港千尋×今福龍太トークセッション
出演: 港千尋 × 今福龍太
タイトル: 書物への愛
グーグルベルグ時代の読書をめぐって
■ 日時:2010年5月13日(木)19:00〜21:00
■ 会場:ジュンク堂書店新宿店(8F喫茶コーナー)
《感想文:悠久の語り》
すばらしい時間でした。
今日、こうやってふたりの語りを聴いているという体験が、そしてこの時の流れこそが《書物》なのだよ。
このメッセージを早急にというのではなく、このまま明日の朝まで聴いていても心地よかろう、いや、すでに身体は、このまま明日の朝まで聴いていようというモードに切り換わっていた。残念ながらそれはかなわなかったけれども....
「水牛としての書物」
今福先生の著書『身体としての書物』の結論を教えろ! と急き立てられれば、そう答えることになる。「水牛としての書物? なんだそれ? おまえバカか?」、それはそうだろう。これだけ聞いていったいなにがわかるというのか。君は永遠に《書物》とは出会えないだろうよ。
港千尋さんと今福龍太さんはある意味、多くの人の羨望の的かもしれない。彼らのように世界中を彷徨う身体と世界を読み込む知性を持ち合わせていれば、世界はどれほどすばらしいことか!
ま、それほど単純な話ではなく、それだけの能力を備えてしまえば凡人が見なくていいことまで見えてしまうから、それはそれでただ「美しい世界」に一変するなどということはないのだけれども。 それでもやはり明らかに違う世界だという手応えはあって、彼らの語りから響いてくる言葉は、悠久のときのながれにつつまれている。そして、その場もまたつつまれる。
電子書籍か、、、
それはそれとして、
《書物》とは何か?
それはどうも《時間》ではないかと思う。
今日の話ではあまり出てこなかったけれども、港千尋さんの『書物の変』や『文字の母たち』に出てくるパリ・フランス国立印刷所(2006年閉鎖)の活字たち。活字はもう死語だけど、本当に生きていた活版金属活字たち。この活字、この文字の「美しさ」は《時間》そのものではないか。
紙の本も、書くことと編むことと刷ることは電子化されているのだけど、そう考えると読むことも電子化されるのは時間の問題だということなのだけど、そして、そこには新たなデザインが生まれる訳だけど、どうだろうか? 《時間》が介入する隙はあるのだろうか? こういう嗜好はもう単なるフェティッシュになってしまうのだろうか。
《時間》に対する警告はいまに始まったわけではなく『モモ』も言っていた。ずっと前から言われていて、ずっと前から失われている。『モモ』はよく売れる本だけど、それでもその『モモ』でさえ、時間がないからか、世間一般にはあまり読まれなくなっている。
そういえば、いまは京王線の端から端まで、橋本から新宿まで通っていて、片道50分ぐらいかかるのだけど、長いと苦痛に思ったことがない。ひと言で言えばほとんど寝ているからなのだけど、なによりも本を読んでいるからだ。高校時代、本を読む習慣がなかったときは最寄駅から家までのバスのたった15分がえらく長く感じたものだ。
電子書籍か、、、言いづらい。アメリカではe-bookと言うらしく、こちらの名前でおそらく普及することになるだろう、そのe-bookならダメなのか? そうとは言えないが、、、ともかく、
本を手に取り読むことで、《時間》を失っているのではなく、《時間》が生まれているのだ。
※ 港先生と今福先生のトークセッションの要約ではありません。
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《朝日カルチャーセンター新宿教室》
日時:6月3日(金) 19:00〜20:30
今福龍太
〜 種的生成と退化のはざまで 〜
日時:6月5日,19日(土)19:00〜20:30