佐々木敦×古川日出男トークセッション




(改定版)


 『MUSIC』刊行記念トーク


    佐々木敦 × 古川日出男


■ 日時:2010年5月7日(金)18:40〜20:40


■ 会場:ジュンク堂書店新宿店(8F喫茶コーナー)



  《感想文:伝説のトークセッション》 




  


  



 ふふふっ、 


 すごかったよ。


 もう笑っちゃうぐらいすごかったよ。


 あ、あ、あいつら、


 ホ、ホ、ホントに


 セッションしてやがったぜ!!!!!





山場はトークが始まってから1時間を超えようとしたあたり。



佐々木さんのトークは長丁場になるので、だいたい1時間ぐらいで休憩を入れることにしているのです。実際、話している方も疲れるし、会場も中弛みしてしまうんですね、この時間帯。 しかも、この日、佐々木さんはひどい風邪で、サイドに控えていたスタッフの僕らは、いつも通り休憩を入れるつもりでスタンバイしていたのです。



ただ、佐々木さんと古川さんとの間では「今日は休憩なしで行こうか」と事前に話していたようで、そのまま続けるつもりであったらしい。



とは言え、さすがに1時間話し続けていると疲れは出ます。まず最初に目でサインを佐々木さんに送ったのは古川さん。 えーと、これはですね、古川さんが体力がないという訳ではないんですよ。古川さんはそのスタイルからも、また一見しただけでフィジカルが相当強い人だと分かります。それで、古川さんは二枚舌で、というのは口がじゃなくて身体が二枚舌で、もちろん、身体の緊張度を一番高めているのは執筆のときで、この時は本当に凄まじいらしくて、爪が剥がれたり、発狂して叫んだりしているらしいのですが、ただ、このような姿は人様に見せるものではないからと、普段はこの姿を封印しているんです。トークのときももちろん仮の姿、仮の身体。



その仮の身体の古川さんが話しながら、それとは別の話を佐々木さんと眼でするのです。



F:「ね、ね、佐々木さん。どう? ちょっと疲れたんじゃない? あんた、今日、風邪でしょ、大丈夫?」

それに対して佐々木さんは話しながら、それとは別の話を古川さんと声のトーンでするのです。


S:「えっ? いや〜、行けそうだけど」



F:「ほんとー?」



S:「うん、うん、だいじょうぶ、だいじょうぶ」



F:「ほんとー? 休憩してもいいよー」



S:「いや、ほんと大丈夫。いける、いける」



S:「いける、いける、話の内容もいい感じだし、我慢とかじゃなくていける、いける」



F:「ふふっ、じゃ、行こうかー」



S:「うん、これいけるし、話の内容がいい感じで濃くなってきたからギア入れていい?」



F:「ああ、いいよー」



S:ダ、ダ、ダ、ダッダッダッダダダダダ↑↑↑↑↑↑↑



F:「おい、おい、あんた、けっこうやるねー(苦笑)」



F:「じゃ、オレも、本気でやろうか!」



F:ドン、ドン、ドド〜ン、ドドド〜ン!!!!



S:「OK! 行ける! 行こう!」



F:「OK!


ちょっと馬鹿丁寧に再現してみましたが、だいたい午後7時40分〜50分頃のふたりの挙動です。ボクもメモ用紙に「10分ほど休憩お願いします」と書いてスタンバイしていました。どのタイミングでメモを出すか、会話の流れと二人の間で交わされているもう一つの会話をじっと読んでいました。そして、ちゃんと読めました。


 「あっ、今日は休憩いらない。」


そのまま2時間ぶっ通しで最後まで行きました。完璧なトークでした。



終了後、会場にいた方からも言われました。


 「今日は、休憩なくてよかったよ」


午後7時40分〜50分頃にかけて交わされていた、二人の表のトークとは異なるもう一つのトークを、当人はもちろん、スタッフの僕らも、会場のお客さんもちゃんと聴いていたのです。そしてちゃんと読めていたのです。そしてあのわずか10分が、今回のトークの成功を、午後6時40分に始まって午後8時40分に終了するまでノンストップで2時間ぶっ通しで繰り広げられたトークの成功を予め決定していたです。



《時間の逆転現象》が起こったのです。



長らくトークセッションを担当していますが、トークでこれを見たのは初めてです。



これほど凄まじいトークを見せてもらったのでボクも黙っている訳にはいきません。ちょっとオカルトっぽい話ですが、実際に起こってしまったので、ボクの知っている限りを話しましょう。


このレベルというか、この次元のセッションというのを、ボクはスポーツでは何度か見たことがあります。ちなみに、ボクが意識的に観察しているのは主に野球です。




 1.ライバル関係



まずふたりがお互いに認め合っていないとこのような現象は発生しません。佐々木さんは古川さんのパワーを事前に了解済みで、他方、古川さんは序盤は余裕を持って佐々木さんに応答していましたが、まさにあの10分で佐々木さんのパワーを完全に認めました。


こういう関係が成立していなければ、《フリーセッション》なんてものはそもそも成り立ちません。スポーツではこのレベルの対戦がしばしばあります。ちょっと長いですが1つご紹介しましょう。





  川口和久 vs. 落合博満



※ 以下、川口和久『投球論』(講談社現代新書)より


18年の現役生活で、数多くの打者にめぐり合いました。その中で、もっとも印象深いというか、駆け引きの楽しさ、配球の楽しさを味わえたのは、中日時代の落合博満さんでした。三冠王に3度も輝いた当時の日本球界最強打者から、いかに三振を奪うか。ここが重要です。打ち取るのではなく、いかに三振を奪うか。考えに考え、工夫した投球術をお話します。


ど真ん中の効果


舞台はやはりナゴヤ球場。落合さんがうす笑いを浮かべながらバットを引きずってバッターボックスにやってきます。そこでボクが軽くあいさつをする、そうするとニイッと笑うんです。


「今から勝負をしようじゃないか」。二人の中でそういう暗黙の会話が成り立っているんですね。中日ー広島戦なんだけど、この際、落合対川口の一騎打ちを楽しんでやろう、と。少なくともボクの中にはそんな印象がありました。


バッターボックスの落合さんが足場をかため、バットを両手で拝むようにして例の構えをし始めます。その中で「こいつは何を初球に投げてくるのかな」というような感じで間合いを取ります。


「初球に何を投げるのか」というのがまず最初の駆け引きです。いろいろなパターンがありましたが、だいたいボクはストレートのボール球をバーンと投げました。


回が詰まって八回、九回で1点勝っているような場面でも、走者を背負っているようなケースでも、必ずボール球。ストライクは投げなかった。なにしろ相手は落合博満。三億円も四億円も稼ぐ日本一の四番バッターです。たかだか六千万円や七千万円のピッチャーじゃ勝てないよ、だったら楽しもうよっていう感じがありました。


そして、2球目も同じくボールになるストレート。わざと、ボール、ボールと続けて、カウント0ー2にする。アウトコースにはずすことが多かったけど、インコースでもかまわない。ただ、伸びのある生きたストレートを投げるのが絶対条件です。


この最初の2球は、落合さんにバットを振らせないという意図もあります。


ここで3球目。驚かれると思いますが、ど真ん中に抜いたボールを投げる。よく使ったのが、1章で説明した「抜きシュー」、例のフォークの変型です。あるいはカーブでもいいのですが、とにかく抜いたボールをど真ん中に投げる。


ここがこの対決の妙味なんですが、落合さんはこの球を絶対に打ちません。初球、2球目とボールになるストレートをバン、バンといっているわけですから、3球目をど真ん中にバンと投げたら、確実に打たれます。だから、ど真ん中で抜く。シュートをすとんと落とす。すると真ん中だから打ちにこようとして、速さが違うものだから、「うん? 何だ」という感じでバットが止まるんです。


落合さんは、たいていここでボクの顔を見てニヤッと笑います。ボクはひそかに「落合さんは真ん中を打てない」という自分だけの「決め」をつくっていました。そうでもしないと、この3球目はこわくて投げられません。


ともかく、こういうやり方で、カウント1ー2にもっていく。1つのストライクを意表をついて取ること、1ー2にもっていくことが、この対決の第一段階です。



「目付け」をどうもっていくか


1ー2というカウントは、明らかに打者有利です。打者という生き物は、こういうとき必ずストレート系を狙う習性があります。そして、目付けをある程度甘いところにもっていくのです。


落合さんは次の球を待つとき、一回下を見てからピッチャーに視線を向けます。これを「目付け」と呼んでいるのですが、カウント1ー2だと、目付けを甘いコースにすえて次のボールを待つわけです。その目付けの中へ4球目を投げ込んでいく。


ここからは、パターンが分かれていきます。ただ、とにかく4球目はファールを打たせたいんです。ファールでカウント2ー2にもっていきたい。


よく使ったのが、真ん中高目のストレートです。なにしろ相手は甘いコースのストレート系を待っているわけですから、ここは思いきり生きたストレートでなければなりません。高目に伸びのあるストレートなら、思わず手を出してファールフライになるという計算です。


首尾よく4球目の高目をファールしてくれたとしましょう。カウントは2ー2。ここで重要なのは、もう1球ボール球を使う余裕があるということです。そこで5球目は、もう一度、高目のストレートです。今度は4球目よりもやや高くはずれて、手は出しそうだけど出さないくらいが望ましい。これを見送ってカウント2ー3。フルカウントです。


実は、5球目は、最後に何で決めるかということから逆算したボールです。では、ラストボールは何か。5球目はと同じ高目の球道から曲がり落ちるカーブです。これは、まず見逃します。なぜなら、2ー3というフルカウントが効いているのです。バッターもこの1球は打つか見送るかしかありません。一瞬、5球目と同じ高目にはずれたコースから来るので、どうしても「あ、ボールだ」という判断が入るのです。そこからストライクゾーンに落ちてくると、「あっ」と遅れてバットを出すか、見逃すしかないのです。


ボクが鮮明に覚えているのは、この配球で落合さんがかろうじてバットに当ててライトフライを打ち上げたときです。1塁へ走りながら、「くそっ、やりやがったな」という顔でボクのほうを向いて笑っていました。ああ、こういう駆け引きも、ピッチャーのだいご味なんだな、とつくづく思ったものです。


投球論 (講談社現代新書)

投球論 (講談社現代新書)






 2.時間の逆転現象




このようなライバル関係が成立しているスポーツ選手や、あるいは芸術家が高い集中力で試合や創作に臨んだとき、ここという1点(1線)で全てを決定するという挙動を見せることがしばしばあります。この挙動が良い試合、作品の絶対条件ではありませんが、このような《時間の逆転現象》がみられた時は、まず間違いなく傑作と言ってよいです。いくつか事例を紹介しましょう。



まず、以前に1本論考にまとめているのでご覧下さい。将棋の羽生善治さんと画家のピカソを比較した論文です。ボクは将棋に詳しくないので「ここ」とは言い当てられませんが、羽生さんの場合、おそらく《中盤》で勝負の全てを決定する何かが起こっていると思われます。


  羽生善治とピカソ




次に紹介したいのがイチロー選手です。特にメジャーデビューの年、新人でありながら見事に首位打者を獲得した2001年のイチロー選手の挙動を紹介したいと思います。


 MLB イチロー選手2001年成績


ポイントは7月31日です。 開幕当初から、その実力を遺憾なく発揮し、高打率をずっと維持していたのですが、7月10日のオールスターゲーム以後、打率を落としていきました。オールスターに出るという目標を達成してホッとしたのでしょう。また「メジャー1年生に首位打者を獲らせてたまるか!」とハイパフォーマンスで敵対してくるライバル選手たちからの激しいプレッシャーによって、さすがのイチロー選手も疲れが出ていたんですね。これは見ていて明らかでした。おそらくイチロー選手自身も分かっていたと思います。しかし身体が言うことをきかなかった。これは休んでも治りません。疲れは無尽蔵です。試合に出続けながら修正していかねばならないのです。


それで7月31日です。一試合で2安打したのははっきり覚えているから、おそらくこの試合で間違いないのですが、テレビでイチロー選手を見ていて「治った!」と確信したんです。それでボクは見てすぐあとにイチロー選手復活!!」って日建設計に勤めている友人のBBSに書き込んだんです。そのサーバーは、たぶん今はもうないから立証できないのですが本当です。


なぜ治ったと分かったかと言えば、オールスター明けから7月29日までのイチロー選手の打撃フォームは、上半身の動きと下半身の動きがバラバラだったんです。それが7月31日の試合で上半身の動きと下半身の動きがピタ!っと一致したんです。それを見た瞬間「治った!」→「復活!!」と書き込んだんです。


ちょうどその頃、ボクも建築のプロの世界に入ったばかりで、身体がプロの生活についていけなかったのです。それで自身の身体のコンディションの上下動にはすごく敏感になっていて、それで他人を見ていてもよく見えたのです。今、2001年7月31日のイチロー選手の映像を見ても分からないかもしれません。


それで、その時、首位打者を絶対獲るとまでは確信できませんでしたが、正直「行ける!」と思いました。爆弾でも落ちない限り。


しかし、この年は現実に爆弾が落ちたんです。2001年は9.11の事件があった年です。それで本当にMLBも中断されて、そのままシーズンが打ち切られてもおかしくなかったんです。イチロー選手の首位打者はシーズン記録とならず参考記録とされてもおかしくなかったんです。しかし、にもかかわらず「ベースボールが見たい! ベースボールをしよう!」という声が沸き起こり、MLBが再開され、最後まで行われ、イチロー選手は正式な首位打者を獲得しました。



オカルトと言われても仕方ありませんが、2001年のイチロー選手の首位打者が確定したのはシーズン終了後ですが、本当は7月31日に決まっていたのです。





  《1993年日本シリーズ・ヤクルト優勝》



もう1つ、はっきりと憶えている試合があるので紹介します。1993年の日本シリーズ。そう、《伝説の飯田選手のバックホームです。


 


このビッグプレーが飛び出したのは第4戦です。その後は第7戦までもつれて、やっとのことでヤクルトが優勝したのですが、これも同様に、本当は第4戦の8回に飛び出した《飯田選手のバックホーム》でヤクルトの優勝はもう決まっていたんです。


こういうことは、決して多くはありませんが実際にあるのです。ムービーの後半で、当事者であるヤクルト・野村監督もはっきりとそう言っています。






 3.補助線




このような現象をボクも独自に調べているんですね。それで、この現象をもっとも端的に示すのが、幾何学でいう《補助線》だと思うのです。 数学はよく分からないので、どのように説明したら良いのか困るのですが、中学受験参考書(小学校の算数)にちょうどいい問題が載っているので紹介しましょう。



  [ 問 題 ]


△ABCがあり、三辺の長さはそれぞれAB =5㎝、BC=6㎝ 、CA=5.5 ㎝であり、BCを底辺とした時の高さが4.4 ㎝である。今、辺AB、AC上にそれぞれD点とE点とを、AD=2㎝、AE=3㎝となるようにとる。△ADEの面積を求めよ。


  

そして以下のような解説がなされています。



先生:「これはちょっと難しいな。△ABCと△ADEは相似じゃないよ。ただじーっと見ててもなかなか分からない。ヒントは補助線。どこに引いてみる?」


生徒:「CD」


生徒:「BE」


先生:「うん。実はこれ、いまの2本のどっちでもいいんだよ。まあCDのほうでいってみるか」



  



先生:「わざわざ高さが4.4 ㎝と出ているんだから、三角形ABCの面積は6×4.4×1/2で出せるね。次に△ADCと△BDCに目をつける。この2つは高さが共通だよな。だから、面積の比は底辺の比と同じになって、△ADCの面積は△ABCの面積の2/(2+3)倍となる。いいよね?それで△ADCの面積が出るから、今度はどこに目をつけるの?」


生徒:「△ADEと△CDE」


先生:「そういうこと。同じ考え方を順ぐりにやっていけばいいわけよ。今度は、いまの2つの△の面積の比は3:2.5 になるから、求める△ADEの面積は、△ADCの面積を3/(3+2.5) 倍すれば出てくるということです。いまの計算をまとめよう」


6 × 4.4 × 1/2 × 2/(2+3) × 3/(3+2.5 ) = 2.88 (cm2 )・・・(答)



(細川裕文『算数授業の実況中継(下)』語学春秋社より)

先生が言うように、この問題が解けるか否かの決め手は「補助線が引けるかどうか」です。この《補助線》によって証明は滞りなく行われ解決に至ります。解説を読むと実に論理的です。しかし、こと《補助線》自体に言及すれば、ここには論理に回収できない「飛躍」があります。つまり《補助線》自体について問うことが許されないのです。「この補助線はなぜ引けるのか?」。これについては「閃いたから」、「勘」、「引けるから引けるのだ」とおよそ論理的とは言えない説明しかできません。


《補助線》は論証のプロセスにおいて、問題文(過去)にも、後に展開される論証(未来)にも、いずれにも属していません。論証は《補助線》が引かれることではじめて、滞りなく達成されるというのに。はたまた《補助線》はと言えば、明らかに異質であるにも拘わらず、問題文から答えまでの論証プロセス(歴史)に何の違和感もなく、終始論理的な連続的なストーリーであるかのように平然と溶け込んで存在してしまっています。



さて、よろしいでしょうか。この幾何学《補助線》の事例で何が言いたいかと言うと、このような現象は、現実の時空間でも起こりうるのです。時間の逆転現象の一種だと思われます。世界情勢とかそこまでおおきな時空間についてはちょっとなんとも言えませんが、スポーツの試合や音楽のライブでは決して多くはありませんが、起こります。






 4.時間の逆転現象と文学



さてさて、いったい何の話しやら。。。ものすごく強引に要約しますが、これまで長々と話してきたのは《時間の逆転現象》の話でした。それで、これを文学でもやろうとした人がやはりいるのです。たとえば、

  芥川龍之介



これはまず間違いない。


ちゃっかり宣伝しちゃいますが、5月23日の文フリで発売される《アラザル4》に掲載される拙著『赤シャツをいかにして更生させるのか』でこの問題に触れています。ぜひお買い求めください!!!!!

 アラザル4



 ■ 拙著『赤シャツをいかにして更生させるのか』


 


 

そしてもう一人確かな人がいます。芥川のように狙っているのとは違いますが、このような現象に触れる確かな《感覚》を有している人です。その名は、


 古川日出男





 5.古川日出男マニエリスム



もうここまで来たら、出し惜しみなく全て出してしまいましょう! 今月のですね、日経新聞のですね、日曜日のですね、高山宏さんの連載コラムがイカレテル!!!



  日経新聞2010年5月2日(日)朝刊



  日経新聞2010年5月9日(日)朝刊


 コットは今は亡く、



 山口は病床、



 高山は左眼失明。



 嗚呼!


 嗚呼!!!!!



シェイクスピアの生きた16世紀後半から17世紀初めの時代の文化の、近代に向けての一大転換期、混迷と活力がせめぎ合った様相を「マニエリスム」という名で呼び始めたのが、考えてみればまさしく60年代後半のことだった。歴史という条理を欠く残酷な唯物論的メカニズムをコットはシェイクスピア史劇に見た。多様な価値観の中で主人公たちの英雄的振舞いがグロテスクになってしまう不条理をシェイクスピア悲劇に見た。混迷の時代に歪んだ形で爛熟する性をシェイクスピア喜劇に見た。

うん、成る程。文中のシェイクスピア古川日出男に替えてもそのまま読めます。古川日出男高山宏さんの力を借りてマニエリスムと接続させれば、大きな収穫がありそう。


 高山宏は今もいる、



 古川日出男は至って元気、



 阪根は



 本買うカネ無し、書く時間無し。



 嗚呼!


  






MUSIC

MUSIC


ゴッドスター

ゴッドスター


LOVE (新潮文庫)

LOVE (新潮文庫)


聖家族

聖家族








   トーク前レポート




古川日出男『MUSIC』(新潮社)読了。





   《感想文:日出男 vs. 漱石



 


■ これ、読んだ人います? けっこう凄いことやってるよね。ひと言でいえば、漱石へのオマージュということなんだろうけど、これ、漱石が読んだら、あるいは聴いたら、鼻血出してぶっ倒れるぜ!!!


■ 序盤は「なんじゃ、これ?」「いったいどこから世界を視てるんだ?」という感じでなかなかイメージできずてこずったけど、「こりゃ、根本的に小説の読み方を変えなきゃにゃらんにゃー」と悟ったぐらいからは乗れたよ。


■ やけに細かい地名とか出てくるのね、東京都港区青山霊園、赤坂一丁目、芝公園、品川駅とか、京都府京都市東山区伏見区、標高二三三メートルの稲荷山のふもとの駅、西陣織会館とか、その地名がイメージを明確化するのに全然役立たないっていうか、詳しく書かれれば書かれるほど、東京が歪む、京都が歪む、む、歪歪歪歪歪歪歪という感じでもってかれるのね。ひでおにゃ〜るどに。


■ そして、さいごはわろーたね、笑、、笑、笑笑笑笑笑笑笑琳派とか若冲とか鳥獣戯画とか詳しくないけどね、わろーたWWWWWWWWWWWWWWWWWW.かなりぶっ飛んでるけど、古川説もまんざらではない!!!!!!!!!!!!


■ 改めて言うと、こういう作品が出てくるから同時代小説って面白いんですよ。声とか詩とか身体とか小難しい本読んでもなかなか分からないけど、古川日出男ワールドを体験したらビビビって来ますよ。


■最後にちょっと余計なこと言いますけど、「古典的名著」重視の人にこそ読んで欲しいです。というのは、古典が重要なのは分かるけど、そういう人に限って「近頃の小説はなっとらん!」って同時代小説を読んでないくせに(あるいは読めないくせに)言うんですよ。


それで問題なのはね、古典ってもう評価が定まっている訳ですよ。だからある意味、楽なんですよ。「漱石はすごい」って言えばすむから。誰にも文句言われない。


それに対して、まだ評価が定まっていない、いま、生まれたばかりの作品を読めるかどうかって、プロの研究者にとってもまさに《生命線》だと思うんですよ。


ぜひ、挑戦してみてください。そして感想を表明してください。「こんなもん、小説じゃない!!!!!」でもいいですから。






MUSIC

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MUSIC: 無謀の季節

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吾輩は猫である (新潮文庫)

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草枕 (新潮文庫)

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