現代社会と《ビオ-ポリティクス》






序.


本棚の前で、こう考えた。


気鋭の思想家 ジョルジョ・アガンベンの主著《ホモ・サケル》三部作ついに完訳!!


ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生


例外状態

例外状態


アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人


この並べ方が正解だけれども、



現代社会にメスを入れる《難民》三部作!!


生きさせろ! 難民化する若者たち

生きさせろ! 難民化する若者たち


ホームレス中学生

ホームレス中学生


アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人


この並べ方もアリかもと。



1.


人との出会いは、何にも換え難いもので、私にも本心から先生と呼べる恩師が数名いる。なかでも、岡崎乾二郎氏(造形作家・批評家)から受けた影響は多大で、私の思考、思考法の6割、いや7割は岡崎氏によって形成されたと言っても過言ではない。


ルネサンス 経験の条件

ルネサンス 経験の条件


絵画の準備を!

絵画の準備を!


芸術の設計―見る/作ることのアプリケーション

芸術の設計―見る/作ることのアプリケーション


もし、私が岡崎氏と出会っていなければ全くの別人になっていたであろうし、良くも悪くも今のような人生を歩むことはなかったであろう。それほど私にとって岡崎氏は大きな存在である。そんな岡崎氏に以前、私は《ムーゼルマン》と呼ばれたことがある。罵倒ではなく最大の賛辞として。

この人、さかねくんって言うの。《ムーゼルマン》なの(笑)。設計事務所にいたんだけど、そこもやめちゃって、今何やってるかわかんないの。生きてるか、死んでるかもよく分かんないの。そういう人(笑)。

2.


ただ、そのときは設計事務所をもう辞めていたから、正確に言えば、もう《ムーゼルマン》ではなかった。頭も大分回復していたし、思考回路も人並みに戻りつつあった。何やってるか分からないというのは、私自身今でもよく分かってないので合っているけれども、正しくは「かつて私は《ムーゼルマン的》だった」である。


設計事務所に在籍して現場を担当していたときに《ムーゼルマン的》と言える徴候があった。生死の間を行ったり来たりしていたとか、自殺しようと考えた訳ではなく、思考回路が麻痺して、頭が飛んでいたのだ。「○○だから××である」という論理形式が組み立てられなくなっていた。感覚的に説明すれば、点と点をいつまでたっても結ぶことができない。なにか、もわもわっとしたものがあるだけという感じであった。


なぜ、そのようになったのか。


ボス(建築家)はデザインを日々変えていった。容赦なく変えていった。ただでさえ難しいデザインであり、コストと工期が厳しく、いつコストが暴れても、工期が延びても、また職人への指示に混乱が生じて品質が確保できなくなってもおかしくないような状況であるにも拘わらず、一難去ったらまた一難、追い討ちをかけるように、日々変更をふっかけてきた。


オーナーからは日々、追加要望書が送られてきた。非常によくできた要望書で、まるで契約書のように、要望がきれいに並んでいた。明らかに過剰要求であったが、駆け引きがうまかった。こちらがその要望に返答しなければ、こちらのペナルティとして責任を負わねばならないようにできていた。またオーナーは、自邸ということもあり思い入れも強かった。意識が過剰になるのも分からなくはなかった。ただ、その程度が半端ではなかった。さらに、オーナーの要望とボス(建築家)のデザインの方向性は同じ方向を向いていなかった。180度とまでは言わないが大きな開きがあった。これがまた厄介であった。


現場からは、図面の請求、図面承認の請求、追加見積書が日々たたきつけられてきた。図面承認が期日に間に合わなければ、工期の延長は設計者のペナルティとして、責任を負わされる。過去に一緒に仕事をしてコストが暴れて現場所長のクビが飛んだことのある施工会社だから、この時の現場所長はしっかりしていた(私が設計事務所に勤めていた時に沢山の人々に出会った。ボス、チーフ、オーナーである大企業の社長、腕のいい職人、etc. 色んな人に出会ったけれども、その中でもこの現場所長が一番優秀だった)。追加見積書にサインをしなければ、現場は一切動かないと突っぱねてきた。


三者ともみな違う方向を向いていた。放っておけば空中分解するのは明らかだった。さてどうしたか。


ボスとの日々のやり取りはこんな感じだった。「なんでここがこうなっているんだ!直しておけ!」「はい、すみません」。(翌日)「バカヤロー!誰がこうしたんだ!こんな訳ないだろ!」「はい、すみません」。(翌々日)「ここは、この方がいいだろ!こうしておけ!」「はい、わかりました」。こういうやりとりを何年間もひたすら繰り返したら、頭がおかしくなった。「○○だから××」といった論理が成り立つ世界ではなかった。「あなたは間違っている」という正論が通じるような世界でもなかった。逆に「私は正しい」という確信もなかった。社会に出てまだ間もない。現場のことも、デザインのことも分からないことだらけだった。このような状況で、にもかかわらず、この場に留まり、現場を動かすためにどうしたか。


理想を言えば、違う方向を向いた三者に対して、私が誰もが納得するような超越的な解答を打ち出して、それでもって三者を束ねて一つの方向へ導いて行くのがよい。しかし、社会に出て1,2年目の自他とも認める未熟な若造にそんなことできる訳がない。


私がとった戦術は、自分をとことん消去して、無にして、反射神経で全てをさばいていくという方法だった。ボスが変更したら即図面をまとめて現場へ送る。追加見積書が送り返されてきて、コストをやり繰りできる範囲だったらチーフに相談して現場に指示を出せるように準備する。その旨をオーナーへ伝えて、同意を求める。同意を取り付ければ、図面と見積書にサインして現場に送る。コストがやり繰りできなければ、ボスともう一度折衝する。「バカやろー!」は計算済み。なんとか納められそうな案を引き出す。オーナーから要望があった場合も同じような手順を踏んで、ボスの同意を取り付け、現場に指示を出す。


とにかくスピード。その時起こった問題をその場で処理した。そして、処理した問題はすぐに忘れるようにした。問題を溜めず、抱えず、極力身軽を保った。抱えていると重たくて動けなくなるから。また先のことは考えなかった。この1週間のうちにやらねばならないことをノートにメモしたり、こういう問題が起きるだろうと読んで、先手を打つことはあっても、先のシナリオは作らなかった。どうせ、そのようにならないから。


繰り返すが、やったのはただその時、その時に起こった問題をその時、その時に処理しただけ。あと心掛けたのは、報告が漏れないようにすることと、打ち合わせをした時は、必ず議事録を起こして、それにサインをもらうこと。また現場に指示を出す時には必ずサインをすること。そしてその書類がすぐに取り出せるように日付を必ず打ってファイルすること。なぜならば、問題が起こったときにサインをした書類で、責任の一線を引けるから。このサインをした書類までも何度かは踏み倒されそうになったが、こちらもこの一線だけは崩されないように厳しい態度で臨んだ。これだけは崩してはいけないという空気を醸し出して応戦した。結果、設計事務所の責任としていくらか持ち出すことになったが、竣工後、暴れたコストの責任の擦りつけ合いが起こったり、裁判沙汰になったりはしなかった。


またファイル法について説明すれば、方法は色々あるけれども、この時、私は項目別に分けることは極力避けて、基本的に時系列、日付で管理した。日々、次から次へ涌き起こってくる問題に対処するために、処理した問題は即忘れるようにしていた。だから頭は、ほとんど記憶が飛んでいるような状態だった。そのため、過去の問題を掘り出さねばならない時には、明確な記憶を頼りにできない。そこで、だいたいあの頃に起こった問題だとアタリをつければ書類にたどりつけるようにするために、日付で管理していた。


そんな日々を送っていたから頭が飛んでいた。生きている心地がしなかった。なんだか感覚がよく分からなかった。《ムーゼルマン的》だったのだろう。



3.


《ムーゼルマン》とは何か。それについては、ジョルジョ・アガンベンアウシュヴィッツの残りのもの』において詳しく説明されている。


アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人


それは、アウシュヴィッツなどの収容所で通用していた隠語で、「der Muselmann(回教徒)」と呼ばれたもののことである。

あらゆる希望を捨て、仲間から見捨てられ、善と悪、気高さと卑しさ、精神性と非精神性を区別することのできる意識の領域をもう有していない囚人が収容所の言葉で呼ばれた名にしたがうなら、いわゆる回教徒(ムーゼルマン)である。かれはよろよろと歩く死体であり、身体的機能の束が最後の痙攣をしているにすぎなかった。(※1)

栄養失調症の徴候は、二つの時期に区別しなければならない。第一期の特徴は、やせ細ること、筋肉の弛暖、運動の力をしだいに失うことである。(中略)第二期は、飢えた者が通常の体重の三分の一を失ったころに始まることが予測できた。(中略)病人は自分のまわりで起きていることのすべてに無関心となった。周囲とのあらゆるつながりから、みずからはずれていった。まだ歩ける場合は、スローモーションのようにゆっくりと、ひざを曲げずに歩いた。かれらの体温は通常は三十六度以下に下がっているため、寒さにふるえた。病人の一団を遠くから見ると、アラブ人が祈っているような印象を受けた。この姿から、栄養失調で死に瀕している者たちを指すのに、ムーゼルマン(回教徒)という、アウシュヴィッツで普段使われた名称が生まれたのである。(※2)

かれら、ムーゼルマン、沈んでしまった者たちこそが、収容所の中枢である。神の火花が自分のなかで消えてしまい、本当に苦しむことはできないくらいにすでに空っぽになっているため、無言のまま行進し、働く非-人間たちの、たえず更新されてはいるがつねに同一の匿名のかたまりこそが、収容所の中枢をなしているのだ。かれらの死を死と呼ぶのはためらわれる。というのも、かれらは疲弊しきっているために死を理解することができないので、死を前にしても恐れることがないからである。(※3)


《ムーゼルマン》とは、語ることもおぞましいあの「アウシュヴィッツ」に収容された囚人の最終段階を意味する。その姿を見ることは、死体を見るよりも痛ましいと言われている。ただ、アガンベンがその著書『アウシュヴィッツの残りのもの』において、ムーゼルマンを取り上げているのは、その悲惨さのためだけではない。いや、それ以上に重要な点、この《アウシュヴィッツ(ムーゼルマン)》が、ナチスという権力機構が作動し生き延びていくための、メインエンジンとして機能しているメカニズムをアガンベンは解明している。

ムーゼルマンが棲みかとした生と死、人間的なものと非人間的なものの極限的な閾が政治的な意味をもちうるということ、このこともまた明確に主張されていた。(※4)

ムーゼルマンは絶対権力の人間学的な意味をきわめてラディカルな形で体現している。じっさい、殺すという行為においては、権力はみずからを廃棄してしまう。他者の死は社会的関係を終わらせるからである。反対に、権力は、みずからの犠牲者を餓えさせ、卑しめることによって、時間をかせぐ。そして、このことは権力に生と死のあいだにある第三の王国を創設することを可能にさせる。死体の山と同様に、ムーゼルマンもまた、人間の人間性にたいする権力の完全な勝利のあかしなのである。まだ生きているにもかかわらず、そうした人間は名前のない形骸となっている。こうした条件を強いることによって、体制は完成を見るのである。(※5)

ナチスの生政治のシステムにおける収容所の決定的な役割が理解される。収容所は、死と大量殺戮の場であるだけでなく、なによりも、ムーゼルマンを生産する場、生物学的な連続体のうちで切り離されうる究極の生政治的実体を生産する場である。その向こうにはガス室しかない。(※6)

現代における死の零落について、ミシェル・フーコーは、政治用語を使ってひとつの説明を提示している。それは死の零落を近代における権力の変容に結びつけるものである。領土の主権という伝統的な姿のもとでは、権力は、その本質において生殺与奪の権利として定義される。しかし、こうした権利は、なによりも死の側で行使され、生には、殺す権利を差し控えることとして、間接的にしかかかわらないという意味では、本質的に非対称的である。このため、フーコーは、死なせながら生きるがままにしておくという定式によって主権を特徴づける。十七世紀以降、ポリツァイ〔治安統治〕の学の誕生とともに、臣民の生命と健康への配慮が国家のメカニズムと計算においてしだいに重要な地位を占めるようになると、主権的権力はフーコーが「生権力(bio-pouvoir)」と呼ぶものへとしだいに変容していく。死なせながら生きるがままにしておく古い権利は、それとは逆の姿に席をゆずる。その逆の姿が近代の生政治(ビオポリティック・biopolitique)を定義するのであって、それは生かしながら死ぬがままにしておくという定式によってあらわされる。(※7)

一九三七年に秘密会議での席上、ヒトラーは生政治にかんするひとつの極端な概念をはじめて打ち出す。それについて見ておかなければならない。ヒトラー中欧 - 東欧に言及して、volkloser Raum、民族なき空間が必要だと語っている。この奇妙な用語は、どう理解すべきだろうか。それは、単なる荒れ地のようなもの、住人のいない地理的空間のことではない(かれが言及している地域は、さまざまな民族や国民でいっぱいである)。むしろそれはおよそあらゆる空間が内包している生政治的上のひとつの根本的な強度を指しているのであって、その強度を通過して、それをとおして、国民は住民に移動し、住民はムーゼルマンに移動していくのである。いいかえれば、民族なき空間というのは収容所の内燃機関のことを指しているのである。そして、それは、どれか特定の地理的空間にひとたび据えられたなら、その地理的空間を生政治の絶対空間、そこへと人間の生が定めることの可能ないかなる生政治的アイデンティティをも越えて移行していく生にして死の空間(Lebens - und Todesraum)に変容させてしまう生政治の機械にほかならない。ここにいたっては、死は単なる付帯現象にすぎない。(※8)

4.


このような分析は見慣れないかもしれないが、これは《ビオ-ポリティクス(生- 政治学)》と言われている考え方である。C.シュミット 〜 M.フーコー 〜 G.アガンベンを基本ラインとして研究されている。


政治神学

政治神学


知への意志 (性の歴史)

知への意志 (性の歴史)


ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生


ここで重要なのは、この《生-政治(生-権力)》のメカニズムが、ナチスという、世界大戦が行われていた異常な時代に存在した、異常な国家だけに見られる特殊なものではないということである。昨今の日本社会においても、それらしきメカニズムを指摘することができる。



5.


例えば、ホリエモン事件について考えてみよう。彼は法律違反をしたために社会から締め出されたということになっている。しかし、彼が侵した法律上の罪の程度は、彼が受けた仕打ちの程度とは明らかにつり合わない。なんらかの他なる力が働いたと考えるべきであろう。それは彼が内に秘めていたメッセージによると思われる。ホリエモンの人生観、彼が目指したことに共感はしないが、彼が為した社会批判は一考を要する。

ビジネスって、そんなキレイなものじゃないでしょ。大きな会社のお偉いさん方はキレイゴトを言っているけど、結構、汚いこともやっているでしょ。なぜ、それを隠すの。僕は隠さないでやりますよ。


その汚いことを露骨にやったから、ホリエモンは社会から締め出されたとも言える。この事件は、社会が内包している《醜》をホリエモンに押し付けて、排除することで、自らを浄化し延命したという一面がある。


またガイアックスというのを覚えているだろうか。ガソリンに変わる代替燃料にいち早く目をつけてビジネス展開を計ろうとしたベンチャー企業、ガイアエナジー社が製造したアルコール系燃料である(※9)。しかし、今では販売を禁止され市場から姿を消してしまった(※10)。その主な理由は、彼らが低公害と主張するものの窒素酸化物(NOx)はむしろ増加傾向にあり、必ずしも低公害とは言えないという点。また通常のガソリン用に作られた自動車に使用した場合、自動車に不具合をきたす危険性があるという点であった。


しかし一方、昨今話題になっているバイオエタノール燃料(※11)はどうだろうか。ガイアックスと同じくアルコール系燃料であるため、同様の問題を抱えているにも拘わらず、上記で指摘されている点はあまり問題とされず、普及させる方向で進んでいる(※12)。そして、その販売を担おうとしているのは、ガイアックスに対して批判的であった大手の石油会社である。


このような排除が日々行われながら、社会は延命しているという一面を指摘できる。ホリエモンガイアックスの二者に共通する問題点を今風の流行語で言えば、KY(空気読めない)である。二者とも空気が読めなかったから、正確に言えば、確信犯的に空気を読まなかったから、社会から締め出されたのだろう。


ただ、このKY問題が怖いのは、その既成事実が、締め出された側が悪いという一点張りで片付けられてしまう点である。上記の二例を見ても分かるように、締め出す側にも大いに問題がある。にも拘わらず、この点はうやむやに消し去られてしまうのである。またKY問題は、明確な倫理規定に基づいて為されるのではなく、締め出す側の都合によって為される。しかも、締め出す基準が「空気」だから、いかようにでも変化しうるし、いかようにでも説明できてしまうという点が恐ろしい。あくまで程度の問題であるが、このような事件を野放しにしておくのはやはり危険である(※13)。


先に紹介した《ビオ-ポリティクス(生-政治学)》の理論は、KY問題の暴走を防ぐために、その歯止め役としても有効に利用できるだろう。



6.


《ビオ-ポリティクス(生-政治学)》の理論は現代社会において、特にマイノリティの問題に対して有効である。人種差別、性差別等、多くの差別問題に対して有効である。この類の問題をKY(空気読めない)やPC(ポリティカルコレクトネス・政治的正当性)で片付けてしまうと、臭いものには蓋をしろというように、問題の本質にせまることをむしろ阻害してしまう。その点、《ビオ-ポリティクス》の理論ならば、問題の本質に切り込むことが可能である。ただし、《ビオ-ポリティクス》の理論の現代社会への適用は性急になされるべきではない。それは以下の理由による。

民族の境界を越えたとき、誰もがよそ者として不可避的に疎外の危機にさらされる。しかし彼らが新旧双方の共同体から排除されるだけではない。共同体も同時に越境者の暴力にさらされている。(※14)


マイノリティが起こすアクションが、マジョリティに対して衝撃を与える。マジョリティへの暴力として働くという一面も確かにある。《ビオ-ポリティクス》の理論以前の問題として、マイノリティから受けた暴力に対してマジョリティが抵抗し、反発したために衝突が起こったという説明は、ホリエモン事件、ガイアックス事件共にあてはまる。


あるいは、次のような問題もある。《ビオ-ポリティクス》の理論を現代日本社会に適応する場合、様々な考え方が可能であるという点である。先に紹介した《ムーゼルマン》について問うてみる。「現代日本社会において《ムーゼルマン》とは誰か」。それは「ネットカフェ難民」であり「ホームレス」であると指摘できよう。しかし、そのような指摘に留まらず、大胆な考え方ではあるが、それは「総理大臣」である。あるいは、それは「天皇」であるというような考え方も可能であり、色々な意見が考えられよう。


そのような事情を考慮して、我々は《ビオ-ポリティクス(生-政治学)》の理論を学び続け、KY問題のような不穏な出来事が暴挙化しないよう注意すると共に、社会的責任のある立場の人たちに対して、広い視野で行動することと、高い意識をもって行動するよう働き掛けていくべきであろう。



7.


最後に、KY(空気読めない)問題、ホリエモンガイアックスに見られるようにマイノリティがマジョリティに与える暴力性を指摘したならば、マジョリティ側のKY問題についても述べておく必要があるだろう。誰も口にしないけれども、みな分かっている「安倍晋三元首相の辞任劇」についてである。


安倍氏の手記(※15)が「文藝春秋」誌に載っているというので読んでみたけれども、辞任の直接的な原因となった病気について事細かに書かれているだけで、残念ながら評価できる内容ではなかった。安倍氏はそのように持病(難病)を説明することが国民に対する自らの責任の清算だと考えているようだ。KY(空気読めない)もいいところである。わざわざ言うのもうんざりだが、病気について語る前に、「2008年3月までに5,000万件の不明な年金記録を処理する」と言ってしまったことを謝罪すべきだろう。この失言によって総理辞任は事実上、決定的となった。自ら首相としての能力が不足していたことを認め、それをまず謝罪せねばならない。


安倍氏には国会議員を辞職してゼロから再チャレンジしてもらいたかった。一国の総理として、リーダーとしてやっていくための能力に不備があると明らかになったのだから、もう一度きっちりと勉強し直して、自らの能力を整備した上で選挙に出馬して欲しかった。


現実の社会は厳しい。その現実から逃げることなく生きていこうというのが、小泉総理が掲げた《構造改革》の基本理念ではなかったか。現実から目を背け、本来有りもしないようなお金をばらまいて虚構の世界を取り繕い、そのツケを未来の子どもたちに擦りつけるようなことはしない。現実と向き合って生きていこうとすれば、当然失敗することもある。そうやって失敗した人を無闇に助けたりはしないけれども、切り捨てたりもしない。列の一番後ろに並び直したら、もう一度チャレンジできるような社会を築き上げる。

わたしたちが進めている改革は、頑張った人、汗を流した人、一生懸命知恵を出した人が報われる社会をつくることである。そのためには公平公正、フェアな競争がおこなわれるように担保しなければならない。競争の結果、ときには勝つこともあれば負けることもあるが、それを負け組、勝ち組として固定化、あるいは階層化してはならない。誰でも意欲さえあれば、何度でもチャレンジできる社会である。(安倍晋三)※16


自らもこのように言っているにも拘わらず、安倍氏が自らに特例措置を発動して国会議員に踏みとどまることを許してしまったら、失敗しても勝ち組で居続けるアンフェアな行為を許して階層を固定化してしまったら、小泉総理が掲げた《構造改革》は元も子もなくなるし、安倍氏が掲げた《再チェレンジの可能な社会》はいつまでたっても到来しないだろう。


ホリエモンガイアックスがマイノリティ(ベンチャー)からマジョリティ(体制)への暴力ならば、安倍氏の問題はマジョリティからマイノリティへの暴力である。そして、両者の力関係を考慮すれば、後者の方が前者より強大であり、そして根深い。





※ photo by montrez moi les photos
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※1 ジョルジョ・アガンベンアウシュヴィッツの残りのもの』月曜社 p51.
(なお※1〜※8において、原文で「回教徒」と訳されていた箇所を拙者の意向により「ムーゼルマン」と表記を変更して引用した。)
※2 同上 pp.52-54.抜粋して引用
※3 同上 p.55.
※4 同上p.60.
※5 同上 p.60.
※6 同上 pp.112-113.
※7 同上 p.109.
※8 同上 p.113.
※9 http://ja.wikipedia.org/wiki/ガイアックス
※10 http://www.enecho.meti.go.jp/topics/nennryouhp/faq/
※11 http://ja.wikipedia.org/wiki/バイオエタノール
※12 http://grnrokko.sblo.jp/article/5430082.html
※13 KY問題については内田樹氏が興味深い分析を行っている。氏の個人ブログにおける論考を参照頂きたい。http://blog.tatsuru.com/
    2008年1月5日「恐怖のシンクロニシティ
    2008年1月6日「ゲームと知性」
    2008年1月7日「“ダイナマイト”なイノベーター」
※14 張競『アジアを読む』みすず書房 p23.
※15 安倍晋三「わが告白 総理辞任の真相」(『文藝春秋』2008年2月号所収)
※16 安倍晋三美しい国へ』文春新書 p.227.