名編集者・坂本一亀


《第2版》(5月6日)





  《妥協許さぬ鬼の坂本一亀》



ネットもケータイもなかった戦後から高度成長期にかけて、大きな影響力を持っていたのが本であり、雑誌であった。活字文化を支え、時代を動かした名編集者たちの軌跡を追った。


芥川賞を十九歳で受賞した綿矢りさは、既に十七歳のとき「文芸賞」に輝いている。主催は河出書房新社。この「文芸賞」には綿矢を含め、十七歳での受賞者が三人いる。話題づくりの側面もあろうが、新人の発掘を重視する出版社であることは間違いない。


その伝統を生んだのは、前身の河出書房で「編集の鬼」と呼ばれた坂本一亀(かずき)(1921ー2002)であろう。三島由紀夫の「仮面の告白」、野間宏の「真空地帯」といった戦後文学を代表する書き下ろし作品を世に出しただけでなく、サロン風の「文芸新人の会」を作り、六二年には文芸誌「文芸」を復刊させて編集長となった。そこで辻邦生黒井千次丸谷才一らを育て、高橋和巳を「悲の器」でデビューさせた。さらに全国の有力な同人誌グループと連絡を取り、各地で懇談を重ねた。


作家には書き直しを何度も命じ、原稿が真っ赤になるまで手を入れた。「バカヤロー」と怒号も飛んだ。辻は当時を振り返って「坂本さんのような熱心な編集者に側にいてもらって小説を書くということは、ある意味で贅沢な快楽でもあった」(「のちの思いに」)と書いている。妥協を許さぬ厳しさは、作家と作品に対する優しさの裏返しだったのだ。三十九歳の若さで亡くなった高橋も親交の深かった作家で、坂本が入院中の高橋を毎日見舞う姿は、我が子に接するようだったという。


坂本編集長時代に部下だった文芸評論家の寺田博には、忘れられない思い出がある。坂本の命令で、原稿が大幅に遅れている女性作家の家を担当の女性編集者とともに訪ねた。午前零時ごろだった。作家は風邪をひいていて、その日に原稿をもらうことはできなかった。「当時はなんて非常識なことをさせるのだろうと思ったが、後になって作家との付き合い方を教えてくれたのだとわかった」。作家とは徹底的に話し合うことを求め、社内にとどまっている部下が多いと機嫌が悪かった。


坂本自らもそうした付き合い方を実践し、夜遅く、時には朝まで作家や編集者と酒を飲んだ。長男で音楽家坂本龍一は「とにかく酒は強かった。大学時代、新宿に呼び出されて一緒に飲んだことがあったが、私の方が先に参ってしまった。父は『情けない。先に帰れ』と言って、その後も一人で飲み続けた」と話す。


「文芸」編集長を二年務めて役員となり、六八年の河出の二度目の倒産で退社。その後出版社を設立したが、八二年に病気のため引退する。亡くなるまでの六年間は闘病生活を余儀なくされながら展覧会や骨董市に足を運び、入院中にも古書店から片山廣子の歌集を取り寄せたりしていた。=敬称略 (文化部 中野稔)



 

  数々の名作を世に送り出した坂本一亀(1976年、坂本家提供)




日経新聞2004年3月7日(日)朝刊






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