカルチャーの優位は、この社会が市場に象徴される過剰な流動性以外に有効な外部性をもたないからであり、またその状況が「すべてがコミュニケーションで決定される」特異な社会(それはグローバリゼーションのもたらすフラット化が徹底されてた社会、でもある)を生んでいるからである。そこで商品として生み出されるサブカルチャーは否応なく市場という外部性、および〈すべてがコミュニケーションで決定される社会=市場が肥大した社会〉との対峙を要求される。そのため、純文学や現代美術といった市場と切断されたハイカルチャーは衰退し、市場との切断が不可能なサブカルチャーが隆盛する。一般に前者の担い手は、後者を特定の市場(消費者コミュニティ)にマーケティング的に対応したウェルメイドであると批判(区別)する。だが、実際に現代の文化産業で生じているのはむしろハイカルチャーの担い手と受けてこそが、市場と切断された閉鎖的なコミュニティを醸成しているという事態である。そこで評価される作品はコミュニティに対する「傾向と対策」に準じたものになりがちであり、過剰な流動性に晒されるサブカルチャーの市場にこそユニークな想像力が育まれ、内外を問わず巨大な存在感を生み出している。
さらにサブカルチャーに重きを置きながらどのような方向を目指しているのかも表明しています。
アニメにおいては、『AIR』(2005年)、『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)などセカイ系の流れを汲む萌え系のノベルゲーム/ライトノベルの映像化で支持されていた京都アニメーションが、『らき☆すた』(2007年)、『けいおん!』(2009年)など前述の「萌え四コマ漫画」=「空気系」の映像化に移行しその支持を維持していった。特に『涼宮ハルヒの憂鬱』の原作小説はセカイ系と空気系の双方の特徴を併せもつ作品であり、アニメ化においては空気系的な要素が前面に押し出されることで支持を獲得し、京都アニメーションの「空気系」化を推進している。
これら「空気系」の作品はゼロ年代前半における実写映画/テレビドラマにおけるアルタミラピクチャーズ系に対応するものである。90年代末の純愛/セカイ系の後継者として、筆者が考えるゼロ年代のウェルメイドの代表例のひとつがこのアルタミラピクチャーズ/空気系である。「空気系」のキャラクター構成が極めてシンプルな市場の要請から極めてシンプルな「排除の論理」を採用していることが象徴的だが、これらの想像力は自己目的化するコミュニケーションの連鎖が覆う現代社会(リトル・ピープルの時代)において、それぞれの島宇宙(消費者コミュニティ)に合った外装を整えた上で極めて直接的に欲望を満たすサプリメント(理想の〈自己目的化した〉コミュニケーション)が供給されていくという意味においてティピカルなウェルメイドとして位置づけられる。
このアルタミラピクチャーズ/空気系の市場主義的ウェルメイド(大きな島宇宙に対するウェルメイド)に批判力をもつのは、当然純愛/セカイ系への撤退(別の大きな島宇宙に対するウェルメイド)でもなければ、〈反市場主義的な想像力=カウンターカルチャーや物語批判という既に無効化された回路をローカルな共同性の中で限定的に機能される態度(小さな島宇宙に対するウェルメイド)〉でもない。それは純愛/セカイ系からアルタミラピクチャーズ/空気系へという直接的な社会反映を受け入れつつも、その〈市場性=外部性(たとえば過剰なまでの流動性)〉を用いて作品を力づける〈批判的市場主義=ハイブリッド化〉以外にあり得ない。
なるほど。『思想地図4』はサブカルチャー色を前面に押し出し、「想像力」をテーマに掲げ、さらに『思想地図3』における藤村龍至論文(「批判的工学主義」の可能性)を受ける形で「ハイブリッド化」をその戦略として打ち出してきたと見受けられます。
確かにこれがどこまで成功しているのか? サブカルチャーに馴染みのない人たちをも動かすことができるのか? という疑問はあります。
例えば黒瀬陽平論文は、アニメに主軸を置きつつもポスト椹木野衣を目論み、アニメと美術を貫通し同次元での批評を成立させようとした意欲作です。その意気込みは高く評価します。しかし内容は評価できません。「インターフェイス」「情念定型」といった美術プロパーの用語が空回りしています。この内容を論じるにはオーバースペックです。
例をあげるなら『Inter Communication no.65』に掲載された松井勝正論文「バロックのインターフェイス」は刺激的です。ここでのインターフェイスという切り口は、これまでのバロック絵画に対する評価を180度転倒させる程の破壊力を持ち得ています。だからこの論文を読めば、「レンブラントすげぇー!」って感じでレンブラント作品に興味が湧きます。
他方、黒瀬論文はどうか。アニメの美少女がインターフェイスだと言われても「それで?」という感じで、だったら「サザエさんだってインターフェイスじゃん」という程度で「『AIR』すげー」とまでは思いません。
このように今回の黒瀬論文は評価しませんが、自らも画家であり美術に精通している黒瀬陽平なる人物がアニメを主軸にして活動しようとしていることは間違いない。もう2,3本も書けばブレークスルーするでしょう。黒瀬は宇野と同等の脅威です。
それで改めて問いたいのは、今日のトークで、サブカルチャー志向の強い宇野さんが、ハイカルチャー志向系の仮想敵として佐々木敦さんの名前を出したことです。これは速水さんも終始違和感を示していたように、佐々木敦という人はハイカルチャー志向系のなかではかなり特異な存在です。佐々木さんのようにインディペンデントな活動を展開できる人がハイカルチャー志向の人たちのなかにごろごろいれば、宇野さんや黒瀬さんが出てきても痛くもかゆくもありません。しかし現実は、思い当たる人がほとんどいません。これこそが問題であり、この点についてはハイカルチャー志向系は圧倒的に分が悪いです。
宇野:「界遊はいま何部ぐらい?」
武田:「1,500部をなんとかはけそうな感じです」
宇野:「うん。その段階か。だったら《文フリ》にはもう出るな。意味ないから」
武田:「ええっ!」
ここはかなり意見が分かれたところなのですが、宇野さんの考えはこうです。
商業誌という体裁をとれば、マスを捉えないと持続できないので好きなことは書けない。それじゃ好きなテーマで好きなことを書けるミニコミで何部売れば赤字を出さずに続けられるか? それは2,000部です。さらに雑誌作るのは大変だし、それでも何故やるかと言えば、シーンに介入するため。もっと大きなことを言えば、よのなかを変えるためです。そのためには10,000部、20,000部(『思想地図』は15,000部ぐらい)といったオーダーを目指さねばならない訳で、文フリで100部売れた、200部売れたと喜んでいても仕方ない。
非常に極端な考えとも言えますが、宇野さんはこのあたりの感覚が物凄くシビアなのです。私自身もこのあたりを突っ込まれると返答できません。フェアとかトークとか色々と企画を考えてやってますけど、売り上げ目標は未だ設定できていません。
ゼロ年代問題の克服の仕方は一様ではありませんし、足並みを揃える必要もありませんが、今のところ東浩紀〜宇野常寛ラインがやはり一歩リードしているように感じます。
ともかく動かなければその時点で負けです。「勝ち負けを競うものではない」といった美談はいらないので、みなさん次の10年もガンガンやりましょう !!!
- 作者: 東浩紀,北田暁大,宇野常寛(編集協力)
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2009/11/26
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- 作者: 宇野常寛,更科修一郎
- 出版社/メーカー: サイゾー
- 発売日: 2009/10/16
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