東日本大震災復興へのアプローチ(8)






  






 《東北州》の舵取り ー マレーシアという視点 ー




震災から2ヶ月がたった。引き続き新聞を興味深く読んでいる。震災後、企業のトップや著名な学者などがインタビューに答えているが、そのなかでも元マレーシア首相のマハティール氏のインタビューが特に印象に残った。


 マハティール『与野党協力し国民導け』




  日本が国難に直面しています。



経済的のみならず政治的にも難局だ。首相が頻繁に交代するなど最近の日本政治は一貫して不安定だった。それが未曽有の大災害に対処するうえで、足かせになりかねない。いまこそ強力かつ決断力のある政府が不可欠で、態勢を早急に整えなければならない。


与野党対立は棚上げし、協力して現状を把握して必要な対策を示す。そのうえで国民に忍耐力と経済的負担を呼びかける。大連立も選択肢に入るだろう。政争にかまけて乗り切れる状況ではないことは明らかだ。



○ 部品不足で影響


  世界経済に与える影響をどうみますか。


日本の経済力を踏まえると復旧・復興は比較的早いだろう。最大の難題は原発事故による放射能汚染だ。完全に封じ込めるまで極めて微妙な問題であり続ける。汚染水を海に流していけば、日本の農業・水産業に打撃を与える。しかも、潮流に乗って外国に流れ着く可能性もある。


日本産業の最大の強みはあらゆる産業分野における高性能部品だ。その供給が滞ることで世界経済に一定の影響を与えるのは避けられない。マレーシアに立地している完成車メーカーでも日本からの部品の供給が停滞して生産に影響が出ているケースがある。



  今回の大災害はアジアに地政学的な変化をもたらしますか。


日本の国力が低下すれば、中国が競争上優位に立ち存在感が高まるだろう。しかし、そもそも中国の急成長を止めることなどできない。人口が多く、優秀な人材がそろう。何より彼らは共産主義だが、ビジネスに精通している。むしろ中国を巨大市場としてフル活用し震災からの復興に利用する、というくらいの発想が必要だ。


安全保障面では、日米が中国を敵視したり、封じ込めたりしようとすればするほど、中国は軍備を増強する。その資金力も備わってきた。だが、日本は武器輸出国ではないためアジアの軍拡競争にあらゆる意味で利点がない。マレーシアも中国とのあいだで領有権問題を抱えるが、互いの主張を出し合い対立ではなく、対話で問題を解決に導く路線を打ちだしている。



指導力にかける


  日本は震災前から低成長が続いていました。1980年代に「ルックイースト(日本)」政策を掲げた本人としてどうみますか。


この15年間にわたる停滞には2つの原因がある。1つは相次ぐ首相の交代など政治的指導力の欠如。1年や2年ではきちんとした政策を立案、導入できるはずがないし、その政策の善しあしさえ検証できないうちに首相がいなくなる。


2つ目は『日本株式会社』の極端な破壊だ。官民連携が日本経済の強さの源泉だったはずだ。それを欧米批判をまともに受け入れ、連携を遮断した。本来、官民の究極の目標は国力を高めるということで共通だ。官僚は糾弾され萎縮し、企業は行き過ぎた市場原理主義に対応できずに戸惑っているのが現状だ。



  日本は果たして復活できますか。


日本は戦後ゼロからスタートした。その後も幾多の天災や人災を乗り切ってきたことを私は目撃した。日本国民が再び結束し、難局を乗り切ることを確信する。そしてその経験を将来、直面するであろう難局の教訓にすべきだ



日経新聞2011年4月18日朝刊(聞き手=クアラルンプール・佐藤大和)





マハティール・ビン・モハマド  元マレーシア首相。1964年国会議員に初当選。81年首相。22年に及ぶ長期政権を築く。98年のアジア通貨危機で早期経済回復に導く。85歳。

冷静かつ的確なコメントだと思う。「攻守」のバランス感覚が優れており、「守りながら育てる」というしたたかさも持ち合わせている。



少々先走るが、1つ問題を設定してみよう。


《東北州》の舵取りを行う上でお手本になる人は誰か?


例えば有名企業のトップはどうか? ダメだと思う。これは世代の傾向かも知れないが、今の大企業のトップは、私たちの世代(70年代生まれ)と比べるとよく分かるが、「競争にはめっぽう強い」反面、「全体を見ながら行動する」という意識がない。一点突破には長けているが、バランス感覚が極めて悪い。


もし、彼らに《東北州》の舵取りを任せれば、「農業と水産業は国際競争に勝てないから切り捨てる」と平気で言いそうだ。しかし《東北州》を自律させる上でその選択は有り得ない。こういった問題をいかにして克服してゆくべきか?


その際、人口2300万人という小国でありながら、世界と堂々と渡り合うマレーシアを率いたマハティール氏の手腕は、人口1000万人弱の《東北州》を自律させる上で、大いに参考になるだろう。


マハティール氏は5月下旬に来日されるそうだ。東北六県の知事がマハティール氏を囲んで、《東北州》の自律へ向けて、ざっくばらんに話し合ってみてはいかがだろうか。




 アジアの未来2011


 マハティール元首相からの手紙




 日本の友人たちへ









マハティール氏については何冊か書籍が出ているので調べて頂きたい。特にマハティール氏がなぜこれほどまでに親日家なのか。この点は各自で必ず調べて頂きたい。ここではマハティール氏の興味深い発言を3点ほど紹介しておく。






マハティール・モハマド『立ち上がれ日本人』(新潮新書




  


 新たなる「植民地化」の危機



アジア諸国の西側の影響力の大きさは、マレーシア通貨危機に際して為替市場のオペレーションが存分に証明してくれました。


変動相場制にしたことで、為替トレーダーは物品ではなく為替で「貿易」をしたのです。わが国の為替は商品として扱われ、単に売られたり買われたりするだけでなく、投機の対象となりました。悪いことに、投機はやがて市場操作に発展し、私たちの通貨は売り込まれて買い叩かれ、空売りは究極のレベルに達しました。


実物の通貨が取引されたならまだしも、そこには貨幣の影も形もない。為替トレーダーの仲間うちで、マネーゲームが展開しただけのことでした。彼らは架空の通貨を売り買いし、底値で買って利潤を上げ、巨額の儲けを得ました。銀行も同様です。


為替市場の出来高は実物の貿易市場よりも巨額に膨れ上がり、同時に彼らの利潤も膨れ上がりました。銀行は融資をしなければ金利を払うことができなくなり、信じられない金額で企業が売買されました。通常、どんな政府にもできることではありませんが、当時はひとつのヘッジファンドが1兆ドルという大金を借りることができたのです。このため彼らの経営は立ち行かなくなったとき、世界経済に影響を与えることにすらなってしまいました。


マレーシアのような小国は為替の売買ごときで一夜にして国全体の経済を破壊されてしまう、という事実に私は驚愕しました。これまで「経済の優等生」として地道にやってきた私の国は奈落の底に突き落とされ、破産するしかないのでした。


そして、私たちに「助言を与え」「対外債務の支援にあたる」国際機関が立ち上げられました。しかし彼らのアドバイスは、状況をさらに悪くするだけでした。支援を受けるということは、経済的な植民地化が始まることを意味します。国際機関は財政状態に関する助言にとどまらず、政治的な信念まで押しつけてきました。一定の改革が行われない限り、支援は実行されないのです。


肝心の支援金は、外資系銀行に対する借金を支払うために消えていきました。外資系銀行から国際金融機関へと、債権者が替わっただけでした。借金の重荷は残り、それが永遠に続いていくのです。


行政機構は国際機関の支配下に置かれました。そしてその国際機関はといえば、豊かな国々の論理に支配されたものです。これではまるで植民地政策の繰り返しではありませんか。かつて西側諸国が「自由貿易」のために小型砲艦を差し向けたように、国際機関が開国を迫っているようなものと言えます。


ひとたび「開国」すれば、外国資本の巨大企業と銀行が雪崩を打って襲ってきました。小国の地場中小銀行や企業が、そのような巨大資本に太刀打ちできるわけがありません。公平な競争など、あるはずがないのです。中小企業は遠からず外国資本に吸収されてしまう運命にありました。


それでは外資系企業の猛攻に対して、政府はなぜ手をこまぬいていたのか  。そもそも小国の政府は、外資系の巨大銀行や企業をコントロールする立場にないのです。自由貿易とは政府が関与しないことだ、と彼らは主張します。利潤を追求するためには何をしても構わないと、過大な要求を突きつける。その国の人々が無能だといっては、外国人労働者の受け入れを求める。外資系企業は自分たちの利益を追求するだけで、相手国が直面する失業問題や低所得問題を無視するのです。


植民地時代も同じことでした。旧宗主国は支配者であったにもかかわらず、植民地の社会問題には一切関心を払いませんでした。彼らはより多くの富を搾取しようと、人口分布が変わるほど多くの外国人労働者を移住させました。そのため、やがて独立した旧植民地の国々は、経済的格差のある多民族・多宗教の国家となってしまいました。にもかかわらず旧宗主国は、困難に直面したこれらの国々に向かって、自らがかつて連れてきた外国人を不当に扱っていると冷淡に批判する。彼らはいとも簡単に、自分たちが行なってきた不公平な振る舞いを忘れてしまうのです。


もちろん私は、グローバリゼーションを否定するものではありません。しかしながらそれは、豊かな者の利益のためだけに存在するべきではない。関係諸国の利益だって、十分考慮に入れなければなりません。豊かな大国が、彼らの投資先に選んだ小さな国々に、社会・政治的な問題を巻き起こしてはならないのはもちろんです。


当然といえば当然のことですが、残念ながらWTOなどの国際機関は、小国の利益を考慮していないのが現状でしょう。



マハティール・モハマド『立ち上がれ日本人』(新潮新書)pp.35-39.


  節度ある規制を



マレーシアはこの地球村」のルールを、ずっと前から知っていました。46年前に独立したとき、私たちは自らの小さな市場を世界に向けて開放しました。そもそもマレーシアは、はるか昔から貿易国だったのです。1800年前、マレー半島の人々はジャングルの産物を集め、絹や金の飾り物、漆などと交換していました。


大英帝国の植民地時代には、世界に向けてゴムとスズを輸出しました。独立以降は一貫して、外国人を追放するといった国家主義的な考えの代わりに、外国人のマレーシア経済への参加を歓迎したのです。私たちを農業国から工業国に変えたのは、外資による資本の流入があったことと、彼らの手法を学んだことでした。


しかし、何でもかんでも自由化することはできません。当然、国益を守る必要があります。私たちは外国資本に対して、マレーシアの中小企業や経済を保護するための条件をつける一方で、十分な報酬を与えて魅力的な市場にするように努力しました。


国内企業を保護しつつ外国資本を呼び込むことは、そんなに難しいことではありません。なぜなら他の多くの国々は、外国からの投資に対して冷淡だったためです。私たちが市場にある程度の刺激を与えさえすれば、労働力を育成する労働集約型の産業が向こうからやってきました。


しかも幸いなことに、外資が導入した産業は地場産業と競合するものでは全くありませんでした。マレーシア国民は努力して彼らの技術を習得し、職場慣行を学びました。やがて自らも資本を持ち、産業を興すことができるまでに成長したのです。


もちろん今でも私たちは外国の直接投資を求めていますが、地場で育った企業も十分に魅力的になってきました。海外からの直接投資が他国に流れつつある現在でも、マレーシア経済はそんなに悪い状況にはありません。なぜなら地場産業が、国内はもちろん世界市場でも競争できるようになったからです。


たとえば、マレー人の幹部を中心に華人・インド人ら多くの非マレー人が運営に参加する国営石油会社ペトロナスは、現在では32カ国に支店をもち、石油や天然ガスマーケティングを行っています。石油化学分野にも進出して大きな収益をあげ、いまや世界のトップ500社にもランキングされるほどです。


ペトロナスだけではありません。様々な分野でマレーシアの企業は育ってきました。しかしながら、敵意ある外国の巨大企業に太刀打ちすることはできません。彼らの関心事はもっぱら地場企業を吸収・合併してさらに巨大化し、私たちを完全に転覆させることにあります。彼らが公平な競争をもたらすとは考えられません。


規制を完全に撤廃すれば、地場の銀行や企業が倒産してしまうことは、火を見るより明らかです。すべての保護手段を解除するには、まだまだ時期尚早と言わざるをえないのです。



マハティール・モハマド『立ち上がれ日本人』(新潮新書)pp.117-120.


 「地球税」が世界を救う



このようにマレーシアは、はるか昔からグローバリゼーションを受け入れてきました。「海外直接投資」という言葉が一般化し、世界のエコノミストに歓迎される前から、外資を導入してきたのです。なのにどうして私が、現状の「グローバリゼーション」にここまで批判的なのかを説明したいと思います。


それはグローバリゼーションという言葉が、単に「国内から海外へと資本が自由に出入りすること」だと解釈されているためです。「自由な動き」とは、法が整備されていなくて、条件も規制もないことを意味します。資本の流入は国にとって利益となりますが、反対に流出すれば、その国の経済だけでなく、社会・政治的な側面にも深刻な破壊を招きかねません。


1997年、マレーシアに起こったことがまさにそれでした。通貨の下落は製品の価値を下げ、私たちを貧しくしました。海外投資家の暴挙によって株価は暴落し、銀行や企業は息をすることもできずにもだえ苦しみました。企業とともに国も沈没したのです。


海外の直接投資を含めたグローバリゼーションが、貧しい国々に利益をもたらすためには、その国の弱点を慎重に考えた規制が必要です。株式や為替市場の操作や独占は、ご法度にしなければなりません。


市場の開発には、踏むべき段階があります。発展途上国が市場を自由に開放するようにできるまでには、相当の準備を整えなければなりません。発展途上国は先進国のように、自分本位の競争や市場を独占することに慣れていないからです。当然それぞれの文化や人々の暮らし、統治のシステムなどを考慮した上で、異なった扱いをするべきです。


ある国でビジネスをするならば、その国に税金を支払うのは当然のことです。ならば世界全体が一つの共同体である限り、グローバリゼーションで利益を上げた者は「地球村」に税金を支払うべきではないかと、私は常々考えています。いわば「地球税」です。


なにも、そんなに大きな額を期待しているわけではありません。税引き後利益の0.5%でもいい。その財源を発展途上国のインフラ整備に振り向け、外資が直接投資しやすい環境を整えればいいのではないでしょうか。


発展途上国に道路や橋、鉄道、空港、港、発電所、水道設備など、人々の生活向上に役に立つものを建設し、資本の流入を図るのです。かつて日本や豪州が東南アジアに「友好橋」を建設したことに似ています。インフラは誰が建設してもかまいません。目的は政府に財源をもたらすことではなく、インフラの整備それ自体にあるからです。


かつて、GDPの0.7%を自発的に寄付し、世界規模の基金を創設するという試みがありましたが、多くの国々の反対で実現しませんでした。その背景には、基金が正しく使われないのではないかという懸念があったからです。しかし「地球税」という名目ならば、法的執行力でインフラ整備の対象を絞り込み、その建設を国際的に発注・監督することができます。


このシステムが、世界の貧困緩和にどれだけ貢献することでしょう。貧しい国も資源を開発することができるようになれば、投資家にとって魅力的な市場になります。しかもインフラの建設中には大きな労働市場が生まれ、地場のサプライヤーが潤い、工事現場で食べ物を売ったりする小さなビジネスさえ生まれます。互いに輸入品の価格は下がり、輸出品から高い利潤を上げることができるのですから、インフラ整備を受けた国は恩義を感じる必要もありません。


この世界には、外国からの直接投資の恩恵を受けている国と、そうでない国が存在しています。恩恵を被らない国では労働市場は生み出されず、産業化も進まず、生活の快適さを期待することはできません。いまの「地球村」は金持ちのためにあるようなもので、貧しいものは何も持てません。まさにアパルトヘイトそのものです。


数あるイスラム国家の中でも過激主義勢力が台頭してくるのは、必ずといっていいほど経済的に貧しい国です。貧しい国が過激主義やテロの温床となってしまうことにも思いをいたすべではないでしょうか。


貧困が改善されれば、私たちの「地球村」はより住みやすい村となります。富の格差は縮まり、人種差別は廃れ、世界の人口の多くが抱える怒りや失望、欲求不満は軽減されることでしょう。グローバルな世界から富を引きだした者は、その富を少しは社会に還元すべきです。



マハティール・モハマド『立ち上がれ日本人』(新潮新書)pp.120-124.













阪根Jr.タイガース


好評?連載中!こちらもよろしく!!


阪根タイガース日記


日々更新中!こちらもよろしく!!