田中小実昌『アメン父』抜粋集













アメン父 (講談社文芸文庫)

アメン父 (講談社文芸文庫)





そんな呉の町だが、中学校や女学校より上級の学校、専門学校もなかった。広島には旧制高等学校、高等工業学校、高等師範、文理科大学もあったのにくらべると、ひどいちがいだ。人口がおおいばかりで、つまりは、よそ者があつまった町、伝統や文化のかおりなどは、まったくないような町だった。


「伝道をするのには、こんなわるい町はないな」と父がわらっていたのをおぼえている。ただし、くりかえすが、父はわらって言った。


田中小実昌アメン父講談社文芸文庫p.12.)


山の中腹にこの家をたてて引越してきたのは、ぼくが小学校の一年生のときで、この落書きみたいでチャチな欄間が、ぼくは恥ずかしかった。でも、お寺の子供だって、いろいろ恥ずかしいことがあったのではないか。まして、こちらはヤソの教会だ。しかも、ヤソのなかでも、どこの派にも属さない、教会員があつまると泣いたりわめいたりするへんな教会だった。その教会の子のぼくは、いちいち恥ずかしがってたらキリがないようなところがあった。でも、教会の子、牧師の子として、あれこれ恥ずかしかったことなど書けば、そういう小説に慣れた方にはわかりいいかもしれないが。(p.8.)


うちの教会では、礼拝ともいったが、たいてい集会という言葉をつかった。そういう言葉にも、ほかのふつうのキリスト教会とはちがう意味があったのだろう。


一年後にできた教会の建物も、教会堂とはよばなかった。中段と言われていた。山の側面に、ぼくたちがいる家がいちばん下、そして中段、ずっと上の山の尾根にも家があって上段とよんだ。教会堂ではなく、ただの中段なんて、名前がないのとおなじだ。


父やその仲間のひとたちは、教会堂なんて言いかたに、いままでのキリスト教の教会とはちがうんだぞ、と抵抗したのではあるまい。ただ、父が教会堂とは言わず、中段とよんだので、みんなもそうよんだのだろう。みんな、父の言うとおり、するとおりだった。


中段には十字架もなかった。これも、父や、いっしょに教会をつくった人たちが相談して、新しい集会所には十字架をたてるのをやめよう、ときめたのではあるまい。父が、十字架はいらない、と言っただけか、それさえも言わず、ただ十字架がなかったのか。


しかし、十字架のない教会など、ほかでは、きいたことも見たこともない。ずいぶんかわった教会だろう。だから、キリスト教の教会なのに十字架がないことについては、きびしい決意があり、それを言明していたかというと、さっぱりそんなことはない。


(p.9.)


いや、宗教なんてことよりもアーメンだった。(p.12.)


父は、イエスを宗教的英雄や天才ではないとした。ナポレオンは英雄で、アインシュタインは天才かもしれないが、イエスは英雄や天才ではない。それとは、ぜんぜんべつのもの(こと)だ、と。(p.16.)


父の教会では、宗教的なものを排するようなところがあった。教会が宗教的なものをきらっては、なによりも、商売にならない。


しかし、いわゆる宗教的なものは、そっくり偶像になりやすい。


ほとんどの人が宗教的なものをもとめて教会にやってくる。それがふつうだろう。きよらかさ、神々しさ、やはり俗世間にはない、なにか聖なるものを教会にもとめる。


たとえ日曜日の朝の礼拝に出席するだけでも、そのあいだはきよらかな気持になり、ひいては、日曜日以外のときも、やはり敬虔な態度になる。敬虔なクリスチャン!


だが敬虔なだけでイエスのものになれるだろうか? だいいち、イエス自身が敬虔だっただろうか。教会にきてきよらかな気持になるのはいいが、それでは、それこそ教会は一服の清涼剤ではないか。


命の洗濯のために、教会やお寺にいくというのは、ごくあたりまえのことになっている。それを、いやちがう、と言うような教会は、くりかえすが、商売にはならない。


しかし、うちの父も、とにかく、集会にきて、集会の場にいることを、くりかえし言った。信仰は、ひとりひとり個人のものであり、だから、ひとりひとりが神かイエスかを拝すればいいというのは理屈で、それもつまらない理屈だろう。イエスにある者は、おなじイエスにある者と、いっしょにイエスを讃美したくなる。讃美しようとする、つまり集会にあつまってくるのは自然なことではないか。その集会に、イエスにない者、イエスは臨んでいるのに、気がつかないのではなく、こばんでる者、自分がこばんでることにも気がつかない者もいっしょにいることはだいじなことで、だから集会にできることを、父はすすめたのだ。


「ともかく、そこに、みんなのあいだにすわりなさい」と父は言った。しかし、これは二ホンのほかの宗教でも言いそうなことだが、やはり、ちがうのだろう。二ホンのほかの宗教では、かたちからはいる、行からはいるといったことで、これとは、はっきりちがう。


ともかく、きよらかさや、そんなにせいせいとした気分などはバカにしても、キリスト者としての自覚みたいなものをもとめて、うちの教会にやってきた人たちも、失望して去っていった。そもそも、なにかをもとめて教会にくるようなのはダメだ、と父はつっぱねてたのだろう。しかし、なにかをもとめなくて、どうして、人は教会になどくるか。ただし、そういう理屈のたてかたそのものが、父に言わせると、ホントではない、ってことになるにちがいない。


きよらかさや、聖なるものへのあこがれ、いや、はっきり言ってしまうと、ココロのはたらきみたいなことは宗教にはカンケイない、逆に、つまずきになるだけだ、と父は言っていた。


だれでも、宗教はココロの問題だとおもってる。ところが、宗教はココロの問題などとおもったら大まちがい、と父は言う。これは、ふつうの考えとはうんとちがう。ちがってもしようがないが、泣きごとめいたくりかえしになるけど、こんなことも、なかなかわかってもらえない。


(pp.32-34.)


十字架を信じるって、どういうことなのか。こちらが信じるという観念的なことよりも、十字架のほうでぶちあたってくるほうが、事実なのではないか。そして、こばんでにげまわっていたが、十字架にぶちあたられ、もったいなさにびっくりし、しかし、また、それでいっぺんにせいせいしきよらかになるものではない。光が見えたら、自分がおかれている闇も見える、地獄も見える。そして、光も闇も、そういう心境ではない。心境ならば、むつかしいけど、転換もできるかもしれないが、そうはいかない。だから、地獄は地獄、地獄にあれば地獄でアーメンってことで・・・・・。


(pp.46-47.)


かるく、かるく・・・・・というのは、たえず父が口にしていたことだが、かるい牧師というのも、とくにそのころでははやらなかったのではないか。父のかるさ好きを理解してた者など、ごくわずかだったのではないか。敬虔なクリスチャンの敬虔さも、それこそ敬虔を身にまとうだけで、身をまもるしたたかな防具になる。どんなにかるいものでも、父はなにか身につけるのはきらいだった。かるいものを父は好んだのではない。なにもなくてかるいこと、からっぽを父はのぞんだのだろう。そして、人をからっぽにしてくれるのは、宗教しかない。その宗教も、へたをすると、人をからっぽどころか、おもおもしくする。


(p.66.)


宗教では持たないことがだいじとされる。もっとも、信仰をもてというけどさ。あとで、父は、信仰をもてないことになやみ、アーメンを受ける。そして、これまた受けるだけで、もってはいけない。もってると、それこそ信仰や信念になる。アーメンは信念ではない。


(pp.81-82.)


父がなんにも言わないので、さっぱりわからない。父は、ことさら過去のことは語らないといったふうではなかった。ダマスコへの道の途中でのパウロの回心は有名だが、回心を契機として、それまでの自分は死んだ、そして新しく生まれかわった、みたいなことを言う宗教人はめずらしくない。だから、自分は過去は語らないのだ、と。


しかし、父はそうではなかった。父にも回心といったものがあったにちがいない。そして、ほんとに新しく生れかわったようにおもっただろう。だが、このおもうというのがクセモノで、そのときはそうおもっても、おもいはかわることがある。


そのおもい、回心をだいじにして、それをよりどころにするのが信仰だろう。おかしなことだが、ぼくが生れたころ、父は回心し、よろこびにおどりあがるようだったらしいが、そのよろこびは去り、ひどいくるしみにおちいった。光を見た者の闇といったところか。それが二、三年つづき、絶望の極にあって、イエスと十字架を受けた。これも、イエスが自分たちの身代りになって、十字架にかけられ、それによって、自分たちの罪はすっかりなくなった、みたいなことではない。一度、イエスが十字架にかかって、すべては帳消しといったものではなく、イエスの十字架は、ずっと刻々にせまっていて・・・・・。


くりかえすが、父は過去は語らないとか、過去はたちきったというふうではなかった。回心でさえも、宗教経験のうちにはいるのがふつうだが、父には宗教経験なんてことも、関係のないことだった。どんな経験でも経験はたくわえもつものだ。アーメンはもたない。たださずかり、受ける。もたないで、刻々にアーメン・・・・・。


(pp.92-93.)


ただ、たとえみじかい期間でも、小学校の先生をしていれば、だれだってひとにはなすものだが、すくなくとも、ぼくはなんにもきいていない。これは、だれだってはなすけれど、父はそのだれだってではなくて、たいへんにふつうとはちがう男だったといった人がらの問題より、それほど、いま現在がアーメンでいっぱいだったのではないか。アーメンに満たされ、満足で、過去のことなんかどうでもいいというのでもない。ただ、いまアーメンでいっぱいで・・・・・。


(pp.95-96.)


父はひとにくらべて欲がなかった。(p.101.)


たとえば、山の尾根の家を上段、山の中腹の教会のことを中段というのは、父が言いだしたのだろう。上段、中段というのは、ただ位置だけを示し、意味を排除したところがある。けっしてありがたくない。父は教会をやっていながら、ありがたいことは大きらいだった。そんな教会がどんどん信者がふえたりするわけがない。ところが、父は讃美のときは、ありがたい、もったいない、とくりかえした。ありがたいのはイエスだけなのだ。イエス聖霊以外のものをありがたがったりしたら、それは偶像だろう。そのイエスが、ある人に、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればいいでしょうか」と尋ねられ(新共同訳聖書マルコによる福音書10章17節、18節)こう言っている。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。・・・・」


このあと、イエスは「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(同25節)と言い、聖書のなかでは有名なところだ。


これはふつう、イエスでさえも「神おひとりのほかは、善い者はだれもいない」と解釈されているようだが、イエスが神の前にへりくだり謙虚だったというのではなく、「善い方は神おひとり」というのがイエスだったのではないか。それがイエスの全存在と言えば、これまたわかりやすいかもしれないが、イエスとはそういうひとだったという存在ではなく、あくまでも、神のひとへのかかわりとしてのイエス、なんて解釈も解釈っぽいけど、イエスをつらぬきとおしてることではないか。


(pp.127-128.)


変った人と父をおもったら、なんにもならない。たしかに、アサ(父の教会のアーメン)にあうまでは、父はいわゆる変り者とか、そのほかいろいろの性質の男だったろう。しかし、アーメンにぶつかられ、それらはみんなくだけてしまった。でも、ニンゲンの性癖というより、ニンゲンそのものはしぶとくて、アーメンでこなごなになったのに、まだ残っている。そういうのを罪と言うのだろう。ニンゲンはもろいものだが、アーメンに反抗するときなどはしぶとい。しかし、またアーメンにうちくだかれ、それでも反抗し、またまた、とアーメンはぶつかってくる。そんなふうだと、ただの変り者ではいられまい。


(pp.136-137.)


日記のなかでも、神秘的観念はけっして宗教ではない、正明覚中の意識ということを言っている。神がかりは、父はきらいだった。あとで、アーメン、アーメンとさけんでるころでも、あれは神がかりではなく、神がかりをアーメンではねつけるものだったのだろう。ただし、ここにも、なにかの萌芽みたいなものがあるというのではない。イエスとアーメンには片鱗も萌芽もない。ちいさなアーメンから、だんだん大きなアーメンに育っていくのではない。そんなのはニンゲンの修養だ。イエスがますます大きな存在になってくるなんて説教は一般にはウケるかもしれないが、父はカンケイない。主は先だてり、いつも主は先だっている。将来、神の国がやってきたり、神の国がだんだん大きくなっていくのではない。神の国をたずさえてイエスはせまりいる。イエス神の国なのだろう。そして、ニンゲンたちが努力して、あるいは信仰により神の国をきずきあげるのではなく、神の国が先だっている。


(p.157.)


神秘主義神秘主義であって、宗教ではない。宗教は主義なんてものとも無縁だ。また、宗教的などというのは、まったく宗教とは関係あるまい。ところが、たいていの人が宗教的なものにあこがれ、あるいは毛ぎらいして、それを宗教だとおもっている。(p.166.)


教会の牧師がなやんではしようがない。ほんとは、なやまない牧師や神父はだめなのだろうが、世間では逆に考えている。悟って達観してる坊さんや牧師がえらいのだ。なやみをもった者が牧師のところにくれば、そのなやみを解決してやるのが牧師ではないか。


ところが、その牧師がはらわたがねじれるようになやんでいる。父が東京市民教会の牧師をしていて、つらかったことはたしかだろう。


(p.167.)


新共同訳聖書の使徒言行録9章のはじめは、有名なサウロ(パウロ)の回心のことが書いてある。イエスがサウロに現われたあと(8節と9節)サウロは地面から「起き上って、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。」


これなんかも、たとえ話でも、パウロ物語でもなく、事実、そのとおりだったのではないか。目をあけたが、なにも見えず、三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった、というのは、まことになまなましく、事実そのままをつたえているのだろう。


ただし、これは神秘的体験ではない。神秘的体験をした人もあるにちがいないが、神秘的体験はこれまた神秘的体験で、宗教ではない。ことわっておくが、さっきから宗教という文字をつかってるけどニンゲン文化のひとつとしてみたいな宗教ではない。サウロ(パウロ)がイエスにぶちあたられたのは、神秘的体験でもないしそんな宗教経験でもない。体験も経験も自分でもつもの、自分の財産(ないし負債)だが、これは自分でもつものではない。新共同訳の聖書には、サウロの回心、という見出しがついてるけど、宗教では回心や悟りがいちばんだいじなことみたいになってるが、それもどうか。バカみたいなくりかえしだけど、宗教はココロの問題ではない。


(p.168.)


大正十四年五月十八日、父は神の臨在を感じだしている。それが、二年たった昭和二年五月十二日に絶望の極地にありて、というのがおもしろい。ふつうの教会、ふつうのキリスト教なら、神の臨在を感じれば、それでほんとにクリスチャンになり、すくわれたのであり、つまりは回心で、けがれもさり、清らかな境地にはいり、絶望などとんでもないことだ。


ところが、父はそれから二年もたって絶望している。逆に絶望はだんだんにふかまっていったのではないか。神の臨在を感じ、父ははじめて見る光に接し、言いしれぬよろこびにひたされたが、光に接して、闇も見え、自分がドン底の闇のなかにいるのもひしひしと感じて・・・・。なんて言いかたは安易で、そんなかんたんなものではないかもしれないが、とにかく父は絶望した。


回心したあとで絶望したなどきいたことはない。回心は一度きりのものだろう。回心は、そのひとが新しく生れることだと言われる。赤ん坊として一度生れた者が、信仰によって、また生れるのだ。だから宗教では、一度生れ、二度生れってことが問題になる。でも、三度生れ、四度生れとか、ずっと生れどおしでいるみたいなことは、きいたことがない。


回心したひと、悟ったひとが絶望するなんてことはあり得ない。しかし、父は絶望した。罪のないイエスが、われわれ罪人のために十字架にかかって死んだことを一度信じれば、それで、あとはすっかりすくわれる、というのが、それこそふつうの教会だが、父はそうではなかった。


じつは、父は回心したのでも、まして悟ったのでもあるまい。イエスがのぞんできて、大いなるよろこびとともに、父の絶望がはじまった。そして絶望の極地にあって十字架上の主の御支えを強く感ぜしめられる。


でも、これでもう、きれいさっぱり、悟りの境地にはいったというのではない。ただ、まっくら闇の絶望のなかでも、イエスがアーメンがせまってくるということか。絶望の底をイエスの十字架がささえてるのだろう。ただし、これも、いつも十字架上のイエスがささえてくれるから安心、というのではない。安心なんてカンケイない。


(pp.169-171.)


一九五七年(昭和三二)一月三日御説教


コリント人への第一の手紙 二章一   五節


二節に「なぜならば、わたしは、あなたがたのなかでは、イエス・キリストすなわち十字架につけられたあの方以外には、なにも知るまい、と決心したからである」とある。十字架につけられたイエスさま以外には自分にはなに者もなかった、と(パウロは)もうしております。それですから、この方(パウロ)は四節に「わたしの話とわたしの教えとは巧みな智恵の言葉によらないで、み霊と大能との示しによったものである」と(言っている)。アサ人(アサ山の教会の人たち)の力は十字架からくるのであります。十字架に会わなければ力はない。この地球の上で、わたしどもはただひとつのことを知ったのであります。それは「十字架」ということであります。十字架という言葉がどういう意義をもっているか、(十字架とは)どういう意味をもっているか、どういう訳かというような十字架ではない。ただ十字架。ただ十字架。そのただ十字架が、わたしどもにせまってくることがあります。これが、この地上において知るかぎり、神さまの道はここからしかひらけていないのであります。神は光のようにくるとか、天から聖霊によってくるとかいうことをきかされておる。またそれはたしかにはたらいているにそういない。しかし、わたしどもは地におる人間であります。その人間がどうして神の道を知ることができるかといえば、十字架以外にない。


パウロ先生は、十字架につけられたそのひとだけだ、と言っておりますが、そうであります。十字架がほんとうに焼きついてくるといいますか。十字架が生命(いのち)しているものでなければならない。ですから明け暮れ十字架でなければならない。この十字架は、わたしどもをそこにおいて、(外から)十字架をながめさしてはおらないのであります。十字架にあなたを引きこんでいらっしゃる。引きあげている。いわばパウロ先生は「われキリストとともに十字架につけられたり」と書いておる。そのように十字架につけられ、ここにおかされる。これがじつに力の源である。きよめられるということがありますが、汚いこころをそこにおいて(おいて)そしてなにかをおもうことによってきよまるのではない。まず、その十字架につけられる、つけられて、そこ以外にはなにもない。どういう意義があるとか、どういう訳があるかということは第二のことである。なにがでてくるか。万人の救いのためであるとか、なんのためであるとか(なんてことが)でてくるかもしれない。それは、で(てこ)ないとは言いません。しかし、まず、磔(はりつけ)のイエス・キリスト、十字架がまざまざとあらわれることであります。それが「救い」であります。それが力であります。そして、その十字架に吸いつけられて、引きあげられていく。


「われキリストとともに十字架につけられておる」


そこがひらける源であります。その力をうしなって、うろうろ全世界をあるいてみましても、それはただうろついているにすぎないのであります。


中略。


地上には幸も不幸もありましょう。いろいろなことがありましょう。しかし「十字架」というものはない。なぜならば(十字架)にかかれば生きるという(ことがなくなってしまう?)・・・・・。もったいのうございます。どこを見ても美しいとはおもえません。しかし(生きていると?)どんなものでも美しくしてしまうのであります。十字架は殺されたところであります。しかし吸いつけられたらば、力がどんどんでてくるところであります。おそらく全宇宙の力に匹敵する。いな、それ以上のものがでてくるのであります。人間の悲劇のまっただなかから、こんな芸術が生まれるとは、だれも知らなかった。これは絵を見たらでてくるものでもなければ、はりつけの像を見たならばでてくるのでもない。そうではなくて、あなたにくるものがある。はりつけがある。文句なし。なんにもそこにはない。天裂けいき、アメン。あなたを訪れてくるのであります。なんの意義かは知らない。なんのことかわからない。けれども天が裂けてくる。この十字架にあうとき、はじめて地が裂けてきます、(裂けて)しまうのであります。(われわれの)おりどころなくして、主のかがやきを拝する。これ以外に力はない。救いはない。アメン。もったいのうございます。アメン。セーレイ、アイラボーロ、サンダポーロ、アメン、アメン。


パウロが十字架に会ったときは、いつごろかはっきりしませんが、彼がキリストに会ったのは使徒行伝九章(一節   九節)であります。「さて、サウロ(パウロ)は、なおも主の弟子たちにたいし、脅迫と殺害との気を吐きつつ、大祭司のもとに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道を奉ずる者を見い出したときに、男女にかかわらず縛ってエルサレムに引いてくるためであった。彼は旅を続けてダマスコに近づいた。そのとき、にわかに光が天から彼を照射した。そして彼は地に倒れ、彼にむかって『サウロよ、サウロよ、なにゆえに、わたしを迫害するか』という声を聞いた。そこで彼は言った。『あなたはどなたですか、主よ』声は言った。『わたしはあなたが迫害するイエスである。さあ、立ちあがって町にはいりなさい。そうすれば、あなたのなすべきことは告げられるであろう』彼といっしょに旅行していた人々は呆然として立っていた。声を聞いたが、だれも見えなかったのである。サウロは地から立ちあがり、目を開いたが、何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。それから三日間、彼は視力を失っていた。そして食べも飲みもしなかった」



パウロはイエスさまの敵でありました。その敵が、とつぜんイエスさまの御声にふれました。にわかに光が天から彼を照らした。その光に会いまして、まさに天裂けてきたのでした。太陽の光と比較にならない神の光が臨んできました。そのとき、彼は地にたおれてしまったのであります。「サウロよ、サウロよ、なにゆえに、わたしを迫害するか」どういうことを言っているか知りませんが、まったくの想像であります。この迫害するかと言う方は、十字架の主であったにそういないのであります。この十字架の主に会うたのであります。その十字架の主からものを言ってきたのであります。彼はワーっとなって目がまっ暗になってしまったのです。十字架に会うときに、真に感激がおきるのであります。感動してくるのです。これが御霊の通脱であります。わけはわからない。意味はない。しかしパウロはそこにぶったおれてしまった。そして目はまっ暗になってしまって、なにも見えなくなってしまった。これはいかに感動したかということ。めくらになってしまった。びっくりしてしまった。彼の地は裂けてしまったのです。おりどころがなかったんです。まっ暗になっちゃったんです。これは天裂けいき、また地が裂けた。このパウロが立ちあがったときに、このおどろくべき大伝道者ができてきたのであります。十字架以外は(パウロは)語らんと言った。まさしくそのとおりであります。わたしどもは十字架の意義をあまりに語りすぎている。(それでいて)いまだに生きている十字架に会わない。そこに(それでは)ほんとうのものを受けないのであります。アサはそこからでてきたんです。地が裂けて、裂けてそこからでてきた。この十字架は上からでたものであります。吸いつけられていくこの一年。主よ、アメン、アメン、アメン。アイラ、サンダボーロ・・・・・。


パウロの目はまっ暗です。この世のなにものも見えなかった。けれども彼のなかにこの十字架の主が焼きついておったにそういない。そこだけ明るく、そこだけが、彼には天が裂けておったにちがいない。この世のなにものも見えなかった。ここから出なければ(出発しなければ)ならぬ。この世をあっちを見たり、こっちを見たりしておって、そこで見ておってはだめだ。けれども自分に焼きついてくる。はりつけの主に会って、このくるところの神の光と力との、そこから出ていかねばならぬ。ここは闇をやぶるところのものであります。あっちを見たり、こっちを見たりしていないで、まっしぐらに十字架にかからねばなりません。そこから出ていくことです。


アメン。もったいのうございます。アメン、アメン、アメン。


(pp.172-177.)


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