祝・三島由紀夫賞受賞《青木淳悟》さ〜ん




(2011年7月23日)トーク大盛況!!!!!

JUNKU 佐々木敦さん×小説家連続トークセッション《特別篇》




出演:青木淳悟×磯崎憲一郎×佐々木敦



タイトル:小説の正面


たくさんのサポーターにご来場頂きました。



ありがとうございました!!!!!



  
     超満員です!!!


  


  
    あれが小説家の青木淳悟です!!!


  
      これが小説家の青木淳悟です!!!


  
      ぶれてるけど、いい写真


  
    これもぶれてるけど、いい写真






青木淳悟の小説を読んだことある人なら絶対思います。「なんじゃ、こりゃ? 青木淳悟ってどんなやっちゃ?」って。 それで今日はやっぱり超満員でした。みんな青木淳悟が何を話すかじっと耳をすましていました。



が、



ふつーでした。



すごく丁寧に律義に答えてくれるのだけど、



超ふつーでした。



   



今日、リブロ渋谷店のゆっきーさんが差し入れしてくださったリーフレット青木淳悟がますますわからなくなる10冊》と同様、



青木淳悟がますますわからなくなるすばらしいトークでした!!!!!



※ リブロ渋谷店で青木淳悟フェアやってますよ。チェケラ!






そして、佐々木敦さんと同僚のMさんが立ち上げ、2009年1月から2010年5月まで全12回、ジュンク堂書店新宿店で行われた《佐々木敦さん×小説家連続トークセッション》が立派な本になりました!!!


佐々木敦『小説家の饒舌 12のトーク・セッション』




    



    前田司郎


    長嶋有


    鹿島田真希


    福永信


    磯崎憲一郎


    柴崎友香


    戌井昭人


    東浩紀


    円城塔


    桐野夏生


    阿部和重


    古川日出男


    そして、


    青木淳悟

えーと、近々正式に報告しますが、私、今月いっぱいで書店員を卒業し、再び技術屋に戻ることになりました。前職の建築とはまた違う技術を扱うのですが、それはまた改めて。



それで、技術屋に戻ることを決めた時、おそらく本を読まなくなるだろう。特に今まで読み漁っていた思想書や小説は読まなくなるだろうと思ったんです。



ところが、やっぱりそれは違うんじゃないかと最近思い直して、ビジネスパーソンやエンジニアの大半は小説を読んでないと思うのだけど、今日もイソケンさんがそんなことを言っていたから、おそらくそうなのだけど、でも僕はこれからさらに小説を読むようになるんじゃないかって感じるようになってきました。



ここ数日、技術書の読解をさぼって、柴崎友香さんの新刊『虹色と幸運』などの小説を読んでいたのですが、「あれ? 小説やっぱ必要!」って感じたんです。



小説を読んだら、体が求めているというか、忘れかけていた《感覚》がまた芽生えてくるんです。その《感覚》を掴んだのが、この《佐々木敦さん×小説家連続トークセッション》であり、ゲストの12名+1名の小説家の作品を通じてなんです。



う〜ん、ただ、ともかく技術屋は知っておくべきことは知ってないと務まらないから、当面は勉強することがたくさんあって、小説読んでる場合じゃないと思うんだけど、それに小説読んだからといって、会社の収益アップに貢献したり、大発明したりすることはないと思うんだけど、何かちゃんと、それこそ目に見える成果を出せるんじゃないかって思います。



  



書店員冥利に尽きます(涙。。。



みなさま、ありがとうございました。




(7月22日)あしたはトーク!!!!!

■ 「世界の青木」でググったらゴルフの青木が出てきました。残念。



■ がんばれ!青木淳悟!!


JUNKU 佐々木敦さん×小説家連続トークセッション《特別篇》




出演:青木淳悟×磯崎憲一郎×佐々木敦



タイトル:小説の正面




   《刊行記念!!!!!》



   
   佐々木敦さん「小説家の饒舌」(メディア総合研究所)


   
   磯崎憲一郎さん「赤の他人の瓜二つ」(講談社


   
   青木淳悟さん「私のいない高校」(講談社





   《リブロゆっきーさんの差し入れ》



  


明日は超満員でぎゅうぎゅう詰めですが、牛はでません。が、特別にブックリストをお配りします!!!!!








■ 明日はトークがダブルヘッターです。


上記のトーク16:00スタートです。注意してください!


では、 おたのしみに!!!!!



   ↓↓↓↓↓↓↓↓


 ジュンク堂書店新宿店]



  ※ 会場は8階カフェコーナーです。


山椒は小粒でもぴりりと辛い




  




1.


万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

橋本を説明する時に、制服のスカートの下にトレパンを穿くファッションが流行っている場所といっても今ひとつピンとこないので、「俵万智ゆかりの地」と説明することにした。100年ぐらい経てば駅前に銅像の一つでもできるだろう。銅像と言うのはちょっとマッチョでいただけないか。でも何かそれらしいものを作ってくれるだろう、100年後の人のセンスに期待しよう。


あるいは大河ドラマでやるかもしれない。大河ドラマ「サラダ記念日!!」、100年後の松嶋菜々子のような女優が演じてしまってデフォルメされてしまうのだろうか。とまれ俵万智が何と闘っていたのかを描くのは至難の業だろうが100年後のシナリオライターのセンスに期待しよう。


せっかく橋本に来たことだし、本棚には柴崎伊勢丹のおばさんぐらいしか女性がいなくて華がないので俵万智『言葉の虫めがね』(角川文庫)を購入。棚に並べてみると太宰治のブルーの背表紙にすっかり馴染んでしまって、華を求めたこちらの期待を見事に裏切ってくれた。それはともかく、彼女を読んでいると、文章を書こうと思うとなおさらそうなのだけど、彼女の言葉に対する鋭い感性、鋭い視線に一目置いてしまう。さすがプロだって見入ってしまう。


例えばプロ野球のピッチャーが、相撲や柔道を見たら「なかなかうまいこと相手の体勢を崩すもんだな→いいコース攻めてるな→いい配球だな」と思うことだろう。実際、谷と柔ちゃんが結ばれたりしていることからもこれは明らかである。


話は若干それたが、彼女は若者かおじさんかを問わず、老若男女の発する言葉の巧みさあるいはダメさ加減を見事に言い当てるのだ。例えば次のような指摘。



オジサンたちが「今度の日曜あたり、ゴルフでも、いかがですか?」と言うのと同じだ。「日曜あたり」って、じゃあ月曜でもいいのかというと、そんなことはない。「ゴルフでも」って、じゃあスキーとかテニスとかも選択肢にあるのかというと、決してそうではない。「日曜日にゴルフを」しませんか、ということなのだ。が、それでは、選択をすべてこちらで済ませてしまっているような(実際、そうなのだが)、なんとなくソフトさに欠けるような、そんな気がする。そこで、「あたり」とか「でも」といった緩衝剤を挿入して、少しでもやわらかい感じにしようという努力がなされるわけだ。 若者の「とか」も、似たような役割を担っている。婉曲に婉曲に・・・彼らも、まさに、日本人だなあと思わないではいられない。(※1)

一般的に「言葉の乱れ=若者」とされているけれども、その多くはオジサンが電車や街なかで耳にした若者同士の会話に違和感を覚えて言われるもので、逆に、次のような機会は少ないけれども、若者がオジサン同士、なかでも得意先や上司との会話を聞いたら、やはり言葉がおかしいと違和感を感じるだろう。


そういったことを見抜いた上で繰り広げられる論考。テレビのコメンテーターレベルの口からは聞くことのできない鋭さ。決して激痛ではないが、しかしチクリと痛い。こういう鋭い感覚を持ち備えている女性というのが数少ないけれどもやはりいて、作家で言えば多和田葉子なんかも俵万智と同様に侮れない。



ライン川あたりに住んでいる人たちは北ドイツの人たちとは違って明るい性格だということになっている。一年を通じて他の地方より天気が良く、気温も高い。そんな明るい町の中央駅のすぐ隣りに、暗い化け物のようなドームが建っているのは不釣合いではないのか。化け物と言ってもキングコングのような都会的なものではない。もしもドイツの森が稲妻に誘われて恐ろしい勢いで天にむかって身体をうねり上がらせたら、こんな形の建築物ができるのではないか。キリスト教と言うよりは、森林信仰を思わせる。わたしの眼には、シュールリアリズムの作品のように見えることもある。その場合、作品のタイトルは「森の叫びと狼の悩み」とつけたい。(※2)



   

いったい何処から何を絞り出してこんな文章を書いているのだろうか。読んでいて正面からパンチを食らうというのではなくて、後ろから頭をコツンと叩かれて腹が立って振り向くと誰もいないというか、ピンポンダッシュをするいたずら小僧ともちょっと違うし、何と言うのか、何と言ったら良いものか? 


彼女らに共通するのが早稲田出身の女(ワセ女)、それはどうでもよいけれど、共に風貌は至って地味で、運動会でも目立たなかっただろうし、街なかで出会ってもおそらく気がつかないだろうという感じ。とびきりの美人や、あるいはワールドビジネスサテライトのキャスターみたいに眼でバンバン攻めてくるインテリ女性も手強いけれど、一見存在感がないようでいて何事も見透かしているような女性。これは本当に手強い。


男で言えば、体や頭脳が超人間的な江川や松坂、あるいはビル・ゲイツを怪物と言うだろう。こちらは非常に分かりやすい。しかし、あえて女性にも怪物がいるとして、女性的な“怪物”と言うならば、俵万智多和田葉子といった人になるのではなかろうか。得体の知れない何者か。まさに“怪物”。今度、怪物研究家の荒俣宏氏に研究依頼を出してみようか。






先生を万智ちゃんと呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

こんな感じで気を許すものだから、こちらも調子に乗って、



テレビで見て、ただの飾りのようなあなたの存在が気になったので、本を読ませていただきました。要するに、あなたは苦労をしていないんだ、ということがわかりました。もっと苦労してから世にでるべきです。(※3,4)

なんて言ったりすると、すかさず



では、力強くて新鮮な材料は、どうしたら手に入れることができるだろうか。抽象的な表現ではあるけれど、「一生懸命生きること」それしかないと思う。(※5)

なんて言われる。強い。なるほど実際すこぶるマッチョである。





2.


今日はポカポカしていて部屋に陽が差し込んできて気持ちがいいので、窓を開けてパーカーを脱いでTシャツとトレパンだけという格好で机に向かった。この快適さプライスレス!


作家は売れると別荘を買って、そこにこもって原稿を書くのがステータスになっているようだけれど、その必要もないか。またまたハングリー精神に水を差してしまった。


今日は休みだからリラックスできている訳だけど、一方仕事はというと、これが結構しんどいのだ。1日7.5時間、残業があっても20〜30分だから無理なく毎日コンスタントに働けているのだけど、書店というのは立ち仕事だから、これがなかなかこたえる。仕事を終えるといつも遠足帰りのように足がパンパンになっている。電車の中では、一駅でも早く座りたいと思ってあたりの様子を鋭い眼光で探りながら、そして座れた時には「あぁ〜、極楽、極楽」と心底喜びを感じる。アパートに着いてからも、本来ならば1時頃までは本を読んでいたいのだけれど、疲れていて12時までには眠ってしまう。


以前勤めていた設計事務所、特にアトリエ系と言われる業界の労働環境は極めて悪く、これを経験してしまえば他の仕事には難なく対応できるだろうと思っていたけれど、どの業界もそれなりに大変なのだ。書店で働いているのは、ほとんどが女性だけれど、そういう人を見ていても疲れた素振りを見せず淡々と働いている。決して待遇は良いとは言えないし、強いモチベーションがある訳でもなく、何かを支えるという女性の本能で働いているようにも感じられる。女は本当に強い。


そんな女性について行かねばならないのだから、体力アップを計らねばならない。という訳で水泳を再開することにした。以前通っていた東京体育館は遠くなったのでやめて近所のプールに通うことにした。月額6,300円。東京体育館でも1回600円だから悪くない。それにジャグジーとサウナも付いている。アパートの浴槽は狭くて浸かれないから銭湯代わりにもなる。それで今日早速行って来た。足の爪の状態が悪いから300mしか泳がなかったけれど、泳いだ後のおしっこは透明だったし、サウナで汚い汗も流しきったし、とても爽快だ。シャワーにシャンプーとボディーソープが常備されているのを見て「しめた!儲かった!」なんてセコいことを真剣に思っている自分には少々悲しくなったけれども。 ちょうど良い機会だから、半年計画でお腹廻りの贅肉も一気に落としてしまおう。



「よ〜し!やるぞ〜!やるぞ〜!」(つづく)



(2006年03月23日)






※1 俵万智『言葉の虫めがね』(角川文庫版)P.11より引用(一部カッコ内は省略)


※2 多和田葉子「ケルン、大聖堂は森の化身」(日経新聞2006.1.21朝刊)より引用


※3 俵万智『言葉の虫めがね』(角川文庫版)P.188より引用


※4 俵万智のようなスタイルに達するとこのような誤解は多いだろう。小難しい専門用語をこねくり回すことだけが仕事の質に直結するものではないことを理解して欲しい。また何かを下敷きにしてトレースしているような文章は論外として、プロの作家であっても決して楽に書ける訳ではなく、文章を書くには非常な労力を注いでいることも分かって欲しい。今日(3月20日)の日経新聞(夕刊)に松岡正剛(編集工学)の記事があったけれども、彼のブログの原稿も1作品3時間以上かかっているとのこと。編集を熟知した氏であっても例外ではない。一応断っておくと、これはおそらく最短レベルと考えてよく、一般的にはもっと時間がかかると思ってよい。


※5 俵万智『言葉の虫めがね』(角川文庫版)P.149より引用


※ 文中の2本の短歌は『言葉の虫めがね』(角川文庫版)PP.72〜73より引用







   《写真引用元》




   faint but strong something*雰囲気と写真



言葉の虫めがね (角川文庫)

言葉の虫めがね (角川文庫)


フルタイムライフ (河出文庫)

フルタイムライフ (河出文庫)


溶ける街 透ける路

溶ける街 透ける路

橋本コンパクトライフ




  



1.


けっきょく橋本に住むことにした。家賃を抑えたいという経済的な事情が一番大きいけれど、二つのことが決め手になったように思う。一つは、昨年研究会に参加するために橋本にある多摩美術大学に二回足を運んだことだ。新しいことを始める際、多くは偶然に左右されるけれど、全てがそういう訳ではなくて、一度足を運んだということや、知り合いから聞いたことがあるというような、ふとしたきっかけが大きく作用する。大学の先輩が日本から遠く離れたスイスの建築事務所で働いていたけれど、それはスイスを旅行したことがあったのと、その建築家が審査員だったコンペで入賞したことがあったので、もしかしたら雇ってもらえるかもしれないと思ってポートフォリオを送ったのが経緯らしい。ここでスイスを引き合いに出すのは大袈裟だけど、僕にとっては橋本も似たようなものだった。


もう一つは、設計事務所に勤めていた時に関わったプロジェクトのオーナーの影響である。この人は自らの手で会社を立ち上げた起業家で、「会社を設立した時は読売ランドに住んでいたけど、その後、会社が大きくなっていくのに伴って、杉並、渋谷へ移って行った」と話していた。この人の歩みを今の僕に重ね合わせて、これで行こうと思ったのである。そういえば、建築批評家のコーリン・ロウも片田舎のテキサスの学校で教鞭をとっていた時、自らをテキサスレンジャーズと名付けて「いずれニューヨークのアカデミーに乗り込んで一泡吹かせてやる」などと言っていた当時の野望を何かの論文で語っていた。周辺から中心を目指すというのは、なんだかワクワクするではないか。



2.


今回の引っ越しは非常にスムーズにいった。一人暮らしを長くやってきたこともあると思うが、今の自分に必要な物、必要な量がきっちりとつかめていたので、部屋に荷物が収まらないというような問題は起こらなかった。棚は一つしか置けないと分かっていたし、そこから逆算して手元に置ける本の量も検討がついていたし、机の大きさ、ベッドの大きさも適切なサイズが事前につかめていた。実感としては今ぐらいの歳(30歳)になってというのではなく、大学生になって東京に出て来た頃にすでにそうであって欲しいし、そう出来たのではないかと今からだと思えるのだけど、それはなかなか難しいだろう。やはり学生の経験、勤めた経験があって、ようやく掴めたというのが事実である。昨年付けた日記(未公開)にちょうど良いものがあるので紹介しよう。


 最小限



物はどんどん増えていく。
学生時代は蔵書数が800冊に至った。しかし、そのうち読んでいたのはせいぜい20〜30冊程度、稼働率2.5%、ホテルを例にとれば採算ラインは80%だから救いようのない倒産状態であった。ただでさえ狭いアパートの、天井に迫る高さの本棚にぎっしり並べられた本は、何か間違った知識欲、所有欲、達成欲をかき立ててくれたが、冷静に考えれば圧迫感を感じさせるし、場所を取って邪魔であった。本を置くために場所を取っていると考えると、やはり稼働していなければそれは負担でしかない。


本を読むためには絶対的な時間が必要である。また難易度が上がれば時間もかかるし、お手上げなんてこともある。その手の本を数冊ストックしておくのは良いとしても大量に保有することは致命傷である。冷静に考えれば明らかなことだが、それが分からなかった。学生時代は勉強会等で情報が多量に舞い込んで来て、テーマも多岐に渡った。また全般的に難易度も高かった。情報自体は的確だったので、それをもとに入手した本はどれも重要であり、本自体の価値から判断すると手放せなかった。問題なのは私自身のさばける量(力量)との釣り合いであった。私の力量と見合った難度と量、これがうまく保たれている必要があったが、それができていなかったのである。


ちょうど勤め始めた頃、学生時分のように自由な時間がとれなくなり、本棚にある本を読めないことが決定的となったので、自分の興味が高いテーマ順に並べ直して順位の低いテーマの本、また明らかに難しすぎる本を古本屋にリリースした。一度でなく十数回に渡って段階的にリリースしていった。しかしながら、そうやってリリースしながらも、懲りずにまた新たに本を購入していた。そんな本のなかには、明らかに読めないような難解な本で、その後リリースすることになってしまう本もあった。そんなことを繰り返しながら、手元に20冊程度のみを所有するまでに絞られた。


勤めていた時は、逆にリリースすることに病的だったかもしれない。過度に忙しく、時間にも心にも余裕が全くなかった。仕事が忙しい上に、仕事上覚えねばならない専門知識が多々あり、人文、学術系中心だった今までの本は、仕事に関する限り何の利益も上げない邪魔者であった。そういう本を読むことは、勉強ではなく、仕事からの逃避であり罪であった。ある意味では重要な本だったので古本屋に売らず実家に送ってストックすることもあったが、ある時、その手の本は絶滅した。それぐらい追い込まれていた。本棚には実務上必要な専門書が数冊置いてあるだけになった。


しかし、実務的な専門書ばかり読むというのもつらく、うまく行かなかったので、新たな妥協点を求めて読書に対する考え方を一新した。日曜日だけは実務とは関係のない本を読んで良いことにした。ただ、一日しか時間がとれないのだから、人文系の専門書を読むのは無理だ。それにただでさえ能力的に背伸びし過ぎているというのも問題であった。そのため、読書の対象をこれなら読めそうだという新書にレベルを落としたのだ。新書は人文系の重要文献を読むようにポイントを稼ぐことにはならないが、読む力はめっぽう伸びた。読んだら当然、色々と考えるし、またそれが次から次へとサイクルしていくので有機的なリズムが形成された。これは本当に大きな力になった。当時はまとまった量の原稿を書くことはなかったので、読んだらちょっとした感想をブログに書くか、あるいはマーカーを引いた箇所だけを読み返してすぐに捨てた。もともと仕事からの逃避としての読書だから、実務に関係ない、そういった本が本棚にあるのが目に入るだけで罪の意識に駆られたからだ。やはり病的だった。


(2005.11.04)

今はそういう状態も越えた。今後は文章を本格的に書く体制に入る。当面、学生時代のような背伸びした難書を買い込んだりはしないが、読んで戦力になると思った本は本棚にストックして行こうと思う。まとまった文章を書く場合にはやはり必要になるだろうし、それによって文体は幾分おとなしくなってしまうだろうが、それはそれで良いとしようではないか。



3.


このように僕自身への修正が幾度となく施され、ようやく自分のサイズを見い出したのである。ただ、今回、橋本での生活をうまくスタートできた理由としては、以前に比べて生活環境が良くなったことも大きい。僕は東京に出て来た当初、渋谷にある親戚のマンションに居候していた。二年程で引っ越したけれど、次に住んだのが梅ヶ丘(下北沢付近)で、大学は飯田橋にあって、卒業してから勤めた事務所は学芸大学(東横線)にあった。僕が経験していた東京は渋谷から電車で15分以内のエリアで、言うなれば、僕はバリバリのシティボーイだった訳だ。しかし、正直住みやすいとは思わなかった。当時は表参道の同潤会アパートはもちろん、代官山の同潤会アパートもまだあって、旧山手通り〜代官山、代々木公園〜表参道〜青山といった辺りは、なかなか好きな場所だった。デートやショッピングをするには持って来いの場所だった。しかし悲しいかな、当時好きだった子とはあまり良い関係に至らなかったので恩恵は少なかったし、さえない野郎三人で写真を撮って歩き回った記憶ぐらいしかない。まあ、これはプライベートな問題で僕に非があるようだけど、それとは別に決定的だったのは、渋谷にはスーパーがなかったことだ。正確に言えば東急会館の地下に東急ストアがあったけれど、学校の帰りに寄るというような立地条件ではなかったし、また東急プラザの地下には市場があったけれど、品物が選別されていて、あまり気軽に買えるような感じではなかった。さらに決定的に悪影響だったのは、渋谷は毎日人で溢れているので、そこにずっといると、世間の人は毎日遊んでいるのだと錯覚してしまうということである。毎日違う人が入れ替わり立ち替わり来ているのだけど、中にいるとそういう見分けはつかない。生活感が希薄になっても仕方がない環境である。昨年末ニューヨーク・マンハッタンに行ったけれど、あまり魅力を感じなかったのはこのような教訓をすでに受けていたからだろう。渋谷という街は学生が一人暮らしを確立するにはハードルが高すぎたのだ。


それと比べると橋本は住みやすい場所である。駅前には大型スーパーも、スタバも、書店も、図書館もある。さらに100円ショップや無印良品まである。また、そういった都市型ショッピングセンターに加えて、少し歩けば、国道16号線沿いに大型ホームセンター、スポーツショップユニクロ等が集まった郊外型ショッピングセンターもある。アメリカに行った時、ウォルマートやターゲットといった大型スーパーやホームデポといった大型ホームセンターを見て便利だと感じたけれど、日本でも郊外や地方の幹線道路沿いには、そういった店がすでにあったのだ。それに加えて、電車で15分の八王子や町田にはデパート、ヨドバシカメラ東急ハンズ等がある。わざわざ新宿・渋谷まで行く必要はほとんどない。橋本に来るまでは、都心からの距離で土地の価値を判断して、新宿から40分は遠いし、八王子〜橋本〜町田〜長津田を結ぶ横浜線というのは、なんだか東京エリアの土俵際のようなイメージであまりいい感じはしなかった。しかし、ここに来てみると都心との人の行き来よりも、横浜線で行き来している人の方が多いようで、実は土俵際ではなく、横浜線沿線で独自に自律した生活圏が形成されており、橋本は都心を向いている街ではなく、都心に出ようと思えば出られるということがメリットになっている場所なのだと分かった。



4.


橋本に来て三週間ほどになる。アパートも南側の陽の当たる部屋が運良くとれたし、なかなか快適である。非常に満足している。当初は、郊外の悲惨な貧乏臭漂うアパート生活をイメージして「いずれは都心に住んでやる!」といったハングリー精神で伸し上がろうと思っていたが、想定外のスタートとなってしまった。でも貧乏臭自体は害悪であって決してプラスではない。それに嵌まるとなかなか抜け出せないし、抜け出すために大きな力を注がねばならない。それが運良く免除されたのだから、素直に喜ぼう。そして本当に力を注がねばならない執筆に、より一層力を入れて頑張ろう。



※ 一応断っておくが、生活感の薄い渋谷よりも橋本の方が住みやすいというのは本音だけど、横浜線を越えて、相模湖あたりまで行ってしまった場合、その生活を肯定できるかと言えば疑問である。郊外でのコンパクトライフはポジティブに発信できそうだけど、自然に帰ろうといったいわゆるスローライフまでは声を大にして言えない。今回の生活の決め手は大型スーパーであったし、家賃の安い狭い部屋でも生活が可能になった大きな要因として、パソコンやテレビの小型化、薄型化も欠かせない。流通業の最先端や、最も競争が激化しているテクノロジーにおんぶにだっこになって自分サイズのコンパクトライフが実現しているという事実は否定できず複雑な気持ちである。個人レベルのバランスを保つ以上に社会的規模でのバランスを保つことの難しさを改めて痛感している。

(2006年3月13日)







   《写真引用元》



   faint but strong something*雰囲気と写真

ブログ活動休止・転職のご報告



   《ブログ活動休止・転職のご報告》(2011年7月31日)




「まだジュンク堂書店新宿店が閉店すると決まった訳ではないのに、なぜ?」と疑問に思うかもしれませんが、5月12日に新宿三越アルコットの閉店が発表された後、5月20日に従兄にたまたま会い「店がなくなるかもしれないんだ」と話したら、その日の晩にTELがあり「今だったらうちの会社で雇ってあげるけど来るか?」と言われ、6月3日に会社訪問をして、6月9日に「お世話になります」と伝え、そして6月10日に店長に退職願いを出しました。



日付を並べるとえらくあっさりしているのですが、実際は複雑な事情がいろいろと絡み合っています。ジュンク堂書店でせっかく5年も頑張ったのだから残る道を探るべきではないか、でも閉店になれば残れる人と残れない人に分かれるのだから、そういうの嫌だから辞めてしまおうか、もともと物書き志望なので、なんとかそれを実現できる道を探るべきではないか、でも原稿料で食うのは無理だし、だったらフリーは無理でも出版関係の就職口をほかに探すか等。何人かと相談もして、アドバイスや意見ももらったのですが、いろいろ考えることはあったのですが、迷いもあったのですが、とんとん拍子で決まりました。いや決めました。



ただもっと正直に言えば、5月12日以前に、「もうこの生活限界!」と感じていて、5月12日に「三越閉店」と社員の方から聞いた時、「ああ、やっと終わった」という感じでした。その時の気持ちは、悲しいというよりも正直「ほっとした」という感じでした。



もともと正社員になりたくて働き始めた訳ではなく、会社を恨んでいる訳でもありません。ただ社会問題にもなっているように、契約社員として長年働き続けるというのは、モチベーションを維持するのが難しく、体力的にも精神的にも厳しいです。1年、2年なら問題ないのですが、3年、4年となってくるとじわじわとダメージがきて、ある時突然、「ああもう限界!」という感じになります。



このような厳しい条件であるにもかかわらず、文句も言わず黙々と働き続けるかつての同僚や、派遣社員生活をずっと続けている小説家の宮崎誉子さんは本当にえらいとつくづく感じます(ただ私が経験したリアル書店の現場について言えば、正社員であっても決して優遇されているとは言えず、みな一様に厳しい条件の下で精力的に働いています)。



また私自身、年齢が35歳ということもあり難しい時期でもありました。書店員とライターの二足のわらじ生活、時間的にも体力的にも収入的にも厳しい生活をずっと続けるなかで、幸い原稿の依頼なども頂き、出版関係者との人脈も着々と築いていました。これ以上ないぐらいうまくいっていたのですが、にもかかわらず今後の収入のアップがなかなか見込めない。改善の余地があるならまだしも、うまくいっているのにダメというのはさすがに厳しい。このまま続けるのは難しいと判断しました。両親ももう何時倒れてもおかしくない年ですから。




今度勤める職場はスーパーレジン工業という会社で、私が配属されるのは図面の作成や構造計算をする部署なので、以前やっていた建築の設計に近いと言えば近いのですが、はっきり言えば全くの畑違いです。 一応ちゃんと生活できる給料はもらえるので、その点は心配ありませんが、そもそも私は化学が専門ではないので複合素材については全くの素人であり、果たして5年後、この会社のためにどのような貢献ができるのか、私自身この仕事に生き甲斐を感じられるのか、現時点ではなんとも言えません。ただ与えて頂いたチャンスなので精一杯頑張ります。




さて。転職を決めたら、体に力が入らなくなり、本を読む気力がなくなりました。もちろん、新しい仕事に対応するために技術書等は目を通しますが、ちゃんとした「本」を読む気にならないのです。



しかし、これがある意味、私の唯一残された可能性かもしれません。つまり、今までは思想書や小説を売るのが仕事だったので、思想書や小説を読むことは一番身近な行為でした。それが新しい仕事に就けば、おそらく一番遠い行為になります。そのなかで思想書や小説を果たして読むことができるだろうか? これを自らを実験台にしてやってみればいいかと思います。



私はずっと物書きを目指していたのですが、書店員をするうちにメンタリティが少しずつ変化していきました。特に人文書を担当していたこともあり、同世代の有望な書き手。例えば白井聡さんや國分功一郎さんのような仕事は私にはできないので、そういった有望な書き手を掩護射撃することこそが私の仕事だと感じるようになってきました。だから売場を離れても、今度は純粋な読み手として、彼らの活動を応援できればと思います。



今後の活動については個人ブログが中心になりますが、新しい仕事を覚えねばなりませんし、自分自身にケジメをつけるためにも、しばらくはブログの活動を休止しようと思います。その後、活動の体制を整えた上で再開し、今よりはずっと地味になりますが、毎週末書評や劇評をアップするといったあたりからまた少しずつ動き出そうと思います。



5年後に独立などを考えるかもしれませんが現時点では全くの白紙です。ともかく今は、新しい仕事に専念し、またこれまでお金を稼ぐということに無頓着過ぎたので、これからはビジネス感覚も磨いていきたいと思います。



今まで温かいご声援をありがとうございました。
また、みなさまとお会いできることを楽しみにしています。



明日へ



2011年7月31日
阪根正行






  









 阪根タイガース日記


阪根Jr.タイガース


2011年《七月企画》


 《初版》(7月6日)




  週2,3回のペースで更新!!

 阪根タイガース日記





 《Headline News》本が出ました!!




  


  新時代の書評エッセイ集!!



   藤原ちから+辻本力編


〈建築〉としてのブックガイド




※ブックガイドを〈建築〉に見立てた新感覚の本です。


※ わたくしは《トレーニングルーム》を担当しました。


※ よろしくお願いします!!!!!




〈建築〉としてのブックガイド

〈建築〉としてのブックガイド




  《七月企画ラインナップ↓↓↓》






  《其の一》フェア



  



  


小林エリカ『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)刊行記念




    小林エリカ選書フェア


会場:ジュンク堂書店新宿店(7F東側23番フェア棚)



会期:2011年6月中旬〜2011年7月下旬(予定)





  

親愛なるキティーたちへ

親愛なるキティーたちへ


   《特集》

様々な角度から見るポスト震災


  


   



会場:ジュンク堂書店新宿店(7F東側23番フェア棚)


会期:2011年7月10日〜(予定)






 《其の二》トークセッション





   《7月1日(金)18:30スタート》終了しました。

  篠原雅武×日埜直彦



   トークレポート》


タイトル:クロスジャンルトーク


   《7月2日(土)18:45スタート》終了しました。

   KAI-YOU presents




  古川日出男×福嶋亮大(司会:武田俊


   《7月23日(土)16:00スタート》申込み受付中

  佐々木敦×青木淳悟×磯崎憲一郎






  《書店論》

  《脱稿しました》

うごうごインタビュー企画(仮)





追加企画:ウゴウゴ100冊

発表媒体: 稀にみる雑誌をつくる会『cut02』









《書店・書店員論》


 『S-meme01』に拙レクチャーが掲載されました!!!




誰でもメディア時代の書店とミニコミ、そして出版メディアのゆくえ


 『組立vol.1』に拙文が掲載されました!!!




 ハブ型書店員の可能性



  


建築系ラジオ》に出演させて頂きました。




  書物の現在と未来


ウラゲツ☆ブログの小林浩さんによる渾身のレポートにおいて、私の活動をご紹介頂きました。




ゼロ年代の編集者と書店員


拙著《書店員レポート》を多くの方々に評価して頂きました。




 ハブ型書店の可能性










阪根Jr.タイガース


好評?連載中!こちらもよろしく!!

古川日出男×福嶋亮大×武田俊トークセッション




  


   KAI-YOU presents


出演: 古川日出男×福嶋亮大×武田俊



タイトル: STORY⇔HISTORY

■ 日時:2011年7月2日(土)18:45〜20:30


■ 会場:ジュンク堂書店新宿店(8F喫茶コーナー)

  





  《感想文:トークの質感》 




  



まずは、このようなすばらしい企画を実現させたKAI-YOUからうれしいメールが届いたのでお知らせします。


編集チーム・KAI-YOUは2008年より「すべてのメディアをコミュニケーション+コンテンツの場」に編集することを目的に世界と遊ぶ文芸誌「界遊」の制作を始め、雑誌や書籍の編集・ライティング、イベントの企画・運営などを行って参りました。当初は現役学生の集まりだったこのチームも、気がつけば設立から3年が経過いたしました。


これまで皆様のお力添えの下、様々なお仕事をさせて頂いて参りましたが、より幅広く精力的に活動したいとメンバー一同常々考えておりました。その結果、2011年7月より法人組織として体制を固め、ビジネスとして展開していくことを決意いたしました。


これからは「合同会社カイユウ(KAI-YOU,LLC.)」として、活動をして参ります。


これまでは書籍や雑誌の編集やライティングが業務の中心としておりましたが、生まれ変わりました「合同会社カイユウ」ではデザイナー・Webエンジニアが加わったこともあり、紙媒体だけではなくWebや広告などのデザイン業務や、Webサービスの開発・運営なども行っていく予定です。もちろん自社出版物の刊行も続けて参ります。新たなメディアとコンテンツの可能性を提案するべく尽力して参りますので、ぜひ今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。


合同会社カイユウ(KAI-YOU,LLC.)
代表/「界遊」編集長
武田俊


昨年末、コンテクチュアズ合同会社を立ち上げ、自らの手で『思想地図β』を刊行したことは記憶に新しい。しかし彼らは例外として、昨年、「電子書籍時代の同人誌」というイベントでもミニコミ誌の今後のあり方を話し合ったのだけど、ミニコミで採算面をクリアしてビジネス展開するのは厳しいだろうと受けとめていた。


そこにきて、KAI-YOUの独立はうれしいニュースだ。もちろん出版だけでは難しいので、ウェブデザインなども絡めた事業展開になりそうだが、なんとかがんばって欲しい。






さてさて。


今日のトークで興味深かったのは、批評家の福嶋亮大さんと小説家の古川日出男さんの創作に対する思いの違い。震災がやはり話題に上ったのだけど、震災を受けて何ができるか?


福嶋さんは自らが書くものを政治家にも読んでもらいたい。政治家にこそ読んでもらいたいと述べた。


一方、古川さんは、僕は小説を書くことしかできないが、政治家に読んで欲しいとは思わないと述べた(何の役にも立たないから。小説を読んだからといって政策を立てられる訳ではないから)。




   福嶋亮大の変化




  



批評家と小説家の立ち位置の違いを考慮すれば、理解できる発言だが、以前福嶋さんは『神話が考える』の刊行記念シンポジウムで荻上チキさんからこのような批判を受けていた。『ユリイカ2010年9月号』にその時の記録が収録されているのでチェックしてみよう。

  



荻上 僕自身も、評論家としてニューメディアやコンテンツについて言及する機会は多くあります。但し、デマを中和したり、デマの力学を分析したり、教育や政治との接合について考えたり、あるいは古典的な社会問題についての分析に参加したりと、その対象や問題意識は「わかりやすく政治的」なものが多い。濱野さんとは以前話したことですが、僕が二コ動を分析したりするときには、二コ動上で非常にオールドな政治運動が反復されること、つまりコミュニケーションや政治の自走性にどうしても目が行く。アーキテクチャの自己生成への観察だけでは、そこは見えてこないだろうけれど、それはそれぞれの仕事で補いあうこともできると思う。


では福嶋さんの議論は、どこに「外部」との接続可能性を設けるのでしょうか。文芸評論の言葉で、何かの社会的機能を果たそうというのであれば、かなりアクロバティックな論理展開か、実際にコミュニティを生成していくようなムーブメントを伴う必要があるように思いますが、そうした素振りはありません。ムーブメントの必要性には触れておられるようですが、その芽生えの機能はなさそうです。苦言を申せば、福嶋さん自身の枠組の中に取りこみやすい風景だけを、ただ論じたものでしかないという印象が拭えずにいます。


福嶋さんの批評言語というのは、どのような機能を持つことを欲望しているのでしょう。僕は、先程のご紹介にもありましたとおり、芹沢一也シノドスという会社をやっています。特に今は、この10年間で顕在化してきた、実証的蓄積や理論的研鑽を積み重ねてきた社会科学的な言説を元に、時事的な応答をしていくことをミッションにしています。これもまた、わかりやすすぎるほどの啓蒙的態度ではあるわけですが、だからこそ「何を目的とするか」の明確化が常に気になるんです。現状がどういう社会なのか、そこでコンテンツがどのような役割を果たしているのか、それをどう分析することで、どんな役割をこの本自体が果たすのか。


誤解をされないように申し上げておくと、これは評論対実証といった対立ではありません。たまたま幾人かのプレイヤーが反目しあっているというのもあって(笑)、シノドスのような営みと『思想地図』のような評論の営みが、宿命的に「対立」しているかのように語られがちなんですが、そんなことはないと思っています。


実証によって葬り去られる評論もあれば、輝く評論もあるでしょう。目的不明の自家消費と批判されるものもあれば、そうでない示唆をもたらしてくれるものもあります。福嶋さんの本の政治性がわからないといった時、単に政治を取り扱わない、データやエビデンスがないと批判しているのではなく、その射程を問題にしていると思っていただければと思います。


(『ユリイカ2010年9月号』pp60-61.)

簡単に言えば、福嶋さんの『神話が考える』における評論は、いま問題となっている社会問題も解決しないし、政治も変えないといった手厳しい批判である。荻上さんは自らが編集する『シノドス』において、社会学者や経済学者、教育学者などと議論を重ねている。だから、厳しい批判だが、ちゃんと筋が通っている。



  



ただ、これを聞いた時、私は「文芸批評にこのような要求をするのは酷だろう」と思い、過剰要求あるいは的外れな要求だとも感じた。



しかし今回、福嶋さん本人の口から、まるで上記の荻上さんのような発言が飛び出したことには驚いた。震災が、という訳ではないだろうが、それにしても大きな変化だ。ただし内実は、荻上さんとはやはり違う。福嶋さんは中国文学が専門なので、日本と中国、あるいは日本とアジアの歴史を説くことに重点を置いている。政治家が欧米ばかり追いかけて、アジアを全然見ようとしないので、そのあたりを論じて、日本の進むべき道について、示唆を与えようと考えているようだ。期待したい。






   古川日出男の声




  



古川日出男さんに来てもらって語ってもらうのは本当にすばらしいことだ。小説家は文章で語る人だけど、古川さんはその文章に声を与えることができる数少ない小説家だ。現代作家では他に多和田葉子さんぐらいしか思い当たらない。



   



その古川さんが『新潮7月号』に「馬たちよ、それでも光は無垢で」という文章を寄せている。小説家が語る「福島」、質感というか魂がちゃんと宿ってる。政治家が語る「福島」とは全然違う。



僕は小説であってもマーカーを引きながら読む癖があるのだけど、この文章については、重要な箇所というのではなく、ただただ質感だけを頼りにマーカーを引いていた。



  


  


『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』



『トゥモロー・ネバー・ノウズ』



宮古港と閉伊川



答えは出ている。書けるはずはない。
こうしてこの文章のために筆を執る直前、気づいたことがある。私はこれほどの期間、意図せずに「執筆するという行為」を休んだことはなかった。ここ数年、書かない日はなかった。そもそも私には休日という発想がない。ここ数年、平均するならば私は年に三冊は作品を発表しているのではないか。



文学が無効だとは思わなかった。



巨きな余震があるたびに、私は推敲する。



私はこの小説の内部で『聖書』に触れていたし、イエス・キリスト系図には冒頭部から執拗に、徹底的に触れた。そもそも題名がとうに触れていたのだ。キリスト教、及び最小単位のイエス・キリスト系図に。メガノベル『聖家族』のその題名の由来は、キリスト教美術の主題である the Holy Family にある。



“ 書物 ” とは何か。『古事記』だろう。



『聖家族』は東北六県の小説である。



駆けぬけろ



放射能の雨に打たれて
躍りつづける
終わりのない雨のビートに
鳴り止まない胸のビートに
もう一度
スピードを上げて



私が福島県の出身であることを友人たちは知っている。



十歳下やら十五歳下やら、もっと年下やら。私はここ数年、音楽やダンスや美術などの分野で多様なコラボレーションを試みている。アウトプットの形態が異なる表現者と共同作業を行なうことで文学の強度(らしきもの、名状しがたいポテンシャル)を上げることを考えている。



今度いづ郡山さ帰ってくンだい? 早ぐ帰っできで。そしだら、まだ遊ぶべ!



再び巨きな余震があって、私はこの半日間に書いた分の原稿を棄てる。



そのフレーズとは「想像力を善きことに使う」だった。



ライブ・スポットと称してよい。私は朗読をする。詩人たちを主軸とする顔ぶれだったから、私は詩としても通用するテキストを選ぶ、自著の中から。被災地にも届けられるかもしれない言葉と声にしなければならなかった。が、過去に書いた小説の何が、どんな言葉が通用するというのか。作品としてはやはり『聖家族』しかなかったし(ただし判断するのに二日かかった)、一瞬はそこから東北弁のモノローグの類いを選り抜いて、再構成したそれを読もうかとも考えた。しかし人間に関する挿話が、読めない。だとしたら。私は結局、馬の挿話にする。私は岩手県の匿名の地の、昭和二十一年に馬捨場から身を起こした一頭の無名の馬の、その牝の死馬の語りを選ぶ。昭和二十一年は一九四六年だ。一九四六年は、敗戦の翌年だ。東北の馬たちとこの日本  日本国。私は時間と空間を越えた痛みを読む、あるいは読もうとする、通用する声はあるはずだと信じて。私は馬語すら、この生身に宿そうと望んだ。



「相馬市から来ました」と。



その相馬には馬がいる。



「オレ、相馬に行こうと思うんだよ」



「見ようと思う」



「見てください」



私は文芸誌「新潮」に『冬』『疾風怒濤』という二つの中編を発表済みで、それらに連続しているパーツを



題名は『ドッグマザー』。



どうして京都なのか。そこには歴史的な日本国があるからだ。



京都でも若干の揺れは感じた。
関西でも長い地震はあるのだな、と感じた。もちろん「阪神・淡路大震災」のことは頭を過った。東北のことは過らなかった、もちろん。



午後五時台に、私は地下鉄烏丸線のホームで、新聞の号外らしきものを手にしている京都人たちを何人も何人も、見る。躍っているヘッドラインを見る。黒字に白抜きだ。東北。太平洋沖。マグニチュード8.8。各地で大津波



私は実家と連絡をとる。



宿泊しているホテルの部屋で私は、テレビの報道から離れられない。注視の時間はここからはじまる。その時間はじきに「神隠しの時間」に連なる。つながる。



私は、あのホテルのあの部屋で、たしかに作家の中上健次のことを想い起こしはしたのだ。



「国内空前の」



私は、私こそが彼岸にいる。非現実の側に。



私に罪がないと言えるか。のうのうと生きている理由を述べろ。





同心円が生まれる。



原子力発電所に対してのこの命名は何なのか。わざわざFではじまる県名を冠したことに事由はあるのか。



新しい日本国はFukushimaを領土と宣明してしまう。



私は円に触れる。
ニュースを報じている画面の。
私は円環を感じる。声がする。行け。ある時洗面所の鏡を見ると私の顔の、右側の眉毛が半分ほど失われていて、無意識に毟りとってしまっていたのだと悟る。



しかし二十七か八で終熄した。私は二十七か八で、ある意を固めたのだった。それが何かは言えない。しかしながらパラフレーズはできる。自己憐憫は結局のところ他者と世界を憎むことだ。まずは憎しみを棄てよ。もう口にするな。



『聖家族』はどうだったのか。
私はどうして東北六県の小説を書いたのか。
その六県が封鎖、封印されるような小説を?
私には孤児の感覚がある。どうしたって孤児ではないのに。



ただし出たのは、愛憎の強度からではない。この土地  福島県、郡山盆地、その西部  に私は要らないのだなと思っただけだ。



それから、雑誌「美術手帖」がある。それは三月十七日発売の最新号で、見本誌は “ 神隠しの時間 ” に逆らうかのように私にきちんと届いた。



企画そのものの発端には同時代の作家の福永信さんがいるのだが、私と画家とでプロジェクトを拡張させて、私たちは三月十九日からギャラリーでの展覧会を行うことにしていた。



それでも見ろ。そこを見ろ。



“ 福島イーストコースト ”



それが相馬市だった。



中村街道の中村。馬蹄と馬のデザインを有した街灯がある。ウマと私は思った。相馬には馬が。



冬と感じてからわずか三時間ほどで初夏と感じている。私は時間が揺れていると思った。



そのコンビニを発って数分だった。北進する私たちの視界の右手、東側の沿道にまるっきり奇襲のように津波の惨状が現われた。



私たちは新地町役場の交差点で右折して、もちろん全員がだと思うが、その判断を停止させる。



津波は何を破壊するのか。



太平洋は穏やかだった。



何を問えばいい?



瓦礫から砂が舞いつづける。次第に瓦礫とは “ 瓦礫 ” ではない事物の百もの千もの部分の集まりなのだと認識する。



JR常磐線だ。が、その在来線はなかった。線路の終焉があった。消滅が、破壊が。
踏切の表示のかたわらのガードレールの、水平と垂直を(すなわち向き、方位を)慮外した曲がり方、傾き方、折られ方、ほとんど憎しみ合い方。真っ赤な金属の箱が横転していて、自動販売機だ。Coca-Colaとある。読めるのに、読めても意味はない。同じような大きさの白い箱があって、冷蔵庫だ。常磐線のそばのそこは住宅地で、変電所にも近いが、その変電所も何軒もの住宅もやられている。地面に割れたレコードがあって、



私はどこを、どう撫でれば真の意味で慰撫になるのかの見当もつかないままにその馬も撫でた。レースで一着になった競走馬を騎手が褒めてやる時の仕種を見知っていたから、それを真似しようとして、ほとんど無様に失敗した。ほんの少々も安心を与えられなかった。



その猫たちは馬と暮らしているのだと、飾られた写真から判明した。



私は哲学者の梅原猛がその著書『日本の深層』の中で触れていた、宮沢賢治についての記述を想い起こす。



東北の文学者の賢治について、こう述べられていたからだ。



〈彼は多くの童話と詩を書いたが、けっして小説は書かなかった。それは賢治の世界観と深く関係しているように思われる。小説は、やはり人間中心の物語である。賢治は人間だけが世界において特別な権利をもっているとは考えない。鳥や木や草、獣や山や川にいたるまで、すべてが人間と同じように永遠の生命をもっていると賢治はみなしている。永遠なる生命を付与されながら争わざるをえない人間の宿命と、その宿命からの超越、それが賢治が詩で歌い、童話で語る世界である。そのような世界観を、私はかつて仏教の世界観と見ていたが、あるいはそれは、仏教移入以前の日本にすでに存在した世界観かもしれない〉



ところで私は、と思うのだった。私は動物の小説を書いている。犬たち、猫たち、烏たち、さまざまな鳥獣を主役にして。また人間たちにも動物の名前を与えた。イヌでウシ。



いや。



いや、違うのか。問題は私がいま小説を書いていないということなのか。書けない。



平穏が流れていて、私はSさんに漏らす。そのまま、「平穏に感じられますね」と。するとSさんが応じた。「ええ、平然としていますね。街が」と。



南相馬市のコンビニだ。



それから余剰としての物資がある。時間あるいは日付に対しての余剰。ホワイトデー用の菓子類が、あたかも手つかず状態でコーナーにある。三月十一日以前に、それは支度された。三月十四日に、それは不要とされた。その日付に対しての余剰。ここには日付はない。依然としてここには。



沈黙が感じられる。思い。



古事記』を想い起こした。私は、『日本書記』のことは考えない。どうしてかと言えば歴史書として整いすぎ、そうした合理的に整理されたものは私には歴史に思えないからだ。



それが彼だった。



しかし、誰が理解しない? この泣き言はなんだ? 私は自分自身が兄なのだと悟ったではないか。そうだ、見えない家族の、長男なのだと。その家族の巨きさを信じろ。信頼を信じろ。



書け。それが彼だった。



「じきに気が狂れるよ、あんた」



私たちは人殺しの歴史しか持たない。



“ 武将たち ”



府中



段階a。



段階b。



段階c。



段階d。



森の、その天地の空気がケラケラケラ、ケラケラケラケラと笑いつづける。



常食みたいに。それでな、俺は鳴らしたよ。窓を全開にしてダビング・テープを、一本残らず。俺はな、『ツイスト・アンド・シャウト』と『エリナー・リグビー』と『アイ・アム・ザ・ウォルラス』を気に入った。それから俺は。



いや、よそう。



「霊山だよ」



ユダヤキリスト教の文脈では俺たち人類が神と契約を交わし、家畜もまとめて授かったことになっているが、あらゆる



実際、そのために俺たちは五番、あるいは六番、さらに何十種もの家畜の生殖をコントロールしている。



さて、馬だ。
馬は後者だった。



“ 馬 ”



馬と武士だ。



古事記』の



いいか、それは正史じゃないぞ。



相馬氏は「日本」でも屈指の古豪だ。
しかも相馬氏は、鎌倉時代から明治四年、西暦に換算した一八七一年まで福島県浜通りの同じ地域を領していた。ずっと。幕府の命令による「国替」というのも経験しなかった。これは日本史的に稀有な例だ。そうして、一八七一年の廃藩置県を迎えた。



ほとんど七百年、相馬氏は相馬にいた。



こっちだと一三三三年だ。
鎌倉幕府の滅亡の年だ。



軍馬だ。



この大移動がある。



五月十一日は過ぎているのだった。
あの三月十一日からふた月が経過していて、けれども昨日、私は大々的な報道は見なかった。



「もう帰るんですか」



すると311は、ちょうど半年後に、地球の裏側でメモリアルな双子を持つ。911。しかもアメリカの二〇〇一年の九月十一日は、その一番の象徴を、ニューヨーク市に持つ。いまは「ない」世界貿易センターのツインタワー。



グラウンド・ゼロ



渡米はやすやす叶って、ニューヨーク現地時間の四月三十日、私は前々からのスケジュール通りにそこにいた。狂った予定はあの決定的な一つだけ、私がFukushimaの小説家となった/なっていることだけだ。



豊饒さ



詩人のジョシュア・ベックマンさんと言葉を交わして、まさに「詩を生むしかない」感受性にうれしくなった。公の対談相手はスティーヴ・エリクソンさんで、そのエリクソンはじつにエリクソンだった、誤差がなかった。書いている本を裏切らない人物としての著者。着ているシャツは、一度めに会った時はボブ・ディランのイラスト柄、二度めにはマイルズ・デイヴィスだった。



楽家たちだ。



現地時間の五月一日の夜だったのだ。オサマ・ビン・ラディンが仕留められたのだ。アメリカ(の軍)に。詳しい情報は、最初は、ない。



USA! USA!



歓呼はなかった。
これからあるのかもしれない。
国旗はあった。星条旗があった。文字があった。ゴッド・ブレス・アメリカとあった。ニューヨーク市は被災地なのだ、とわかった。



生まれてきたっていいんだろう。囁いているような声が聞こえる。私にできることは他者を憎まず、世界をも憎まないことだけで、それはつまり、態度としてはひたすら愛することだった。



うなるだまるどなる祈る汗す



「ストロベリー・フィールズ」という場所に出る。



関係者以外
 進入禁止



「いわき・ら・ら・ミュウ」



「カモメですね」と言う。



たぶん探鳥(バードウォッチング)



が、異様に群れている。私は潮の匂いがあまりに強度を増した



ウミネコですね」



「ここへ来い」



「ほら、ビートルズの『トゥモロー・ネバー・ノウズ』が流れているだろう」



「俺が誰か、わかるか? 俺は狗塚牛一郎だ。そして、ほら、あんたに言う。物語が必要だろう?」



「お預けになっていた物語の、続きが」



「そうだ。弟を失ってからの俺がいる」



お前は牝馬か?



ソウヨ、と馬は答えるわけではないが、事実牝馬だ。
お前は戦場から戻ったのか? 宿敵の伊達氏との小競り合いから?



ソウヨ、と馬は答えることが不可能なのだが、実際にそうだ。その馬は戦場で命を隕としはせずに、相馬氏の確たる領内に帰還した。



白い人間だ。



あちらこちらにぺしゃんこの自動車がある。



しかも柵にカチリと噛み合わせた。施錠と同じだった。



それから白馬は、



そして雑草たちを光が育てている。降る、陽光が。


  



  













阪根Jr.タイガース


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