名編集者・中野幹隆


《第2版》(5月6日)





澤樹伸也『ブックフェア「中野幹隆という未来」をふりかえって』




昨年(2007年)の夏、7月1日から8月31日にかけて「中野幹隆という未来    編集者が拓いた時代の切鋒(きっさき)   」と題するブックフェアを開催した。この年の一月に癌で亡くなった編集者、中野幹隆さん(哲学書房)を追悼するフェアだった。大きな告知もできなかったけれど、初日から本当に多くの人たちが会場を訪れてくれた。毎日、誰かしらフェア棚の前に足をとめて、中野さんが手がけた本を手に取っていた。


新宿店でのフェアの様子は「毎日新聞」や「週間読書人」などに紹介され、関心をよんだ。フェアはその後、池袋本店(9月10日〜10月9日)・京都BAL店(11月1日〜1月7日)へと場所を移しながら、引き続き開催されることになった。「中野さんが編集・刊行された領域を横断する刺激的な書籍の一群を前に、さまざまな思いが去来して目頭が熱くなる」(朝日新聞夕刊連載「風雅月記」)。池袋でのフェアに立ち寄った野家啓一さん(東北大学大学院教授)は、そう感想を述べた。


期間中に売れた本は、新宿店だけでも653冊にのぼった。それは今まで経験したことがない、予想をはるかに超える売上結果だった。


中野さんの仕事をひとりでも多くの人びとに伝えたい    。そんな思いからスタートしたブックフェアだった。


4月に月曜社小林浩さんから、哲学書房のフェアをやらないか、との話があった。いまの哲学書房が置かれた状況や今回の提案に至るまでの経緯をいろいろと話してくれた。中野さんが亡くなられたことは知っていたが、その後に残された問題については初耳だった。話を聞きながら、何ができるかを考えた。


中野さんは黒子に徹した名編集者だった。「12号までつづいた『季刊哲学』はまさに氏の真骨頂の極みであった。「神の数学」「生け捕りキーワード」など、今でも身震いがでるほどの企画特集」(金子務「ある編集者の死」)。「今日でも、若い研究者が、『エピステーメー』のあの号に載った論文、などと話しているのを耳にすると、中野さんのすぐれたセンスで切り拓かれた道が今なお脈々と生きて受け継がれ守り育てられていることを実感せずにはいられません」(坂部恵「弔辞」)。新たな知の地平を切り拓く書物を世に問い続けた業績の大きさに比べれば、その名は一般にはあまり知られていない。中野幹隆という一時代を築いたひとりの傑出した編集者がいたということ、そして中野さんがわれわれに遺したものとは何だったのかということ    。中野さんの軌跡を追うことで、それを伝えたいと思った。


フェアのタイトルには「未来」という言葉を入れた。小林さんは今回のフェアを総括し、自身のブログでこう書いた。「なぜこのフェアに「未来」という言葉が刻まれているのか。・・・フェア台を前にして、もしもその理由に気づいた時は、その理由をあなた自身の言葉で、どうか誰かに伝えて下さい」(「ブックフェア『中野幹隆という未来』の大成功を目の当たりにして」)。


みずほ台にある哲学書房の倉庫へ行く。三ヶ所を半日かけて見て回った。哲学書房の処女出版となった蓮實重彦著『陥没地帯』(86年)をはじめ、老いをテーマとして掲げた先駆的な雑誌『季刊セーマ』(セーマ出版、97年創刊)など、記念碑的な本が幾つか僅かながら残されているのが見つかった。


フェアの趣旨説明に朝日出版社を訪問。出品依頼と会場で配布するリーフレットの資料作成への協力をお願いする。席上、編集部の赤井茂樹さんはエピソードを交えながら、朝日出版社時代の中野さんの思い出を懐かしそうに語られた。同席された営業部の長部良司さんは多忙の中、何度も店まで足を運び、今も貴重な『エピステーメー』や『科学の名著』を届けて下さった。


御茶ノ水駅を降りて、生前の中野さんの仕事場だった哲学書房へ向かう。小さくプレートに社名が書かれた扉を開くと、すぐに大きな机がひとつ置かれていた。両側にある書棚には所狭しと本が並ぶ。容子夫人によれば、中野さんが仕事をしていた当時のままの状態で今も残してあるという。三年におよぶ闘病生活を続けながら、中野さんはまさにこの場所から、来るべき書物の未来    それは明るいものではないかもしれない    へ向けて、最期まで何を伝えようとしていたのか。


今回、フェアの趣旨に賛同し、労を惜しまずに協力して下さった人たちがいた。そして何よりも、こうして開催まで漕ぎつけることができたのは、容子夫人の献身的なご尽力が陰にあったからだ。何から何まで手作りだったけど、それぞれの想いがつまったブックフェアだった。


中野さんに届いただろうか   


哲学書房のwebサイトには、生涯一編集者であり続けた、中野さんのこんな言葉が記されている。


「書物を問うとは、ひとの生きてあることを問うことにほかならない」。


中野さんが亡くなってから、もう一年の月日が経とうとしている。


(『未来2008年2月号』未來社 pp.16-17.)



 

 ※ 写真は中野幹隆氏の仕事などを紹介した会場配布用リーフレット



[註]



※ 小林浩「哲学書房社主、中野幹隆さん(1943-2007)の軌跡」


※ 小林浩「ブックフェア『中野幹隆という未来』の大成功を目の当たりにして」


※ 小林浩「追悼ブックフェア『中野幹隆という未来』@ジュンク堂新宿店」


※ 小林浩「『中野幹隆という未来』@ジュンク堂書店池袋店人文書売場」